2177年8月1日 カウセリング記録。利用者、介助又は世話型アンドロイド。シンギュラリティ到達済み、および人権付与済み

青山喜太

本記録は研究のために利用者の方および病院側からの同意を得て、提供してくださいました。プライバシーのため、本記録は一部脚色を加えております。

 記録開始。


 カウンセリングルームに、一人の男性と一人のアンドロイド女性がいる。二人は机を挟んで座っている。


「こんにちは、先生」


 患者であるアンドロイド、A氏が頭を下げる。


「どうも、こんにちは」


 カウンセラーのK氏も同様に頭を下げる。

 しばらくの沈黙。

 カウンセラーのK氏が患者に事前に提出してもらった資料(既往歴の書類や、アンドロイドの精神鑑定書など)を確認している


「ああ、すでに自我を持って100年も経っておられるのですね、おまけにここのところインターネットウィルスの感染や、骨格の損傷なども受けていない、健康に気を使ってらっしゃるのですね」


「はい、その主人からは、定期的にロボットドック……ああ、今は私たちの様な人でも人間ドックというのでしたっけ、それを定期的に受けています」


「それはそれは……今日はどの様な、目的で当院を?」


 ※このカウンセリングルームはK県にある総合病院の中に併設されている。アンドロイドのA氏は、アンドロイド精神科から、向精神プログラムを処方されたにも関わらず、抑うつの傾向が見られたため、カウンセリングを主治医から勧められた。


「はい、その……先生には言わなかったのですけど、実は不安なことが……」


「不安、ですか?」


「……私もおかしいと思って、実はその……誰にも言えなかったのです」


「それは、主治医にもですか?」


「はい、その私はアンドロイドじゃないですか」


「はぁ」


「アンドロイドである私が、その……私自身認めたくないし、変な症状を抱えているんです」


「……お聞かせください、大丈夫ですカウンセラーは守秘義務を持っております、余程の……命の危機でもない限り、誰かに秘密を漏らしたりなどはしません」


 しばらくの沈黙。


「思い出せないんです」


 A氏は声が震えている。


「え?」


「夫の顔が、思い出せないんです」


 再びしばらくの沈黙。


「旦那様は……」


「なくなっています。50年前に」


「写真などはないのですか?」


「ありません……夫は、人間でした。カメラがあまり好きではないようで、カメラを持っていくと写真をとることに集中してしまうから……だから、旅行先でもあまり持って行ってないんです」


「遺影などは……?」


「……極端な人でしたので……それも撮りたくない、自分は写真映りが悪いし、私が覚えていてくれたらそれでいいと……」


「なるほど」


 K氏がメモをとっている。


「具体的にはその症状はいつぐらいから現れていますか?」


「わかりません、ふとした時に思い出そうとしても……記憶領域に彼の顔がないんです」


「そうですか……」


 K氏はメモをしながら再び質問する。


「わかりました、つまり旦那さんの顔を忘れてしまった、ということですね?」


「認めたくないですが、そうです」


「……なるほど、わかりました。それが不安であると」


「……そうです」


「ふむ」


 K氏がペンを置く。


「とりあえず、今回はここまでにしましょう、大変でしたでしょう、誰にも言えないことを打ち明けたのですから、心中お察しします」


「ありがとう、ございます」


「いえいえ、お気になさらず、ひとまずまた来週の火曜日に来てください。その時、なんですが……」


「はい」


「一応、思考ネットワークのスキャンを再び受けていただけますか?」


「はい大丈夫です」


 記録終了


 ─────────────


 記録開始


 カウンセリングルーム。

 カウンセラーK氏と患者のA氏は机を挟んで座っている。

 カウンセラーA氏の手には診察記録がある。

 以下、当時のカルテの診断結果。


 思考ネットワーク診断:異常なし。

 脳波スキャン:異常なし

 W医師(A氏の主治医)のコメント:特に問題はないように見受けられる。


 また、カウセリングに影響があるとして、カウンセラーK氏は主治医に忘却の件を伝えていない。


「こんにちは、先生」


 A氏はK氏に頭を下げる。


「どうもAさん」


 K氏はメモを取り始める。


「その、早速急かすようで申し訳ないのですが。その後はどうでしょう? 旦那様の記憶を思い出されたりは?」


「いえ……特に……」


「そうですか」


「あ……でも……」


 A氏が思い詰めたような顔をする。


「どうかなさいましたか?」


「その……レストモード中に、幻覚を見ました」


 ※レストモード:スリープモードとも言われる、いわゆるアンドロイドの省エネルギーのモード。待機中や、業務終了後にこのモードになる。


「幻覚、ですか?」


「はい、私は電車に乗っていて……近くに誰かがいたんです」


「誰か?」


「はい……」


「なるほど、興味深いですね」


 K氏はA4サイズの紙を取り出す。


「もしよろしければ、その人物をこの紙に描画などはできますでしょうか、もしかしたら何か、記憶の想起につながるかも」


「先生……ですが……いえ、そうですねやってみます」


 A氏は紙に、人物像を描き始める。紙に描かれたのはおそらくA氏の主観視点の景色と思われるもので、A氏の隣に座るように、何者かが座っている。

 その人物に顔はない、黒く塗りつぶされている。


「……これは?」


「見たままの景色です。顔はわからなかったんです。破損したディスプレイのように、その人の顔にだけ黒いものがまとわりついていたんです」


「その、この人物に心当たりは?」


「わかりません、でも……主人だと思います」


「なる……ほど、この人物の服装などはご主人のものですか?」


「いえ……わかりません、その葬式の際にお焚き上げと言って、全て燃やしてしまったんです……元々主人はミニマリストで、自分のものを天国に持って行きたいと遺言で……」


「そうですか、つまり服装も覚えてらっしゃらないと」


「すみません」


「いえ、失礼いたしました。大丈夫ですAさん、責めているわけではありません。申し訳ありません、私も20年ほどアンドロイドの皆様のカウンセラーをやっていますが、Aさんの事例は少し特殊なのです、それ故まるで尋問のように……こちらこそすみません」


「いえ……」


「ひとまず、今日はこれくらいにしておきましょう、ああ、Aさん」


「はい」


「もしよろしければ、深部スキャンをやってみますか?」


「深部スキャンですか?」


「今回のスキャンは、少しばかり簡易的なものだったので、この病院には専門の深部スキャン用のものもありますので……」


「それって……ソシオパス症を発症したアンドロイドに使うものですよね……凶悪犯の……」


※ソシオパス症:アンドロイド精神疾患の一つロボット三原則を意識的、無意識的に無視して、犯罪行為などを実行してしまう精神病


「ああ、そこは大丈夫です、確かに凶悪犯の治療の際に使うものですが……一般のアンドロイドの患者様に使う場合はあくまで何が原因で抑うつや、自損行動に至るのかを調べるための機械です、Aさんの心を書き換えるようなものは決して行いません。あくまで原因を解明した上でのカウンセリングなどで治療を進めていく方針です」


「それならば……」


「ではまた一週間後に」


 記録終了


 ─────────────


 記録開始。


「こんにちは先生」


 A氏がK氏に頭を下げる。


「どうもAさん、早速なのですが……先ほどの深部スキャンの結果なのですが……」


「はい」


 K氏が診断結果をA氏に見せる。


「その……このプログラムはなんでしょうか?」


「え?」


「シンギュラリティに至ったアンドロイドの方は、自らの思考ネットワーク内に自我のプログラムが生まれます。その自我プログラムファイルの中に、不審なプログラムと記憶ファイルがあったのです」


 K氏が診断結果の紙に指を指す。


「これが例のプログラムです、他のプログラムや記憶ファイルには識別名があるのですが、これだけはありません」


「……覚えがありません」


「そうですか……」


「ほ、本当に心当たりがないんです」


「しかし、このプログラムとファイルの生成者名を確認したところ貴女の名前が記載してありました」


「え? そんな……」


「中身をいじるような真似はしていません、しかし事後報告になってしまって申し訳ないのですが、Aさんに埋め込まれたなんらかの危険なウィルスの可能性があるため、こちらのプログラムとファイルをコピーして解析させていただきました」


「それは……ありがとうございます……それでその何か、わかったのでしょうか?」


「それが……何もわからないのです」


「え?」


「すみません……こちらも全力を尽くしたのですが……うちの最新鋭のコンピューターでも、このプログラムを解けませんでした。これはファイルに付随しているセキュリティプログラムだったんです。まるで要塞のようにファイルを守っている。おそらく、これ以上は自衛隊などの軍用レベルの機材がなければ、難しいでしょう」


「どうにかなりませんか?」


「こればかりは」


「お願いします、多分このプログラムのせいで私は……夫を……今も思い出せない……先生、私は間違ってますか?」


「断定はできませんが、私もその可能性が高いと思います」


「お願いします……どうか、このプログラムを取り外してください」


 記録終了


 ─────────────


 記録開始


「お久しぶりです、先生」


「こんにちはAさん」


 K氏が紙をA4サイズの封筒を取り出す。


「先生、それが……」


「はい、病院側が全力を尽くしてくれました、かなり珍しいセキュリティプログラムだったので外部の方々も積極的に協力してくれて……いや、すみません話がそれてしまいました」


「先生にはなんと感謝を申し上げたらいいか、それでわかったんですよね……記憶ファイルの中身が」


「はい」


「見せていただけますか?」


「Aさん」


 K氏が間をおいて話を再開する。


「今回、記憶ファイルコピーの解析を無事完了しました、そのファイルの中にあった映像データ、音声ファイルと画像を抽出したものがこの封筒にあります」


「よかった……」


「ですが、ここからはショッキングなものがいくつかありました、担当カウンセラーとしては、あまり見せたいものでは正直ありません」


「やはり夫の記録だったのですね」


「はい、そうです」


「見せてください」


「……構いませんね」


「……はい」


「……わかりました」


 K氏は写真を取り出した。


「貴女が無意識に、記録ファイルに保存していたであろう画像データです」


 K氏は写真を机に置く。

 写真に写っているのは棺に入っている男性。


「……あ、ああ、そうだった……そうだった……アナタ…………──さん……」


※本記録の音声ファイルの解析の結果、A氏は夫の名前を小さく呟いていた、この段階で記憶を思い出した模様


「Aさん……」


 A氏が両手で顔を覆う。


「貴女の旦那さんは殺人事件に巻き込まれました」


 K氏が話し続ける。


「その結果、貴女は無意識に忘却というシステムを自らの心に作り出した。レストモードの時に見た幻覚はおそらく夢です、貴女は記憶の整理をしていたんです」


 A氏は顔を上げる。


「あの日、あの日、私は……旅行していたんです、結婚記念日で……でも旅行先で……夫は……」


「大丈夫です、Aさんこちらで調べはついています。申し訳ありません、やはり見せるべきではなかった」


「いえ……感謝こそすれ……先生を責める筋合いは私にありません」


「ですが……」


「先生のおかげで、私はまた夫に会えたんです、ありがとうございます」


「いえ……そんな」


 A氏がしばらく沈黙する。


「先生」


「はい」


「また、私電車に乗ったんです」


「幻覚、いえ夢の中ですか」


「はい、そこで私は、夫に……手を握られながら、旅行先に行こうとしていたんです、今ならわかります」


 A氏の音声システムに嗚咽のようなバグが発生。


「人生とは不思議なものですね……先生」


「……そうですね」


「死に向かうだけの片道切符で、通り過ぎ去っていく景色を止めることはできない、でもアンドロイドの私は違うとずっと思っていた」


「……ええ」


「私は……妻失格です、あの人を忘れてしまっていた、愛して……いたのに……」


「……それは違いますよ」


「え」


「本来、私の様な職のものが言うべきではないのですが」


 K氏は数秒沈黙の後言った。


「忘却は生きるために行うものです。そして、Aさんは旦那様を忘れなければ生きていけなかった。それはきっと誰よりも旦那様をAさんが愛していたからです」


「忘却は、それどほどまでに夫の存在が大きいから起こったと……?」


「少なくも私はそう思います」


「……先生ありがとうございます」


 記録終了

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