第九話 数多なる「未来の姿」

「……何を望んでる、とは?」

 顔を引き攣らせ、私は尋ねる。


「何もかもがなんだ。君はオリヴィア・ルナールじゃないんじゃないか?」


 うおおおお! マズい! なんか、バレてる!

 ……って、バレるよね、そりゃ。


 私は大きく息を吐き出すと、ステファンに頭を下げた。これ以上隠し通すのは無理だと思った。初めからこうして真実を告げればよかったよね。プレストには申し訳ないけど、やっぱり嘘はよくない。


「申し訳ありませんでした」

 精一杯、誠心誠意、謝罪しよう。たとえそれで処刑されようとも、仕方がないことだわ。

「……なぜ謝る?」

「それは……って、ええええええええっ?」

 私の視界に、とんでもないものが映る。見間違いなんかじゃない。あれは……あれはっ!


「ステファン様、少しここでお待ちいただけますかっ? あの、私……ちょっと用を足して参りますのでっ!」

 ガシッとステファンの肩を掴み、近くのベンチに座らせる。「待て」の手つきでステファンをフリーズさせると、私が見た“あるもの”に向かって走り出した。

 屋台の間を縫って歩くその姿を見失うことなく跡を付け、建物の陰になったところで手を伸ばし、むんずと掴み掛る。もう二度と離さない!


「オリヴィア様!」


 いきなり腕を掴まれたオリヴィアは、体を震わせ振り向いた。髪を短く切り、町娘のような服装に着替え、ハンスと腕を組んで歩いているその姿は、どこからどう見ても幸せそうな一般人。公爵令嬢からは程遠かった。


 それに対して今の私は、行き届いた手入れをされ、素敵なドレスに美しい化粧、一見するとどこかの令嬢に見えるのだろう。

「……え? どなた?」

「どなた、じゃありませんよぉぉ!」

 ここであったが百年目とばかり縋りつく私を見て、やっと気付いてくれたようで、

「もしかして、セレナなのっ?」

「もしかしなくてもそうですよぉぉ! もぉぉ! なんで戻って来てくれなかったんですかぁっ! ずっと待ってたのにぃぃ!」

 涙目で訴える私を見て、ハンスと顔を見合わせる。


「セレナ、その恰好は一体……?」

 首を傾げるオリヴィアに、ハンスが「あっ」と声を上げる。

「セレナ、君、もしかしてマクミリア公爵家に“オリヴィア・ルナール”として迎えられてるんじゃないのか?」

「ええっ?」

 ハンスの言葉に、オリヴィアが驚いた声を上げる。私はぐっと口をへの字に曲げ、目に涙を溜めながら小さく頷いた。

「まぁ、そうだったの、セレナ!」

「オリヴィア様が戻ってこなくてっ、私、どうしていいかわからなくてっ。マクミリア公爵様のお屋敷に辿り着いたら……誤解されてっ」

「それで、どうしてここに? もしかして……追い出されてしまったの?」

「いえ、そうではなく……今日はステファン様に誘われて町を案内していただいてます」

「ええっ? あの冷徹公爵令息にっ? 女性とあらば誰であろうと冷たい視線を一瞥くれるだけって噂の、あのステファン様にっ?」

 ……酷い言われようだ。同情しなくもない。


「そんなに酷いお方ではございませんよ?」

 一応、訂正しておこう。

「そう……。だから追手がなかったのね」

 ほぅ、と胸を撫で下ろすオリヴィア。

「追手が来るかもしれないとわかっていて、どうしてまだこの街に留まっているのですかっ? てっきり私は、もっとずっと遠くへ逃げてしまったものと」

「それよ!」

 ピッと指を立て、オリヴィアが微笑む。

「手持ちの荷をすべて売り払いお金に変えたなら、きっと遠くへ行くだろう、って思うでしょ? だからあえてこの街に留まっていたの」

 どうだとばかり話をするその顔を見て、私は溜息を吐く。

「なるほど……?」


 浅はかというかなんというか。すぐに追手が出ていたら、見つかっていただろう。私が時間稼ぎをしているおかげで、のんびりしていられるんだぞこら。


「そうか、その手があったんだ!」

 ハンスがポンと手を叩く。

 ……なに、そのポン、て。


「セレナ、ステファン・マクミリアという人物をどう思う?」

 は? なんだその質問?

「どう……とは?」

「噂通りの酷い男か?」

 ハンスにそう問われ、思わず首を振る。

「いいえ、そんなことありません。とても真面目で、少し不器用で、自信過剰な面もありますけど……だけど、悪い方ではないと思います」

「それなら、だ」


 ハンスはオリヴィアに向き直り、

「このままでいいんじゃないかな、

 と、私の名を呼んだ。私に、ではない。、だ。

「……ああ、そういうことねっ」

 オリヴィア様、胸の前で手を組んできらっきらの笑顔で頷いてるけど……? まさか……まさかでしょっ?


「父には私から文を出すわ」

「オリヴィア様っ? いくらなんでもバレますよそれは!」

「私、ほとんどパーティーへは出ていないし、ここは辺境だもの、バレやしないわ。それより、ねぇ、聞いてちょうだい」

 私の手をぎゅっと握り、じっと見つめてくるオリヴィアは、なんだか少し印象が変わったかもしれない。

「この縁談は、ルナール家にとってとても大切な縁談なの」

「それがわかっているならなんでっ」

「それは……私は家族よりハンスとの未来を選んだからよ。なによりも大切なものを、諦めなかったから」

 強い、言葉だった。


「セレナ、あなたはいつも“平凡でありたい”って言ってたわね」

「はい」

 そうですぅ。私は平坦なダラッとした毎日でいいんですぅ。

「誰のどんな人生にも、平凡なんて有り得ないのよ? あなたが気付いていないだけで、あなたの人生には冒険や感動や驚きが沢山あるの」

「……」

 そう言われ、思い出す。地味な私に起こった、小さななにか。そのひとつひとつが、私にとってはちゃんと“事件”だったこと。

 言われてることの意味は、分かるつもりだけど。


「今回は少しばかり大きな出来事がやってきた。そういうことよ」

 ニコッと笑う。

 ああ、そうですねぇ、ちょっとばかり大きな事件が私の身の上に起こったわけですねぇ。うんうん。……ってぇ! ニコッとしてる場合か!


「なにを言ってっ」

「あなたはこのまま、生きましょう」

「……はぁぁ?」

 とんでもないこと言い出した。そんな気はしてたけど。でも、気がしてたのと実際に言われるのでは意味が違う。ぜんっぜん違う。


「私ね、あの日から“セレナ”を名乗ってるの。だから、あなたに“オリヴィア”をあげるわ!」

「そんな簡単に交換できるものではっ」

「お父様には事情を話しておくから大丈夫。ルナール家としては、マクミリア公爵家との婚姻が最重要案件だから、あなたは我が家の救世主ってことになるのよ!」

「冗談でしょうっ?」


「……なにが冗談なんだ?」


 私が声を荒げたその直後、背後から声が聞こえた。その声はとても不機嫌そうに、怒った様子で、だけど私はその声の主を知っているし、だから、振り向きたくはなかった……けど。


「オリヴィア、こんなところでなにをしているんだ?」


 ステファン・マクミリア公爵令息の登場である。


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