【短編】Return to Floor<茄子と胡瓜のお祭り編>

雪象

起-1:働きすぎのヤギとオオカミ

 じりじりと地面を焼く太陽がアスファルトを歩く少女の足元に黒点を落とす。顔をあげる気力もなく自分の足元より少し先しか視界に入らないが、ついてまわる自らの影以外はどこまでも照りつけられた眩しいコンクリートしかない。


「もう……『ヤギ』も、『オオカミ』も……働きすぎ……」


 まだ午前中だというのに背中にじっとり流れる汗が彼女のワンピースに張り付く。ただただ気持ち悪いばかりで少しも歓迎されない。

 肩から羽織る大判のストールだけが直射日光からその身を守るが、防ぎきれない熱が小さな身体を襲う。


 彼女、泡方あわかたさくらは忌々しそうに晴れ渡った青空を睨みつけた。



 ————その視線の先に浮かぶのは、この死後の世界を照らす二つの太陽。



 北から南へ横断する一の太陽、通称・オオカミの狩り。

 東から西へ横断する二の太陽、通称・ヤギの荷車。



 この世界の四季は、その二頭の彼らによって擬似的に再現される。


 今は現世で言うところの『夏』。嫌がらせのように二つの太陽がほとんど毎日、地表に現れては苛烈な熱線をこの土地に浴びせる。さらに姿の見えない蝉の声がいっそう暑さに拍車をかけた。


 連日その熱は夜を迎えても冷めきらず、地表に蓄熱された暑さがいくらか尾を引いて翌日また熱線で大地を灼き尽した。


「今日はとくにヤバい……、なんなの……? ケンカ売ってる……?」


 再び視線を足元より少し先に戻した。帽子が無いのでひたすら顔を太陽から背けるしかないが、背けたところで照り返しがアッパーカットを入れてくる。


 本当は屋内でゆっくり過ごすつもりだったが、やむを得ず部屋を出なくてはならなくなった理由がある。


 今朝のことだ。眠っていたところ、明け方にじわりと汗がまといつき寝苦しさに目を覚ました。

 不快感を引き起こした原因はエアコンの故障だった。この猛暑のせいか宿舎の設備がやられてしまったらしい。


 すぐに管理人に言いに行ったところ他にも同じように壊れた部屋がいくつかあるそうで修理までに順番待ちとなった。


 午前中にも関わらずぐんぐん気温が上がる室内。窓から入ってくるぬるい風は時間が経つほどに温風へと変わった。


 いつ修理の順番がまわってくるのか分からない中、ついに限界を迎えたサクラは部屋を脱した。蒸し風呂の部屋を捨て、涼しい場所を求めたのだ。


 そうして彷徨うこの街。この暑さで人はほとんど外に出ていなかった。うつろな目で辺りを見渡すとため息がこぼれる。


「私も出ないで済むなら帰りたい……」


 自分のため息にすら、こもった熱を感じるようでさらにウンザリする。


 役所に行き、スーパーに行き、カフェに行き。


 役所も最初は良かったが、何も用事がないのに待合いのソファに座ってることに対して次第に気まずさを覚えて外へ出た。


 やがて移動したが、お金を持っていないため後の二箇所はとても長居できない。早々に店を後にした。


 そして今。彼女は最後の救いを求めて、図書館を目指した。


 市民憩いの場。知識の大聖堂。最後の祈り。


 徒歩しか手段のないサクラは、ひたすら灼熱の中を歩いた。普段ならさほど気になる距離ではないが、この炎天下では立っているだけで体力を消耗する。


 いつもよりずいぶんと遠く感じられる道のりで首元の汗をハンカチで拭った。


「ふう……あとちょっと……」


 歩みを止めた彼女が見上げたのは、街の中としては異質な巨大な石垣とその頂上へ続く長い石階段。


 彼の地は目の前にそびえ立つこの長い石階段の上に。もう間もなくだった。


 石階段の中央に備え付けられた手すりを掴みながら上り始める。鉄製じゃないことが救いだった。もはや手すりなしに上れる気がしない。


「もっと下の方に建ててくれれば良いのに……なんでこんな場所に……」


 文句をこぼしながら一歩一歩足を動かし階段を上る。


 石垣に囲われたその場所は、城でも在った方がよほど自然。この階段も石垣も敵兵を阻む要塞に思えた。そんな場所に街の図書館はあった。


 なぜこんな場所に建てられたのかは分からない。もしかしたら本当に城があったかもしれないが、今のサクラにはそんな興味みじんも湧かなかった。


 どこからともなく聞こえる蝉の声がやがて遠くなる。顔も上げられず手すりと階段だけが視界に収まる中、全てが照り返してくる景色に焦点が定まらなくなる。


 へとへとになりながらようやく半分ほど上った、その時。


「あっ……」


 ——油断した。


 彼女は踏み出した石段から足を滑らせてしまう。わずか一瞬、意識が遠のき手の力が緩んだことで手すりを離してしまった。


(まずい……!)


 重心を失い浮遊感。のちに後ろに身体を持っていかれるも、手すりは既に指先離れ無防備な我が身。


 咄嗟とっさのことに反応できず、ぐっとその身に力を込めることもできず。サクラは落下を覚悟して、ただただぎゅっと目をつぶった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る