だれも知らない森のスライム

柾いさな

だれも知らない森のスライム(全文)

……ああ、死んでしまったのね。


 血を流して、倒れて、あなたの鼓動はもう戻らない。

 それでも――あなたの瞳は、最後の最後まで、誰かを想っていた。


 かわいそうな子。

 あなたにしてあげられることなんて、もう――


 ……そうね。

 スライムにしてあげるくらいしかできないけど……

 せめて、つらい記憶は、消してあげましょう。


 ……だから、今度こそ。

 せめて、少しでもやさしい世界で。


 痛みも、後悔も、すこしだけ眠らせてあげる。


 わたしにできるのは、これくらい。

 あなたを、ちいさな、透明な命に変えることくらい。


 ――幸せになってね。


 ***


 森は、まいにちちがう顔をしていた。

 雨の日は、きらきらした雫が草のうえにのっていたし、風の強い日は、落ち葉がふわふわ舞って追いかけっこができた。


 ぷるぷるっ。


 わたしはその中を転がったり、のびたり、ちぢんだり。

 ぺたぺた地面を這いながら、気に入ったものを「ぺとっ」とくっつけていく。


 たのしい。

 なんでか知らないけど、「たのしい。」


 最初は、ただの落ち葉や石ころばかりだった。

 けど、ある日、「いいにおい」がする根っこを見つけた。

 ちょっとかじってみたら、あたたかくなった。


 それからは、「においのするもの」を探すのがブームになった。


 鼻なんてないけど、空気が「ぴりぴりする場所」がある。

 そこをうろうろしてると、なんとなく見つかる。


 甘い苔。ぬるぬる光る葉っぱ。青く透ける花びら。


 どれも、なんか好き。

 それだけでじゅうぶんだった。


 たまに、ほかの魔物がやってくる。

 でも、わたしはよけるのが得意だった。


 ころんと転がって木の根の下に隠れたり、石のふりをしたり。

「気づかれないこと」にも、ちょっとだけ自信があった。


 人間が来たときも、そうだった。

 おっきなかごを背負って、シャベルを持って、葉っぱを踏みながら歩いていた。


 何を探してるのかはわからないけど、「空気のざわざわ」が伝わってくる。

 ああ、このあたりに「ほしいもの」があるんだな、って。


 だから、そのへんにあった実を、ちょっとだけ押して転がしておいてみた。

 わたしが遊んでたやつだけど、まいっか、って。


 誰かがそれを見て、「助かった」って顔をするのを見るのも、わりと好きだった。


 意味はよくわからないけど、森のなかの空気が、すこしだけやわらかくなる。

 その瞬間だけ、なんとなく、うれしい。


 その日も、いつもと同じように森をまわって、

 なんかぴかぴか光ってる草を、たくさん集めて帰った。

 それが、「あんなことになるなんて」、そのときはまだ、ちっとも知らなかった。


 ***


 その日、森にひとりの人間がやってきた。

 これまでの誰よりも、重たい空気をまとっていた。


 髪は乱れて、手は土だらけ。

 かごの中は空っぽ。足音だけが、ざくざくと草を押し分ける。


 ――この人、たくさんさがしてる。

 ――でも、ぜんぜん見つかってないみたい。


 木の根のかげから見ていたわたしは、ころりと身をかがめた。

 空気がちくちくする。

 なんだか、まえに落ちていた「しずんだ葉っぱ」のにおいがする。


 男の子は、ひざをついた。

 そして、震える声で、ひとりごとのように言った。


「ここに……あったはずなんだ……。この薬草が……あれば、母さんは……っ」


 薬草。


 それって、わたしが昨日、たくさん集めて、石の下にぺたぺた貼りつけて、「きれーい!」って喜んでた……あれのこと?


「っ、なんで、どこにも……! こんなに探し回っているのに……なんで、なんでなんだっ……!」


 スライムは、そっと震えた。

 でも、男の子に見つからないように、じっと見つめていた。


 彼の目から、透明なものがぽたぽた落ちていた。

 その音が、地面の苔に吸い込まれていく。


「母さん……ごめん……俺、ぜんぜん役に立てなかった……」


 ――おかあ、さん?

 ――なんだろう、それ。


 よくわからない。

 でも、胸のどこかが、きゅうっとなった。


 なんでかしらないけど、

 わたしの「たのしかった」が、ぜんぶ、にがくなるような気がした。


 さっきまで、ぴょんぴょんしてたのに。

 さっきまで、「いいね〜!」って思ってたのに。


 ――やっちゃった……?


 からだの奥が、すこしだけ冷たくなった。

 ころん、と木の根もとに転がって、

 わたしははじめて、「それ」を知った。


 わたしの「たのしい」が、

 だれかの「たいせつ」を、うばってしまうことがある――ってことを。


 ***


 次の日、またその少年が森に来た。


 ちょっとやつれてたけど、歩く足取りはおもくなかった。

 手には小さな袋がぶら下がっていて、ときどき落ちている木の実や草を拾いながら、それを探していた。


「……っ。あ、あった!」

「……どうして、こんなところに……?」

「……誰かが置いたのか? いや、まさかな」


 ――だれか?

 ――それって……わたし?


 スライムは、葉っぱのかげから首をのばすようにぷるんと伸びた。

 昨日、男の子が泣いていた場所に、こっそり「あの草」をひとつだけ戻しておいたのだ。


――どうしたらいいかわからなかったけど、なんとなく、「ここに置けばいい」気がしたんだ。


 男の子はそれを拾って、しばらくじっと見ていた。

 それから彼は、そっとそれを袋に入れて、静かに帰っていった。


 スライムは、そのあとも森を歩き回った。

「いいにおいのするもの」

「つるつるしたやつ」

「ふわっとしたの」


 たくさん見つけて、ひとつずつ、まるくなって抱えて運んだ。


 目的なんてない。ただ、

 ――このまえ、届けたときに

 ――「あの空気」がすこしだけ、あたたかくなった気がした。

 それが、うれしかった。


 何日かして、また、同じにおいを感じた。

 こんどは、森のはずれのほう。

 そっちに行くと、「空気が似ている場所」があった。

 あの男の子のにおい。

 でもすこしだけ、疲れていて、しょんぼりしているにおい。


 ――あの子、ここに帰るんだ。


 扉の前に、こっそりと素材をひとつ置いた。

 白くて、まるくて、ふわふわしたきのこ。

 からだにくっついて、運ぶのがたいへんだった。

 でも、男の子がよろこぶかもしれないと思った。


 そして、それが最初の「贈り物」になった。


 それからというもの、スライムは森で素材をあつめては、こっそりとその扉の前に「ぽとん」と置いていった。


 たまに、きょろきょろする足音がした。

 たまに、「……まただ……」って声が聞こえた。


 でも、だれもわたしを見つけなかった。


 それでいい、と思った。

 それが、いい、と思った。


 ***


「……また、あった……」

 ヘゼルは扉の前にしゃがみこみ、小さな布袋をそっと持ち上げた。

 中には、干した薬草、淡い色の花びら、白い茸。

 どれも、森の中でもかなり深い場所にしかないはずのものだった。


「誰だよ……こんなの、どうやって……?」


 誰かが、夜のうちに置いていった。

 けれど、まるで気配もなければ、足跡もない。


 最初は不気味だった。

 けれど、何日も続いて、毎回少しずつ違う品が入っていて、

 それがどれも、自分が探していた物に近いことに気づいたとき――


「もしかして……俺のこと、見てたのか……?」


 ふと、森で泣いていた日のことを思い出す。

 誰もいないと思っていた。

 でも……あのとき、「風が妙に生あたたか」かった。


 村でも噂になりはじめていた。


「最近、薬草が増えてるそうじゃねぇか」

「森の神様が見てるんだとよ」

「いや、逆だ。魔物の罠って話もある。人間を油断させて……」


 誰もが「誰が届けているのか」はわからなかった。

 それもそのはず――誰も、スライムがそんなことをするなんて思っていなかったから。


 スライムは、変わらず森を歩いていた。

 きょうも、すこし苦いけど効きそうな根っこを見つけた。

 背中にくっつけて運ぶのが難しくて、ころころ落としながら、それでもなんとか扉の前まで運んだ。


 夜だった。

 月がでていた。


 そっと、ぽとり。

 おいて、ころんと身をひねって、かげにかくれる。

 しばらくすると、扉があいた。


 ヘゼルが、そっと外をのぞく。

 何か言うかと思ったけれど、ただ、そっと拾い上げて、ぽつりとつぶやいた。


「……ありがとう。……誰かはわかんねぇけどさ」


 ――「ありがとう」って、きこえた。


 スライムは、ぷるぷるっと震えた。

 わからないけど、なにかが、うれしかった。


 ***


 その日、村はざわついていた。


「北の斜面で子どもが襲われたってよ」

「目撃情報はないが……最近、妙なことが続いてるだろ」

「あの『贈り物』ってやつも、よく考えりゃ気味が悪い」


 森に現れる「何か」の正体は、誰にもわからなかった。

 そして人は、わからないものを恐れる。


 そして恐れたものを、壊そうとする。


「……まさか、あれも……」

 ヘゼルの胸のなかに、ひとつの思いがよぎった。


 ――あの夜から毎晩、薬草や素材が扉の前に置かれるようになった。

 ――誰もその姿を見ていない。


 でも、自分だけは知っている。

 森で泣いていたあのときの、あの空気。

「誰か」に見られていたような、ふわっとした感覚。


 そして――

「ありがとう」とつぶやいた夜に、どこかの木陰がぴくりと動いた気がしたこと。


 その夜、ヘゼルは森に入った。


 まっくらな木々のあいだ。

 手には弓。肩には矢筒。


 なにかが、ぴと、と落ちる音がした。

 目を凝らすと、小さなふくらみが、草の上を転がっている。

 それは、あの袋と、まるい白い茸。


 ――いつもの贈り物。


 そして、その後ろに。


 ――ぷるん。


 光を浴びて、やわらかく揺れる球体がひとつ。


 ヘゼルは、息を飲んだ。

「……お前、だったのか」


 スライムは、にじり寄る影に気づいたのか、

 ぴたり、と動きを止めた。

 それから、小さく震えるように、素材を一つ前に押し出した。


 ――「とどける」。

 それだけの行動だった。


 けれどヘゼルの脳裏に、村人たちの声がよぎった。


「魔物は、罠を張る」

「人の信頼を利用するやつもいる」

「油断するな。甘く見るな」


 矢をつがえた腕が、震えた。

 心が、揺れた。


 ――その一瞬、風が吹いた。

 葉がざわついた。

 スライムの形がぶれる。


 反射的に、矢が放たれた。


 ――ひゅっ。


 ――ぐしゃ。


 静寂が落ちた。


 スライムは、草の上でぐにゃりと倒れていた。

 体の一部が裂け、ぷしゅう、と音がした。


 そして、背中から、透明な袋、白い茸、薬草の束、青い羽根、蜜苔、火石のかけらが、ぽとぽとと、ひとつずつ、地面にこぼれ落ちていった。


 どれも、ヘゼルが今まで――

 いや、母が病気のときからずっと欲しがっていたものだった。


 風が止んだ。


「……ちがう……お前……」


 ヘゼルは、弓を落とした。


 足がふらついた。

 目の前の、何も言わず、何も知らず、ただ「届けてくれていた」存在に、言葉が出なかった。


 スライムは、なにも言わず、ただ静かに、しぼんでいった。


 月が、静かに森を照らしていた。


 草の上に、いくつかの「贈り物」が残っていた。

 白い茸。薬草。青い羽根。透明な袋。

 そのとなりで、小さな命が、もう動かなくなっていた。


 それは、

 誰かのために集めたもの。

 誰かのために残したもの。


 けれど、それを集めていた者が、どんな気持ちでいたのか、この世界の誰も、知らなかった。


 ***


 ──……ほんとうに、また、あなたなのね。


 光のなかから、女神の声がした。

 やわらかく、ふるえるような響きだった。


 ──記憶を消してあげたのに。

 ──今度こそ、痛みも、後悔もないようにしたのに。


 それでも、あなたはまた誰かを想って、また、誰かのために死んでしまった。


 そのちいさな体で、言葉も持たずに。

 名前すらも捨てたままで。


 女神は、跪くようにしてその命に手を添えた。


 空気が震え、草がそよぎ、あたたかいものが、からだから立ちのぼっていく。


 それは、だれにも気づかれずに散った「想い」だった。

 だれにも知られなかった、無償のやさしさだった。


 けれど女神は、知っていた。


 その名を。

 その願いを。

 その、ずっと昔の後悔を。


 ──……ごん。

 ──お前というやつは……。


 ふっと、ひとしずくの光が溶けるように夜に消えた。


(おわり)


* * *


【あとがき】

本作は『ごんぎつね』への小さなオマージュです。

MVもあります: https://www.youtube.com/watch?v=43UhdkgI9W0

読んでくださって、ありがとうございました。

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