第15話「アル=ハマダの傭兵団事件(前編)」

アル=ハマダの砂漠は、容赦なく太陽の熱を大地に叩きつけていた。昼間の熱気は、夜の冷気に切り替わり、焼けた鉄のように熱かった砂は、あっという間に体温を奪う冷たさに変わる。風は、熱気を帯びたまま、夜の闇に沈んだ古戦場の残骸を撫でていく。遠い昔、この地で朽ち果てた装甲車や砲台の残骸が、月明かりの下、墓標のように佇んでいた。


マオは、当時、まだ若き傭兵として、この地で、大規模な戦闘に巻き込まれていた。ASのコックピットの中は、昼間の熱気がこもり、蒸し風呂のようだった。額に滲んだ汗が砂埃と混じり合い、歯の間で砂粒が軋む音がする。

彼女の視界に映るのは、敵の傭兵団のASが、砂塵を巻き上げながら、彼女の陣地へと迫る姿。無線からは、戦友たちの悲鳴と、銃声が、絶え間なく響いている。


「マオ! ここは俺に任せて、お前は退がれ!」


年長者の傭兵、ジャックの声が、無線越しに響く。

「…馬鹿言わないでくださいよ、ジャックさん! ここはまだ行けますって!」

「ジェイコブも、ルイスも、もうやられたんだ! このままじゃ全滅だ! わかったら、とっとと退がれ!」

ジャックの言葉は、悲痛な叫びだった。彼のASは、すでに装甲が剥がれ、関節部から熱い煙を上げていた。

しかし、マオの心に、違和感が生まれた。彼女の思考は、フィルタリング型の感情処理を高速で実行する。

(このままでは、彼は死ぬ…)

彼の言葉は、彼自身の命を犠牲にすることを前提とした、非効率なベクトルだった。


『この状況は、まるでチェスだ。ジャックは、自分の駒を犠牲にして、時間を稼ごうとしている。だが、それでは敵の攻勢は止められない…いや、それは愚かな戦略だ。この状況を打開するには、相手のキングを直接狙うしかない。そのためには、彼は重要な駒だ。彼を犠牲にするわけにはいかない…』


マオの脳内では、思考の暴走が始まっていた。彼女は、感情を一切排除し、冷徹に、最適解を導き出す。

「いや、退がらない。私が囮になる。あなたは、私の援護を!」

マオの言葉に、ジャックは絶句する。彼の顔に、怒りと驚きが混じった温度が浮かんでいた。


マオは、自身のASを、敵のASへと向けた。彼女のASは、熱で駆動部が軋み、冷却液の蒸発音が甲高く響いていた。それでも、マオの操縦は、一寸の狂いもなかった。

「あの若造、何を考えているんだ…!」

敵の指揮官が叫ぶ。彼の部下たちは、すでにマオのASの動きに翻弄され始めていた。

マオの動きは、まるで舞踏のように優雅で、それでいて、相手を確実に仕留める、鋭いベクトルを持っていた。彼女は、敵のASのセンサーが砂埃で誤作動を起こす一瞬を突き、関節部を正確に撃ち抜いていく。


「くそっ、あの小娘…!」


敵の指揮官が叫ぶ。彼の部下たちは、一人、また一人と、砂漠に倒れていく。

「…若い女の傭兵が、なぜここまでやる…?!」

マオは、その声に、かすかに笑った。彼女の心は、激しい戦闘とは裏腹に、驚くほど冷静だった。しかし、その冷静さの裏には、仲間を守るという、熱い情熱が秘められていた。


戦闘は、激しさを増していった。マオは、敵のASの攻撃を、紙一重でかわし、反撃を繰り返す。彼女の瞳は、敵のASの動きを、完璧にフィルタリング型で処理し、最適解を導き出していた。彼女の指先が、ASの操縦桿を叩くたびに、敵のASが、一つ、また一つと、地面に倒れていく。


その時、マオの視界に、敵の狙撃兵が映った。彼は、マオのASを狙っている。

マオは、即座に、回避行動を取ろうとした。しかし、その時、年長者の傭兵、ジャックのASが、マオの前に立ちはだかった。

「マオ! 退がれ!」

ジャックの叫び声が、無線から聞こえる。

(なぜ…? なぜ俺は、この小娘を守ろうとしている…?)

ジャックの脳裏に、故郷で待つ娘の顔がよぎった。彼女は、マオと同じくらいの年齢だった。

(…こんな場所で、死なせてたまるか…!)

彼の最後の叫び声が、無線から聞こえる。マオは、彼のASが爆発する瞬間を、まるでスローモーションのように感じていた。爆炎が視界を埋め尽くす。熱風と、焦げ付く鉄の匂いが、コックピットの中にまで流れ込んできた。


マオは、その場で立ち尽くしていた。彼女の心は、絶望と無力感で満たされていた。彼女は、「失いたくないものを守るためには、時に非情になる必要がある」という教訓を得たはずだった。しかし、彼女は、仲間を失った。彼女の心に、深い悲しみと後悔のベクトルが刻み込まれた。それは、彼女の戦場での冷徹な判断力と、仲間のために戦う情熱が、初めて、激しくぶつかり合った瞬間だった。


戦闘が終わった砂漠に、静寂が訪れる。ただ、遠くで、焼け焦げた鉄の匂いが風に乗って漂っていた。マオは、ジャックのASの残骸に、ゆっくりと近づいていった。そこには、彼の名前が刻まれたドッグタグが、わずかに熱を帯びて転がっていた。


その夜、マオは、テントの中で、一人、膝を抱えていた。彼女の瞳は、星のない夜空を見つめていた。彼女は、冷徹に徹する自分と、ただ、涙を流したいだけの自分の間で、激しく揺れ動いていた。ジャックの最後の言葉が、繰り返し脳裏に響く。

(…退がれ、か…)

彼女は、自身の冷徹な判断が、ジャックを死なせてしまったのではないか、と自問自答を繰り返していた。


この一件は、マオの「失いたくないものを守るためには、時に非情になる必要がある」という教訓を、より強固なものへと昇華させる必然性となった。そして、この事件が、彼女の人生を大きく変え、後の彼女の人間的な成長を促す、重要な感情の助走となった。

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