フルメタル・パニック!外伝 ― 陣代高校と〈戦場〉を駆ける者たち ―

五平

第1話「ラングレー港の残響」

ラングレー港に吹く風は、錆と潮の匂いに、微かな焦げついた油と濡れた木材の匂いが混じり合っていた。まるでこれから起こる火災を予兆しているかのように、その混ざり合ったベクトルは不吉な方向を指し示していた。


宗介の耳に届くのは、波の音、遠くで聞こえる船の汽笛、そして隣でクルツが発するわずかな無線機のノイズ。すべてが、研ぎ澄まされた感覚を通して「情報」として処理され、戦闘のベクトルを構成していく。


「目標、30秒後に左舷から接近。……クルツ、撃て」


宗介の指示は簡潔だった。

彼らの任務は、この港に密輸されるはずの兵器の回収。

テロリストが輸送船を襲う隙を狙い、AS(アーム・スレイブ)を一機も失うことなく、物資を奪取する。

宗介にとって、これは完璧に計算されたシミュレーションであり、そこに感情の入る余地はなかった。

思考は、最短距離で最適な解へと収束していく。


「りょーかい、隊長!」


クルツの声が、気の抜けた響きで返ってきた。

しかし、その直前、わずかに息を呑む音が混じっていた。

宗介の脳内に、違和感が生まれた。クルツはいつも、こういう時に軽薄な声で返事をし、そして確実に任務を遂行する。そのギャップが、彼のプロとしての実力を証明していた。

だが今回は違う。彼の声に、わずかな焦りが混じっている。その違和感が、宗介の思考のベクトルを微妙にずらす。


「クルツ、なぜだ?」


宗介が問う暇もなく、爆音が鳴り響いた。

クルツが撃った弾丸は、目標からわずかに逸れ、燃料タンクに命中。

輸送船は、派手な火柱を上げて爆発した。


クルツは震える指でトリガーから手を離し、内心で罵った。

(俺のミスだ。任務を台無しにした…!これで宗介に失望されるかもしれない…!)


耳をつんざく轟音が港全体に響き渡り、火柱から放射される熱気が宗介たちの頬を焼く。

たちまち、港に停泊していた他の船にも引火し、炎上していく。

「キャアアア!」という悲鳴と共に、逃げ惑う群衆の押し合いが始まった。転んだ子供の泣き声が響き、「〇〇!どこにいるの!」と必死に家族を呼ぶ声が風に乗って届く。

宗介は即座に状況を分析した。

このままでは、炎に炙り出されたテロリストが反撃に出てくる。

一般市民にまで被害が及ぶ可能性も否定できない。

宗介の思考は、当初の任務目標から分岐した。

「物資奪取」から「人命救助」へと。


宗介の頭の中で、任務のプロトコルが暴走し、複雑な条件分岐を繰り返す。

『作戦行動マニュアル第17条、狙撃手の配置は……いや待て、マニュアルはアルデンテに茹で上げるパスタのレシピのようなものだ。茹ですぎれば柔らかすぎ、短ければ芯が残る。……俺の部下は今、芯が残っている。このままでは、味も素っ気もない茹ですぎたパスタになってしまう。いや、パスタは任務ではない。俺が今すべきことは、不完全なパスタを救うことだ……!

…いや、待てよ。救出も、訓練も、結局は炊き出しのようなものだ。与えられた食材(リソース)と、仲間(クック)で、最高の食事(ミッションコンプリート)を提供する。ならば、俺は給食当番だ!』といった、軍事マニュアルと家庭的連想が混線する思考の暴走が繰り広げられた。


まるで、高速で回転する歯車が噛み合わなくなったような、不快な摩擦熱が脳内に広がる。

その熱が、宗介に「クルツを失うかもしれない」という不安の助走を始めさせた。

それは、彼が今まで経験したことのない温度だった。


「クルツ、これより、俺の指示は絶対だ。物資は諦めろ。全隊、人命救助に切り替える!」


宗介の声が、クルツの無線機に響く。

クルツは、その声にわずかな温度を感じ取った。

それは、単なる指揮官としての命令ではなく、彼を気遣う、人間的なベクトルだった。

クルツは、そのベクトルに、一瞬だけ安堵を覚える。しかし、その感情はすぐに消え、プロとしての罪悪感へと変わった。自分のたった一つのミスが、宗介の完璧な計画を狂わせたのだ。


この一件は、すぐに終結した。

クルツのミスで発生した混乱に乗じて、宗介は完璧な判断で市民を救助し、テロリストを無力化した。

任務は結果的に成功と判断されたが、宗介の胸には、クルツの「不完全さ」が深く刻み込まれた。

そしてそれは、彼が今後、クルツに対して「過保護」になる、最初の感情の助走となった。


この夜、宗介は自室で、クルツの射撃データを何度も見返した。

冷たい光を放つモニターの前で、宗介の瞳だけが熱を帯びていた。

その温度は、仲間を守り抜こうとする執念に燃える炉のようだった。

彼の心には、クルツの不完全な部分を補わなければならないという使命感だけが、温度を上げていくのだった。

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