第25話 影の決勝戦、最終ラウンド
黒は集まり、形をやめ、塊になった。
通路、階段、壁の隙間――あらゆる影が引き込まれて、ひとつの“夜”が広場の中央に膨らむ。
配管がぎしりと鳴り、ベランダの窓が次々と黒で塗りつぶされていく。
「下がれ!」「中に入れ!」
住人たちの声は震えていた。子どもは泣き、抱き上げられ、足音はばらばらに散っていく。
「団地史上最大の闇ッ! シャドウ・キング! 果たして、どうなってしまうのかああ!?」
グルモが、場違いな熱で空気を裂く。
黒は呼吸するように膨らみ、縮み、広場全体を覆いはじめる。
その表面には無数の“顔”が一瞬だけ浮かび、すぐ溶ける。目だけが、こちらをまとめて見ていた。
――その時、足音が一つ。
「グルモさん、実況は小さめで」
さつきは一歩、二歩。
黒の縁まで歩を運び、息を整えた。
シャドウ・キングが呻き、黒の腕を振り下ろした。
地面ごと抉る一撃。
さつきはひらりとかわす。鉄骨の足場を蹴り、配管に足をかけて跳躍。
団地そのものを舞台にして駆け抜ける。
影の腕が何本も迫る。
「ここで影の連撃っ! さつき選手、ギリギリでかわす! 流れるようなステップだああ!」
さつきの拳が、光を反射するように高く掲げられた。
家事で鍛えたしなやかな腕。
ごつん。
一撃が影の腕を砕き、黒が霧のように散った。
しかしシャドウ・キングは形を崩さない。
闇が蠢き、さらに巨大な顔が浮かび上がる。団地の屋上まで届くような影の顎が開いた。
「おーっと、決め手にはならずー! 逆にピンチかあーーー!」
グルモの実況が震える。
さつきは配管を伝い、屋根を駆け上がる。
夕陽を背に、一瞬シルエットになる。
そして――跳んだ。
さつきは拳を握る。肘、肩、背中――家事で覚えた全部の動線が一本に集まる。
黒い塊の表面がざわ、と逆立った。無数の目が上を見た気がした。
――届く。
拳が黒の核へ吸い込まれて、
ごつん。
衝撃のあと、一瞬、音も色も消えた。
広場に残ったのは、さつきの息と、誰かの喉を鳴らす音だけ。
時が止まったような沈黙。
そして――
夜が後ずさる。
塊だった闇は、糸のようにに細くほどけていき、通路の隙間やドアの下へ、するすると帰っていく。
きしんでいた配管が息を吐き、電灯がぱち、と点いた。
「や、やった……!」「助かった……!」
沈黙の後、歓声が湧いた。泣き声が笑い声に変わり、拍手があちこちから重なる。
グルモは両手を天に掲げ、のけぞる。
「ここで決着っ! 優勝は、チームDNTリーダー、さ・つ・きーーーッ!!」
さつきはちいさく手を振った。
グルモが駆け寄り、マイクのないマイクを突きつけた。
「勝者インタビューです! いまの一撃、名は?」
「……え、えっと、ごつん?」
「短い! では勝因は?」
「お夕飯前だった、から?」
「深い! では視聴者――いや住人に一言!」
さつきは周りを見回し、子どもたちや抱かれた赤ちゃん、肩を落として笑っている大人たちに向けて、指を一本立てる。
「死ぬのが怖いから飼わないなんて、言わないで欲しい!」
グルモが最後に腕を突き上げた。
「本日の名言出ました! 小島令子さんのキャッチコピーだっ! 以上、現場からはグルモがお送りしましたーッ!」
さつきは苦笑して、拳をふうふう。
指先には、影の匂いが残っていた。
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