第9話 広場のクッキー、掲示板の朱印
増築につぐ増築の渡り階段を、とん、とん。配管の奥で蒸気がくぐもって鳴き、広場のざわめきが近づく。
広場には古い通風塔が一本。幹のように束ねられた管が上で花開き、てっぺんの風見竜がくるりと回る。
ベンチの背には小さな札――〈仮置きOK〉。さつきは洗濯カゴをそこへそっと置く。
「さつきさん、よかった!」エルフのお母さん、リエコが駆け寄ってくる。「てっきり、お洗濯の誘惑に呑まれたかと」
「負けかけましたけど、引き分けです」
さつきは胸の前で〇を作る。
輪の中には、マリナ、獣人族のマサエ、それからドワーフの老夫婦も。手作りのお菓子を食べながら、近況をぽつぽつ。リエコがさつきにクッキーを差し出す。
「これ、うちの子が焼いたのよ」
「わあ、きれいな焼き色!」
「オーブンの前で張り込んでましたのよ」とリエコが得意げ。
「張り込みは正義」とマリナ。
「うちにも“焦げ見張り係”、一人ください……」
さつきの真剣な顔に、周りがふふっ。
笑いが落ち着いたところで、マリナが掲示板を顎で示した。
新しい紙が二枚。ひとつは〈甘露注意:洗濯物は水拭き推奨〉。
もうひとつは〈屋上での給餌は管理に相談。臨時許可印が必要〉。
どちらにも管理コボルトの朱印が、ぽん。
「さっき、天窓からも、ぽとって」
「最近、多いのよねえ」とマサエが耳をぴくり。「お弁当に入れたら、ちょっと甘すぎたわ」
「入れないでください」と一斉に突っ込んで、みんなで笑う。
そのとき――
グオォォ……。
低い鳴き声が、上から響いた。視線が一斉に空へ。骨ばった大きな影がゆっくり回っている。いつもより低い。翼の膜がところどころ薄く見えた。
「あの子、元気がないわね」とマリナ。
「食欲、落ちてるのかしら」とリエコが眉を寄せる。
ドワーフのおばあちゃんが、うんうんと頷いた。
「甘露が多い日は、腹ぺこの合図って、昔から言うからね」
話がひと段落したところで、さつきはベンチの洗濯カゴの取っ手を握る。
真っ赤なトランクスが、ここぞとばかりにぴょん。
「さつきさん?」とマサエ。
「干したら戻ります。クッキー、あとで二枚目くださいねっ」
「取っておくわ」とリエコ。
「掲示も読んでおいて」とマリナ。「申請なしだと、管理人の逆鱗に触れるわよ」
「竜だけに?」とマサエがツッコミ、また笑いの輪が広がった。
砂糖とバターの香りが、広場の風に混ざって流れていく。
団地の午後は、今日もやわらかい。
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