#45「舞台の幕引き、契約という名の束縛」
俺はノクトに、つかつかと歩み寄る。
腰の革袋から、ウエスを取り出し、皺を伸ばす。
「――清掃してやる!」
低く呟き、俺は真っ直ぐノクトに迫る。
ウエスでノクトを拭き取ろうと手を伸ばす。
ノクトはひらりと身をかわし、俺から距離を取った。
「ああっ……掃除されてしまっては……私は奴隷になれなくなってしまいますぅ!」
俺は表情ひとつ変えず、再び踏み込んだ。
「お待ちください……清掃員殿」
ノクトが右腕を俺へと向け、制止のポーズを取る。
「ここは――取引と行きませんか?」
俺は答えない。
一歩、また一歩と距離を詰める。
ノクトが薄笑いを浮かべた瞬間――。
その周囲に黒いもやが立ち上がる。
もやがノクトの姿を隠し、収まった時、その腕にリーナの母親が抱きかかえられていた。
「……っ!おふくろさん!」
俺は声が漏れるように、リーナの母親を呼ぶ。
「え……?」
背後から震える声が上がる。
リーナが顔を上げ、青ざめた表情で叫んだ。
「お母さん!!」
ノクトは母親を抱えたまま、ゆっくりと口を開いた。
「この方の命は……風前の灯火です」
「……貴様っ!」
俺の胸の奥で怒りが弾け、思わず叫んでいた。
だが、ノクトは肩をすくめ、笑みを浮かべたままこう告げた。
「……病です。おそらくもう数日と持たないでしょう」
「!!…そ、そんな……嘘よ……そんなこと……!」
リーナが青ざめ、震える声を漏らす。
瞳が揺れ、足元が崩れそうになっていた。
ノクトは視線を向け、淡々と告げる。
「嘘偽りなく、事実です」
一拍置き、俺へ視線を向けてくる。
「……そこで、清掃員殿」
冷ややかな声に熱を孕ませ、ノクトが唇の端をわずかに歪めた。
「私と契約していただけるなら、この方に私の命を一部与えましょう。この契約を結べば……寿命を全うすることが出来るでしょう」
「……お前は……一体何を考えているんだ」
俺は声を低く吐き出した。
ノクトは大げさに両手を広げ、瞳を輝かせた。
「契約と言ったじゃないですか!」
「対価は――私をあなたの奴隷にしてください!」
「あなたという存在が朽ちるその時まで……私を、そばに置いていただきたい!!」
狂気と情熱が混ざった声が石壁に反響する。
そしてノクトはふっと息を吐き、リーナと母親に視線を向けた。
まるで役者が観客の反応を楽しむかのように、二人を眺める。
「……それに」
一拍置き、口元に笑みを浮かべる。
「こんな舞台の終わり方も――たまには良いと思いませんか?」
そう言って舞台の幕引きを告げる役者のように、静かに立ち尽くした。
その夜は力尽き、丸一日を休息に費やすこととなった。
その翌日
バルドを訪ねると、ボコボコにされて吊るされていたロガンは、息があったそうだ。
他の部下たちも同じだ。
ノクトに叩きのめされ、隠れ家の中で意識を失って倒れていたらしい。
「……あの魔族の言っていたことが本当かどうか、徹底的に調べさせてもらう」
そうバルドは言っていた。
これから苛烈な取り調べが行われるのだろう。
その後、リーナの家を訪ねると――驚くべき光景が待っていた。
長く床に伏していたリーナのおふくろさんが、立ち上がり、簡単な家事をこなしていたのだ。
「……おふくろさん」
声をかけると、彼女は少し照れたように笑った。
「体が軽いんだよ。今までの不調が嘘みたいでね」
どうやらノクトの奴、本当に約束を守ったらしい。
あいつの言葉を信じたくはないが……結果だけを見れば、そうとしか思えなかった。
俺はリーナたちに、明日この街を立つことを告げ、家を出ようとした。
「……恭真さん!」
背中に、リーナの声が追いかけてくる。
振り返った先で、彼女は真剣な眼差しを向けていた。
「本当に……ありがとうございました。お母さんを助けてくれて……ここまで守ってくれて……」
声が震えていたが、その表情は晴れやかだった。
俺は少しだけ肩をすくめ、口元に苦笑を浮かべる。
「礼はいらない。また、掃除しに来る……元気でな」
そう告げると、リーナは目を潤ませながらも、晴れやかな笑顔を浮かべた。
「――はい!」
その一言が、静かな家にまっすぐ響いた。
家を出て、夕暮れの道を歩き出す。
ひんやりとした風が頬を撫でたその先に――。
チャピが立っていた。
腕を組み、表情は穏やかだが……どこか、不満を押し殺しているようにも見える。
その直ぐ後ろにいたのは――あの男。
いつもの薄ら笑いを浮かべ、ノクトが立っていた。
「お帰りなさいませ……我が君」
芝居がかった仕草で、深々と一礼し、俺を出迎えた。
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