#42「祭壇の秘密と闇の神」

黒いもやが晴れると同時に、縛られたリーナが地面へ投げ出された。


「うっ……!」


小さく呻き、顔を上げた彼女の視線が、俺を捉える。


「……きょ、うま……さん……」


掠れた声。その震えが、俺の胸を締めつける。


「リーナ!」


思わず駆け寄ろうとした瞬間――

ズルリ、と足元から闇が這い上がってきた。


「くッ!」


俺は慌てて後退する。黒い影が鎖のように絡みつき、前へ進むのを阻む。

ノクトが愉快そうに手を広げた。


「おっとぉ……清掃員殿、舞台には順序というものがあるのですよ」


バルドが唸るように吠え、ナイフを握り直す。


「……リーナをどうする気だ」


ノクトはわざとらしく眉を下げ、芝居がかった声で応える。


「どうするもこうするも……あの子には封印を、解いていただかねば」


俺は息を呑んだ。胸の奥で嫌な予感が膨らむ。

チャピが一歩前へ出る。

黄金の髪が闇の中で微かに光り、冷たい視線がノクトを射抜く。


ノクトはチャピの視線を受けて、恍惚そうな表情を浮かべた。


「あああぁぁ……いいですねぇ!!その目!!」


舌なめずりしながら、陶酔したように声を上げる。


「ゾクゾクしますよ……たまりませんねぇ……!」


狂気を帯びた笑みを浮かべると、影がうねり、ノクトの身体を包むように揺らめいた。

次の瞬間――闇を裂くようにしてノクトの姿が揺らぎ、グルンと一回転してリーナのすぐ傍に現れた。


「ひっ……!」


リーナが怯えの声を漏らす。

ノクトはわざとらしく膝を折り、少女と視線を合わせる。


「封印……解いていただけますよねぇ?」


その声は甘やかに囁くようでありながら、冷たい刃のように鋭い。

リーナは首を振ろうとするが、恐怖に体が強張って動けない。

蒼白な顔に涙がにじむ。


「やめろッ!!リーナに触るなぁ!!」


ルミナスを掴んだ手に力がこもる。

バルドも一歩踏み込み、低く吠えた。


「貴様…!」


だがノクトはちらりとこちらに目を向け、愉快そうに肩をすくめる。


「おお……熱い視線を浴びせられるのは、実に心地よいものですねぇ。ですが――彼女の協力なしには、舞台は始まらないのですよ」


「なぜだ!そんなに封印を解きたいって……ただ力をくれるだけだろ!!」


俺の声が石造りの建物に反響する。

その言葉に、ノクトは一瞬――虚を突かれたように黙り込んだ。


そして――


「……ク、クク……」


口元が小刻みに震え、次の瞬間には腹を抱えて大爆笑していた。


「ハハハハハハハハハ!!」

「清掃員殿は…ククク…!何もご存じない!?クフフフ!!」


ノクトは大爆笑の余韻を引きずりながら、ぴたりと笑みを止めた。

血走った瞳が俺を射抜き、声色を低く変える。


「……清掃員殿は……闇の神をご存じでしょうか」


「……っ!」


チャピの肩が小さく震える。

黄金の髪が揺れ、普段は揺るがないその瞳に、わずかな動揺が走る。


闇の神――。


少なくとも、チャピが語っていた神々の物語の中に、そんな存在はいなかったはずだ。

神話にすら、記述のない神…。


俺はごくりと唾を飲み込む。

ノクトは楽しげに口元を吊り上げ、芝居がかった声で続けた。


「そう……あの祭壇はねぇ。闇の神へ供物をささげるためのものなんですよ」


「供物……?」


ノクトは両腕を広げ、闇を纏う影を揺らめかせる。


「愚かな願い、身勝手な欲望、そして人間の断末魔……そうした負の感情こそが、闇の神への供物となる」


俺はノクトを睨みつけ、喉の奥からしぼり出すように言った。


「……その供物をささげると、どうなるんだ」


ノクトはその問いに、しばし目を閉じて愉悦に震えるように頬を歪めた。


「それは――」


一拍置き、唇が歪み、低く囁く。


「……秘密です」


くつくつと喉の奥で笑いながら、わざとらしく人差し指を口元に立てる。


ぞわりと背筋を冷たいものが走った。

本能で分かる。あの封印は決して解いちゃいけない。

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