#22「夜の訪問者――フィーの告白」

拭き清められた本を、興味本位でページをめくる。

古びた文字が並んでいるが、ルミナスの光がちらりと揺れると、その意味が自然と頭に流れ込んできた。


「……ふん。どうやら“魔のものへの生贄”について書かれてるらしい」


ルミナスの光に照らされて、くすんだ羊皮紙の文字が浮かび上がる。

俺は指でなぞりながら声に出した。


「『光を戴く一族、その血脈は女神の加護を継ぐ』……ほう、立派なご身分じゃないか」


フィーが小さく息を呑む。俺は気にせず読み進める。


「『されど人の欲は尽きず、やがて魔と契を結ぶ者あり』……あー出た出た。こういう話、だいたいこの辺から面倒になるんだよな」


ページをめくると、墨の滲んだ文字がひどく生々しかった。


「『魔は力を与えん、その代償に……一族のうち最も強き者、最も信仰厚き者を、幾星霜の後に生贄とせよ』」


俺はふっと鼻で笑った。


「おいおい、定期契約でもないのに、幾星霜の後にって……随分気まぐれな悪魔だな」


笑いながらも、横を見るとフィーの顔色がみるみる青ざめていく。

彼女の指が聖印をぎゅっと握りしめ、小さく震えていた。


「……キョーマさん、その本……もう、閉じてください」


フィーの声は細く震えていた。

俺は一拍、鼻で笑ったが――その指先が震えているのを見て、静かに本を台座へ戻した。


「……仕方ない。掃除は済んだ、後は放置だ」


古書は、先ほどの瘴気が嘘のようにただの古びた本に戻っていた。


俺たちは地下の淀みを背にして、階段を上がった。


ギルドの喧騒が再び耳を打つ。

だが空気は硬直していた。冒険者たちはざわつき、受付嬢は蒼白、職員は頭を抱えていた。


「な、なんとか戻ってきたか……き、きれいなのは間違いない。だが……お前さん、やりすぎだ」


職員が額を押さえて呻いた。

俺は肩をすくめる。


「掃除に“やりすぎ”なんてあるか。汚れは残さず葬る、それだけだ」

「……はぁ。とにかく依頼は終わった。ほら、これが報酬だ」


机の上に銀貨が数枚、投げ置かれる。

俺が手を伸ばそうとした瞬間、職員は慌てて付け加えた。


「で、できれば――もう来ないでくれ」

「は?」

「ギルドの地下封印を勝手に触っただろう!あれは規則違反だ。だから……これで手打ちにする。報酬は払う、だが二度と顔を出すな」


広間の空気が気まずく沈む。冒険者たちは目を逸らし、受付嬢は口を開きかけて閉じた。

俺は銀貨をつかみ、無言で腰袋にしまう。


「……掃除しただけだ」


吐き捨てるように言い残し、振り返らずにギルドを出た。

夜風が頬をかすめ、フィーが小走りで追いついてくる。


「キョーマさん……」

「明日にでも城塞都市へ向かうぞ。宿で一泊したら出発だ」


不安げな声に、俺はあえて軽く言った。


夜更け。


横になっていると、扉を叩く音がした。


「……キョーマさん、起きていますか?」


ランプに火をつけて開けると――そこに立っていたのは、上着を羽織っただけのフィーだった。

寝間着の薄布が夜風に揺れ、鎖骨まで覗いている。


(なっ……いや待て……これは夜這い……?馬鹿な、俺なんかを……!)


頭の中で否定と肯定がぐるぐる回る。


(いやでも、この薄着、この時間帯……誤解するなって方が無理だろ……!)


妄想が暴走し、心臓が勝手に早鐘を打つ。

額に汗をにじませながら、わざとらしく咳払いした。


「……おい、時間考えろ。そんな格好で来たら、世間じゃ夜這いって言われても文句言えんぞ」

「えっ……!?ち、違います!そんなつもりじゃ――!」


真っ赤になったフィーが胸元を押さえて部屋に飛び込む。

俺はため息をつき、ベッドに腰を下ろした。


「……で?本題はなんだ」


フィーは遠慮がちに隣に座ると、そっと俺の袖を握った。

細い指先が小さく震えている。


「……あの本に書かれていたこと……本当かもしれません」


「小さい頃から、同じ夢を見るんです。

 光の女神に仕える一族が……魔のものに生贄を捧げる夢。

 そして、その生贄は――いつも私なんです」


伏せた顔のまま、フィーの指が俺の袖を離さない。

その小さな震えに、俺は黙って続きを待った。


「……城塞都市ヴァルディアには特別な石碑があります。

 でも本当は……古代に魔族と契約するための祭壇なんです。

 後に聖なる石碑として祀り直されたけど……私の夢では、あの石碑が血を求めていました」


フィーは顔を上げ、潤んだ瞳で俺を見つめる。


「……だから、確かめたいんです。

 もし呪いが残っているなら、解く方法があるかもしれない。

 根拠なんてありません……でも、キョーマさんなら……一緒に来てくれるって」


深く頭を下げるフィー。

俺はしばらく黙って見下ろし、ため息を吐いた。


「……まったく。逃げて来ただけなのに、随分と大事になってきたな」


ランプの炎が揺れ、壁に影を踊らせる。

俺は心の奥で、モップを握り直した。


「どうせまた埃まみれだろうな。ま、城塞都市まで行ってやるさ」

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