掌中異形譚

桑葉 志遊 (クワバ シユウ)

第1話 掌中の怪異、汝を我がものとす 01


オレは自分が住むこの町の名前を口にするたびに気分が悪くなる。地図の上では町の一つに数えられているらしいが、実際にここで生まれ、育ち、そして何度もこの景色を眺めさせられてきたオレからすれば、そんな呼び方は、むしろ悪い冗談にしか聞こえない。


町だなんて大袈裟な。村と呼ぶのも厚かましい。せいぜい、丘と丘のあいだに取り残された、ひとつの溜まり場──それも、時代の流れからぽつんと取り残され、誰に顧みられることもない、淀んだ水溜まりのような場所に過ぎない。


家は十数軒ばかり。壁は日干し煉瓦の色に変色し、屋根は藁葺きとも板葺きとも判別のつかぬ灰色で、じっとりとした湿気を吸い込み、光を鈍滞させている。そいつらは整然と建ち並ぶこともなく、斜めに傾ぎ、互いに寄り添い、まるで崩れる順番を譲り合っているようだ。


道などありはしない。丘と丘の間に取り残された溜まり場──日干し煉瓦の壁、灰色の屋根、湿気に沈む光、風に運ばれる枯れ草の匂いが、すべてオレの胸を重く押し潰す──オレはこの景色を、もう何千回と見てきた。それでも慣れるどころか、眺めるたびに、息が詰まるばかりだ。


空気は、朝にせよ夕にせよ、どこかねっとりとした湿り気を帯びていて、その湿り気はからっとしているという海の塩分とは無縁の、土と草の水気である。時折、丘の向こうからびゅうっと吹く風が、枯れかけた草の匂いと、まだらに湿った土の匂いを運んできて、肌のうえで曖昧に混ざる。


オレはこの町に生まれ、この町の外をほとんど知らずに育った。外に出ようと思えば出られるはずだ。だがこれまで、一歩踏み出す理由も必要もなかった。そのどちらかがなければ人は動かない──オレ一人ではなく、この町に生まれ死んでいくすべての者に当てはまることだろう。


家々の隙間を通り抜ける光は、淡く、しかし遠慮なく地面や壁に沈み込み、影をねじ曲げ、目に見えぬ淀みを照らし出す。その陰影の隙間に、過去の出来事や、誰かの死や、何ひとつとして名を残さぬ哀れな人々の記憶が、凝縮された匂いのように漂っているのを、オレは知っている。


子どもたちの声すら、この町の湿気に吸われ、柔らかく、しかしどこか不快に伸び縮みし、時に耳を刺す鋭さを帯びる。笑い声と悲鳴の区別はつかず、空気に溶け込んだ音は、まるで町そのものが嘲るかのように、オレの胸を軽く殴る。


丘の頂から見下ろす町並みは、遠くから眺めれば愛らしいと形容する者もいるだろうが、オレにとっては滑稽な寸劇に過ぎず、斜めに傾く屋根や、壁に刻まれたひび割れの模様が、まるで町そのものが自らを笑い、オレの視線を無意味に引き留めるために存在するかのように見える。住む者の息遣いさえも、この閉塞した空間に押しつぶされ、声は地面に吸い込まれるばかりだ。


ここにいること自体が既に悲劇であることを、あらゆる風景が教えてくれる。だから、外に出る理由もなく、求めるものもなく、ただここにある──それだけが現実であり、どうあがこうと、オレはこの町の一部に過ぎない。


だが、時折ふと、目の端に映る光の反射や、屋根の隙間を流れる風が、オレに皮肉な笑みを返すように見えるのだ。オレをからかうのは、この町であり、町のすべてであり、そして、オレの生まれた運命──そのものだ。


だからオレは、この町の名を口にするたび思わず鼻で嗤ってしまう。町でも村でもない、この取り残された塊のことを、まるで人類の文明の一片でも見るかのように称える外界の者どもを、オレは哀れ──としか思わない。そして、自分自身の故郷であるこの淀んだ水溜まりに生まれ育ったことを思うと、背筋に寒気を帯びるが、それもまた、オレに与えられた皮肉であり、運命の嫌味なのだ。


出られるだろうか、出ようと思えば──いや、出ようとも思わぬ。なぜなら、出てもどうせ、あの滑稽な世界の外で、同じ皮肉を被ることになるだけだから。ここにいること自体が、オレの人生の皮肉の全てを象徴しているのだ。


だからこそ、オレは今日も、この町を眺めながら、軽く鼻で笑い、いやな息を吐き出す。──町でも村でもない、この愚かで湿った小塊こそが、オレの世界であり、オレの皮肉の源泉なのだろう。

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