運命のバスケットボールコート
舞夢宜人
運命のバスケットボールコート
#### **第1話:夏の終わり、始まりの問い**
じりじりと肌を焼く夏の太陽が、ようやく西の空へと傾き始めた頃だった。体育館にこもっていた熱気も、窓から吹き込む風によって少しずつ和らいでいく。高橋健太は、シュート練習を終え、汗で濡れた髪を手でかき上げながら、幼馴染である佐藤夏希の隣に腰を下ろした。二人きりになった体育館は、バスケットボールが床を叩く音も、シューズの擦れる音もなく、ただ静かな時間が流れていた。
「ふぅ、疲れたね」
夏希がそう言って、持っていたタオルで額の汗を拭う。濡れたショートヘアが、夕日を浴びてキラキラと輝いている。健太は、その横顔を何気なく見つめていた。彼女の表情は、いつもと変わらない、快活なものだった。だからこそ、その後に続く彼女の言葉が、健太にとってどれほどの衝撃をもたらすか、その時は知る由もなかった。
「ねえ、健太。私たち、このままでいいのかな?」
その声は、練習の疲れをねぎらうような優しいトーンではなく、どこか緊張を孕んでいた。健太は思わず彼女の方を向く。夏希の瞳は、いつも真っ直ぐだが、今日は少しだけ、切なげな光を帯びているように見えた。
「どうしたんだよ、急に」
そう返すのが精一杯だった。言葉を失い、喉がひりつくような感覚に襲われる。
「急じゃないよ。ずっと考えてた」
夏希は、タオルの端をキュッと握りしめると、ゆっくりと話し始めた。彼女の視線は、遠く、体育館の天井を見つめている。
「もうすぐ夏休みが終わる。そしたら、受験勉強も本格的にラストスパート。卒業したら、私たちはそれぞれ別の大学に進学するでしょ」
健太は黙って頷いた。それは、ごく当たり前のことだった。二人とも、高校のバスケットボール部で全国大会を目指す中で、お互いの進学先を意識することはなかった。夏希は幼い頃からの夢だった教師になるために教育学部の大学を志望し、健太もまた、バスケットボールを続けるために体育学部の強豪校への進学を考えていた。互いの進路が、必然的に離れた場所にあることも、漠然と受け入れていた。
「もし、遠距離恋愛になったらって考えたの。四年間、遠く離れて、年に何回かしか会えなくなって……。それは、現実的じゃないよね」
彼女の言葉は、健太の心に重く響いた。遠距離恋愛の破綻を想像したことはなかったが、確かに、それは甘くないだろう。二人の親友関係は、毎日顔を合わせ、言葉を交わすことで成り立っている部分が大きい。物理的な距離が、心の距離になってしまう可能性は否定できない。
「だから、もし、今のまま親友として卒業するなら、それはそれでいいと思ってる。就職したらまた地元に戻ってくるかもしれないし、その時に恋愛に発展する可能性だって、ゼロじゃない」
夏希は、一度言葉を区切ると、健太の目を見て、今度は力強く続けた。
「でも、もしそうならなかったら? 私たちは、ただの幼馴染だったって、それで終わってしまう。私は、それが嫌なの」
その言葉は、夏希の心の奥底に秘められた、健太への深い想いを物語っていた。親友として、家族として、当たり前のように隣にいる存在。だが、彼女は、その「当たり前」のままで、二人の人生が終わってしまうことを恐れているのだ。
「受験勉強を始める夏休みが、将来について真剣に考える最後のチャンスだと思ったの。大学の進学先を変えるなら、まだ間に合うから」
彼女の言葉に、健太はハッとした。夏希は、ただの感情的な告白をしているのではない。彼女は、二人の将来という、あまりにも重い問いを、健太に投げかけているのだ。
「結婚を考えてくれるの、どうなの?」
彼女の言葉は、もはや問いかけというより、決断の催促だった。その瞳は、健太の返答によっては、親友の関係すらも手放す覚悟を示しているようだった。健太は、自分の心臓が大きく脈打つのを感じた。その鼓動は、恐怖か、期待か、それとも混乱か、自分でも分からなかった。
「返事によっては、親友のままにして、恋愛対象から外す。そう言ったら、ひどいと思う?」
夏希の言葉に、健太は何も言えなかった。ひどいなんて、とんでもない。彼女は、健太との将来を真剣に考え、勇気を出して、自分の人生の選択を迫っているのだ。
「もし、結婚を前提にするなら、両親にもちゃんと公開して、その上で話を勧めたい。お互いの大学を、同じ、もしくは近くにするとか…」
夏希の声が、少しずつ震え始める。その声に、健太は彼女の真剣さと、決断を迫る不安が入り混じっているのを感じ取った。
「一晩、時間をくれないか」
健太は、絞り出すような声でそう言った。あまりにも唐突な、あまりにも重い問い。この返事一つで、自分たちの未来が、全く違うものになる。そのことを悟った健太は、夏希の切ない期待に満ちた視線から、そっと目を逸らした。
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#### **第2話:過去と未来を繋ぐ夜**
夏希に別れを告げ、自室に戻った健太は、ベッドに腰を下ろすと大きく息を吐いた。熱を帯びた夜風が窓から吹き込み、少しだけ火照った頬を撫でていく。夏希の真剣な眼差しと、震える声が耳の奥にこびりついて離れない。「結婚を考えてくれるの、どうなの?」。その問いは、まるで重たい岩のように、健太の胸にのしかかっていた。
親友のままか、それとも恋愛関係に進むか。それは、単純な二択ではない。夏希は、その先に「結婚」という、二人の人生を大きく変える未来を提示したのだ。健太は、自分の正直な気持ちがどこにあるのか分からずにいた。
目を閉じると、これまでの夏希との日々が走馬灯のように蘇る。
初めて出会ったのは、健太が幼稚園の時だった。健太は内気で、なかなか他の子と遊ぶことができなかった。そんな時、砂場遊びをしていた健太に、夏希は「ねえ、お兄ちゃん、一緒に砂のお城を作らない?」と、無邪気な笑顔で声をかけてきた。まだ幼く、少しぶかぶかのワンピースを着ていた彼女の手は、今よりもずっと小さかった。その日から、二人はいつも一緒だった。砂場、公園、小学校の登下校。健太は、夏希が隣にいることが、いつの間にか当たり前になっていた。
中学校に入ると、二人は同じバスケットボール部に入った。健太がチームの司令塔としてパスを回し、夏希が元気いっぱいにコートを駆け回る。夏希は、ミスをしても決して落ち込むことはなく、健太がシュートを決めると、誰よりも大きな声で「ナイスシュート!」と叫んでくれた。試合に負けて悔しくて泣いた日も、夏希だけがそっと健太の隣に寄り添ってくれた。
高校三年生の、最後の試合。健太は、チームを勝利に導くことができなかった。ロッカールームで一人、静かに悔しさを噛み締めていると、夏希がやってきた。彼女は何も言わず、ただ健太の背中を、優しく、でも力強く叩いた。
「健太は、最高の司令塔だよ。私、健太がパスをくれるのが、本当に嬉しかった」
その言葉を聞いた瞬間、健太の胸に熱いものがこみ上げてきた。その時の感情は、単なる友情から来るものではなかったのかもしれない。それは、尊敬であり、憧れであり、そして、もっと特別な、かけがえのない感情だった。
回想から現実に戻ると、健太は自分の心臓が、まるでバスケットボールの試合の終盤のように、激しく鼓動しているのを感じた。
もし、このまま親友の関係を選んだら、どうなるだろうか。
確かに、二人の関係は傷つかないかもしれない。だが、遠く離れた大学生活の中で、夏希が別の誰かと出会い、恋に落ちる可能性だってある。その時、健太は、彼女の幸せを心から喜べるだろうか? おそらく、それはできない。胸の奥が、嫉妬という名の鈍い痛みで蝕まれるに違いない。
健太は、自分が夏希のことを、友情という枠の中に閉じ込めておきたかっただけなのではないか、という疑念を抱いた。もしそうなら、それはあまりにも自分勝手だ。夏希は、人生の岐路で、未来を見据えて勇気を出してくれたのに、自分は過去の延長線上に安住しようとしていた。
健太は、ベッドから立ち上がると、窓の外を見つめた。満月が、煌々と夜空を照らしている。その光は、まるで夏希の瞳のように、健太の心を真っ直ぐに見透かしているようだった。
夏希は、いつも健太の一歩先を歩いていた。幼稚園の時も、中学校の時も、そして今も。彼女は、健太がまだ気づいていなかった未来を、勇気を持って示してくれた。
健太は、スマートフォンを手に取ると、夏希にメッセージを送る。
「今から会えないか?」
夜も更けた時間だが、この気持ちを、今すぐ彼女に伝えたかった。返事は、すぐに来た。
「うん。いつもの公園で」
短く、しかし、そこには彼女の戸惑いと期待が入り混じった感情が滲み出ているように感じられた。健太は、スニーカーを履くと、急いで家を飛び出した。今度こそ、目を逸らさず、夏希の瞳を真っ直ぐに見つめて、自分の心を伝えよう。そう決意しながら、健太は月明かりの下を走り出した。
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#### **第3話:コートの外で交わした約束**
深夜の公園は、静まり返っていた。街灯の薄い光が、滑り台やブランコの錆びた鉄骨をぼんやりと照らしている。健太は、いつもの待ち合わせ場所に駆けつけ、すでにそこに立っている夏希の姿を見つけた。彼女は、夏の夜には少し肌寒いだろうに、Tシャツ一枚で、健太の訪れを待っていた。その手は、胸の前でぎゅっと握りしめられている。健太は、その小さな姿に、どうしようもないほどの愛おしさを感じた。
「待たせてごめん」
そう言って歩み寄ると、夏希はゆっくりと顔を上げた。その瞳は、昼間見た時よりも、さらに不安と期待で揺れていた。
「いいの。大丈夫」
夏希はそう言って、ほんの少しだけ微笑んだ。その笑顔は、健太の心を強く締め付けた。もし、今ここで親友のままでいようと伝えたら、この笑顔は二度と見られなくなるかもしれない。
「夏希……」
健太は、彼女の目の前に立ち止まると、迷うことなく彼女の手をそっと握った。夏希の手は、ひんやりと冷たかった。健太は、その冷たさに驚き、自分の掌で夏希の手を包み込むように、温かい体温を分け与えた。
夏希は、突然の健太の行動に、少しだけ目を見開いた。彼女の視線が、健太の手、そして顔へとゆっくりと移っていく。
「一晩考えた。何度も考えた。俺は、お前のことを、親友だと思っていた。家族みたいに、当たり前にそばにいてくれる存在だって。でも、それは違った」
健太は、握った夏希の手に少しだけ力を込める。その視線は、決して逸らさなかった。
「お前は、いつも俺の一歩先を歩いていた。幼稚園の時、俺が一人でいると、声をかけてくれた。中学の時、俺がパスを出すと、誰よりも早く走ってくれた。最後の試合、俺が負けて泣いた時、誰よりも強く背中を叩いてくれた」
健太は、一度言葉を区切ると、夜空を見上げてから、再び夏希の瞳を見つめた。
「俺は、お前がパスをくれるのを待つばかりだった。シュートを打つのは、いつもお前だった。でも、俺は今、お前にシュートを打ちたい」
それは、バスケットボールに例えた、健太なりの告白だった。夏希は、その言葉の意味を理解すると、目尻にうっすらと涙を浮かべた。
「健太……」
健太は、夏希のもう一方の手も握り、両手で彼女の手を包み込んだ。彼女の指先が、わずかに震えている。健太は、その震えを、自分の温かさで包み込むように、優しく、しかし力強く握りしめた。
「俺にとって、お前はもう親友じゃない。俺は、お前と一緒に未来を考えたい。四年間、離れて過ごすことがどれだけ大変か、現実的じゃないってことも分かってる。でも、俺は、お前となら乗り越えられるって、信じたい。お前が投げかけてくれたこのボールを、俺は絶対に落としたくない」
その瞬間、夏希の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。健太は、その涙を親指でそっと拭うと、迷うことなく、彼女の身体を優しく抱きしめた。
抱きしめた身体は、想像していたよりもずっと小さく、温かかった。夏希の震えは、健太の胸に顔を埋めるように抱きしめられると、次第に収まっていった。彼女の髪から、微かにシャンプーの香りが漂ってくる。健太は、その香りを胸いっぱいに吸い込みながら、夏希の背中に腕を回し、彼女の存在を確かめるように、さらに強く抱きしめた。
「ありがとう、健太。怖かった……本当に、怖かった」
夏希は、健太の胸の中で、絞り出すような声でそう言った。健太は、彼女の頭を優しく撫でながら、ただ静かに頷いた。もう大丈夫だと、言葉にしなくても伝わるように、彼女の身体を抱きしめる腕に、すべての気持ちを込めた。
二人は、月明かりの下、いつもの公園で、未来への最初の一歩を、確かめ合うように、強く抱きしめ合った。それは、今まで経験したことのない、甘く、そして、温かい感触だった。
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#### **第4話:未来を紡ぐ星空の下で**
健太の胸に顔を埋めたまま、夏希は少しの間、静かに涙を流していた。やがて、彼女の震えが完全に治まると、健太はゆっくりと身体を離し、夏希の顔を両手で包み込んだ。涙で濡れた彼女の頬は、健太の温かい掌でさらに熱を帯びている。
「夏希、もう泣くなよ。大丈夫だ」
優しく語りかけると、夏希は健太の顔を見上げて、はにかむように微笑んだ。
「うん、ありがとう、健太」
その声は、震えてはいるものの、どこか晴れ晴れとしていた。健太は、夜空に輝く星を見上げながら、再び夏希の手を握りしめた。今度は、もう迷いはなかった。
「さて、と。それじゃあ、これからが本番だな」
健太がそう言うと、夏希は首を傾げた。
「本番?」
「ああ。さっき言っただろ? お前と未来を考えたいって」
そう言って、健太は夏希を促すように、隣のベンチに座った。夏希は健太の隣に座ると、二人の手が触れ合うくらいの距離を保った。
「夏希が、俺に決断を迫ったのは、大学の進学先を変えるなら、今が最後のチャンスだからって言ってたよな」
「うん……」
夏希は、緊張した面持ちで頷いた。健太は、彼女の不安を取り除くように、優しく語りかけた。
「俺は、お前が夢を諦めるのは絶対に嫌だ。だから、お前は教師になる夢を追いかけてくれ。教育学部の大学、受けてくれよ」
健太の言葉に、夏希は驚きと安堵の表情を浮かべた。
「健太は……体育学部じゃないの?」
「体育学部は受けるさ。ただ、少し志望校を変えようと思う」
健太は、自分のスマートフォンの画面を夏希に見せた。そこには、一つの大学のホームページが表示されていた。それは、夏希が志望する大学の、系列校の体育学部のページだった。
「俺が志望していたのは、全国レベルの強豪校だった。でも、そこはここから遠い。だから、夏希の大学の近くにある、この大学にしようと思うんだ」
夏希は、健太の画面をじっと見つめていた。その瞳は、言葉にならない感情でいっぱいになっていた。
「どうして……私のために、そこまで……」
「馬鹿だな、お前は。俺が、お前と一緒にいたいからに決まってるだろ」
健太は、夏希の髪に手を触れ、そっと耳元で囁いた。
「それに、俺たち、結婚を前提に付き合うんだろ? だったら、大学生活も一緒に過ごしたい。もし合格したら、下宿先も、お互いのアパートの隣同士にしよう。毎日一緒に通って、一緒に帰って、一緒に飯を食って。そうやって、四年間を過ごしたら、お互いのこと、もっともっと知れるだろ?」
健太の言葉は、夏希の心にじんわりと温かい光を灯した。彼女は、健太がそこまで真剣に自分の将来を考えてくれていたことに、感動と喜びで胸がいっぱいになった。
「…ありがとう、健太。でも、健太のバスケ……」
「心配いらない。こっちの大学も、そこそこ強い。それに、どんな場所でも、バスケはできる。俺は、お前と一緒にいられるなら、それでいい」
その言葉は、健太の本心だった。強豪校への憧れはあったが、夏希との未来には代えられない。彼の決意は固く、揺るぎないものだった。
健太は、夏希の顔をもう一度見つめた。先ほどまでの不安な表情は消え、そこには、確かな希望と幸せが満ち溢れていた。
「なあ、夏希。俺たちのこと、いつか両親にも話そう。結婚を前提にって、ちゃんと正直に話そう」
夏希は、健太の言葉に深く頷いた。彼女の瞳は、これからの二人の未来を映し出しているようだった。健太は、その瞳に吸い込まれるように、ゆっくりと顔を近づけていく。夜風が二人の間を通り過ぎ、互いの髪をそっと揺らした。そして、唇が触れ合う直前、夏希は健太の胸に再び顔を埋めた。
「まだ、ちょっと恥ずかしいから……」
その可愛らしい仕草に、健太は思わず吹き出した。
「分かった。でも、もう逃がさないからな」
そう言って、健太は夏希の身体をもう一度、強く抱きしめた。星が瞬く夏の夜空の下、二人は、未来という名の約束を交わした。それは、幼馴染としての終わりであり、恋人としての新しい始まりだった。
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#### **第5話:初めてのキス、そして芽生える責任**
未来への約束を交わした翌日、健太と夏希は、バスケットボールの朝練に向かうため、いつもの通学路を並んで歩いていた。昨夜の出来事が嘘のように、すべてが日常に戻ったかのような感覚。だが、二人の間には、昨日までとは全く違う、甘く、そしてどこか緊張を帯びた空気が流れていた。
夏希は、いつもよりも少しだけ健太の隣に近づいて歩いていた。風が吹くと、彼女のショートヘアが健太の腕に触れる。そのたびに、健太の心臓は、まるで初めて恋をした中学生のように、不規則に脈打った。
「ねえ、健太……」
夏希が、小さく声をかける。健太が横を向くと、彼女の頬が少し赤く染まっているのが分かった。
「何だよ?」
「ううん……なんでもない」
夏希は、恥ずかしそうに顔を伏せてしまう。その仕草一つ一つが、健太の心をくすぐる。これまで「親友」として当たり前だった彼女の存在が、今は「恋人」として、まるで新しい発見の連続のように感じられる。
体育館に着き、二人きりになったとき、健太は意を決して、夏希の手を握った。夏希は、少し驚いたように健太を見つめ、健太も彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「キス、してもいいか?」
健太の問いに、夏希は言葉を返さなかった。ただ、彼女はゆっくりと目を閉じ、健太に顔を近づける。
健太は、震える手で夏希の頬に触れた。熱を帯びた、柔らかい肌の感触。それは、昨日まで知っていた彼女の肌とは、全く違うもののように感じられた。少しひんやりとした朝の空気に反して、彼女の頬はまるで熱を帯びているかのように熱く、健太の手のひらに温かさを伝えてきた。
そして、健太は、そっと、唇を重ねた。
それは、想像していたよりもずっと柔らかく、甘い感触だった。夏希の唇は、まるで熟れた果実のように、健太の唇に優しく触れた。初めてのキス。それは、友情という名の境界線を越え、二人の関係を決定づける、確かな証だった。
キスを終え、互いの顔が離れると、夏希の顔はリンゴのように真っ赤になっていた。彼女の瞳は、潤んで、健太の姿をぼんやりと映している。
「健太……」
小さく呟かれた夏希の声は、まるで溶けてしまいそうに甘く、健太の耳に心地よく響いた。
健太は、夏希の身体をそっと抱き寄せると、彼女の柔らかな肌が、自分の腕に触れるのを感じた。バスケットボールで鍛えた、健太の固い筋肉とは対照的な、柔らかく、それでいてしなやかな彼女の身体。健太は、これまで当たり前のように見ていた夏希の身体が、女性としての美しさを秘めていることに、改めて気づかされた。
彼女の胸に触れると、これまでの「親友」として接していた時とは全く違う、温かく、柔らかい感触が伝わってきた。健太は、思わず胸が高鳴るのを感じた。その鼓動は、単なる欲望ではなく、彼女の身体を守りたい、彼女のすべてを大切にしたいという、強い衝動から来るものだった。
「なあ、夏希……」
健太は、夏希の頭をそっと撫でながら、真剣な声で語りかけた。
「俺、夏希の身体を、絶対に傷つけたくない。もちろん、俺の子供を授かることになっても、俺は責任を取るつもりだ。でも、今はまだ、お互いに学生で、人生を考える大事な時期だ。だから、ちゃんと、守っていきたい」
健太の言葉に、夏希は健太の胸に顔を埋めたまま、小さく頷いた。
「うん……私も、そう思う」
夏希は、健太の身体から少しだけ離れると、改めて健太の顔を見つめた。
「だから、お互いの両親に、ちゃんと話そうよ。結婚を前提にした交際だって、正直に話そう。もし、万が一、私たちがそういうことになったとしても、両親には一番に知っておいてほしいから」
健太は、夏希の真剣な眼差しに、胸が熱くなるのを感じた。彼女は、単に恋愛感情に流されているのではなく、自分たち二人の未来、そしてその先にある責任を、しっかりと見据えている。
「分かった。今日、家に帰ったら、母さんに話すよ」
健太は、夏希の手をもう一度握りしめると、彼女の決意に、自分もまた、応えようと心に誓った。それは、二人の未来を、二人だけでなく、家族全員で守っていくための、最初の一歩だった。
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#### **第6話:息子からの一世一代の告白**
夏希と別れた後、健太は自宅に戻ると、夕食の準備をしている母親、美穂(みほ)に声をかけた。美穂は、健太がいつもより早く帰宅したことに、少し驚いた様子で振り返った。
「おかえり、健太。どうしたの、何かあった?」
美穂は、健太がいつものように「ただいま」とだけ言って部屋にこもるのではなく、リビングに立ち尽くしていることに違和感を覚えたのだろう。健太の表情は、どこか緊張しているように見えた。
「ちょっと、話があるんだ。父さんも、いる?」
健太の真剣な声に、美穂は箸を置いた。奥の部屋から、テレビを見ている父親の慎吾(しんご)を呼び出す。慎吾も、健太のただならぬ雰囲気を察してか、いつになく真剣な表情でリビングにやってきた。
三人で食卓を囲むと、美穂は「それで、話って何?」と、健太に問いかけた。健太は、両親の視線が自分に集中しているのを感じながら、ゆっくりと口を開いた。
「俺、夏希と、付き合うことになったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、美穂は「え?」と小さく声を漏らし、慎吾はテレビのリモコンを落としそうになっていた。
二人の反応は、予想通りだった。健太と夏希の関係は、長年にわたる幼馴染であり、家族同然のものだった。親友から恋愛関係に発展するなど、二人の両親にとっては、全く想定外のことだったに違いない。
「お前たち、仲は良いけど、まさかそんな風になるとは思わなかったわ……」
美穂は、驚きと同時に、どこか嬉しそうな表情を浮かべている。だが、慎吾は、複雑な面持ちで健太を見つめていた。
「ちょっと待て、健太。お前たち、受験はどうするんだ? 夏希ちゃんも、志望校があるだろう。お前も、バスケを続けるために、遠方の大学に進学するって言ってたじゃないか」
慎吾の言葉は、健太が最も心配していたことだった。健太は、父親の問いに、正直に答えた。
「それが、話の続きなんだ。俺は、夏希の志望校の近くにある大学に、志望校を変えようと思う。バスケは続けられるし、何より、夏希と一緒にいたいから」
健太の言葉に、美穂は「まぁ……!」と、さらに驚きの声を上げた。慎吾は、腕を組み、黙って健太の話を聞いている。
「それだけじゃないんだ。俺、夏希と……結婚を前提に、付き合いたいと思ってる」
健太は、今、人生で一番大きな決断を、両親に伝えている。その言葉は、彼の口から発せられると、想像していたよりもずっと重く、そして力強く響いた。
「結婚……」
美穂は、涙ぐみながら健太の手を握りしめた。息子の突然の告白に、戸惑いながらも、その真剣な眼差しから、彼がどれだけ夏希を想っているかが伝わってきたのだろう。
慎吾は、しばらく黙っていたが、やがて、深く息を吐くと、健太の肩に手を置いた。
「お前……夏希ちゃんを、ちゃんと幸せにしてやれるのか?」
その言葉は、慎吾なりの、健太への試練だった。健太は、父の言葉に、一切の迷いなく頷いた。
「うん。どんなことがあっても、夏希を幸せにする。それは、俺の人生の目標になったから」
健太の力強い返事に、慎吾は、小さく微笑んだ。
「そうか。お前がそこまで言うなら、父さんは何も言わない。夏希ちゃんにも、ちゃんとその気持ちを伝えてやれ」
美穂は、健太を抱きしめながら「大きくなったわね、健太……」と、感極まったように言った。その声には、喜びと、そして少しの寂しさが入り混じっていた。
健太は、両親に承諾してもらえたことに安堵し、夏希の待つ連絡に返事をしようとスマートフォンを手に取った。
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#### **第7話:娘からの決意表明、そして家族の選択**
健太が両親に話をしたその日の夜、夏希は自室でベッドに座り、スマートフォンを握りしめていた。健太からの「両親に話したよ。応援してくれた」というメッセージに安堵しながらも、次に自分が両親に話さなければならないという事実に、胸が高鳴っていた。
夏希の父親、佐藤慎也(しんや)は、真面目で口数の少ない男だった。母親の由美(ゆみ)は、いつも優しく、夏希の最大の理解者だ。夏希は、二人を前にして、どうやって健太への想いを、そして結婚を前提とした交際の決意を伝えればいいのか、言葉を選んでいた。
「なつきー、お風呂、入らないの?」
由美が、優しい声で部屋の外から声をかけてきた。夏希は、意を決して扉を開け、母に言った。
「お母さん、お父さんも呼んできてくれる? 二人とも、ちょっと話があるの」
夏希の真剣な表情に、由美は「わかったわ」とだけ言い、父親をリビングに連れてきた。
三人がリビングのソファに座ると、夏希は深呼吸をして、話し始めた。
「あのね、お父さん、お母さん。私、健太と、付き合うことになったの」
その言葉に、由美は「あら、そうなの!」と、笑顔で喜んだ。由美は、幼い頃から健太と夏希の関係を、まるで我が子のように温かく見守ってきた。二人が結ばれることは、彼女にとって、この上ない喜びだった。
しかし、慎也は、由美とは対照的に、難しい顔をしていた。
「健太くんとは、ずっと仲が良かったからな。でも、お前たち、もう高校三年生だ。受験もあるのに、恋愛なんてしている場合じゃないだろう」
慎也の言葉は、夏希の予想通りだった。夏希は、父の言葉に反論するように、真剣な眼差しで慎也を見つめた。
「お父さん、これは、ただの恋愛じゃないの。私、健太と、結婚を前提に、付き合いたいと思ってる」
その言葉を聞いた瞬間、慎也は目を丸くし、由美も驚きを隠せない様子で夏希を見つめていた。
「結婚だと? お前たち、まだ高校生じゃないか!」
慎也の声が、少しだけ大きくなった。夏希は、そんな父の態度にも怯むことなく、自分の決意を語った。
「そうだよ、まだ高校生だよ。でも、だからこそ、今、決めておきたかったの。私たち、遠距離恋愛は現実的じゃないって思ってて。だから、健太も、私の大学の近くにある系列校に進学するって決めてくれたの」
夏希は、健太の決意も交えながら、自分たちの真剣さを訴えた。慎也は、その言葉を聞いて、黙り込んでしまった。
「お父さん、お母さん、健太と私は、絶対に幸せになる。だから、二人で、結婚を前提に、将来を考えていきたいの。どうか、応援してくれませんか?」
夏希は、両親に頭を下げた。由美は、娘の真剣な想いに、涙ぐんでいた。
「わかったわ、夏希。お母さん、健太くんなら、安心して任せられる」
由美は、夏希の頭を優しく撫でながら、そう言った。慎也は、まだ何も言わなかった。夏希は、父の言葉を待った。沈黙が、リビングに重くのしかかる。
やがて、慎也は、小さくため息をつくと、夏希の顔を見つめた。
「夏希……お前、本当に健太くんを愛しているんだな」
慎也の言葉は、厳しさの中に、深い愛情が感じられた。夏希は、涙を浮かべながら、深く頷いた。
「うん。健太のことが、大好き」
その素直な言葉を聞いて、慎也は、静かに微笑んだ。
「そうか。お前がそこまで言うなら、父さんは何も言わない。ただ、健太くんには、一つだけ言っておきたいことがある」
慎也は、夏希に視線を向けたまま、毅然とした声で言った。
「ちゃんと、夏希の大学生活も、二人で支え合って、勉強も頑張りなさい。もし、お前たちに何かあった時……」
慎也は、少しだけ言葉を詰まらせると、続けた。
「父さんと母さんが、いつでもそばにいることを、忘れないでくれ」
それは、厳しさの中にも、娘への深い愛情と、健太への信頼を込めた、慎也なりの承諾だった。夏希は、両親の優しさに、思わず声を上げて泣いてしまった。
その夜、健太と夏希は、お互いの両親が、二人の関係を温かく見守ってくれることを、改めて確認し合った。
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#### **第8話:未来の始まり、四者面談の夜**
夏希の両親からも承諾を得た二人は、後日、両家を交えて話し合う日を設けることにした。場所は、健太の自宅。これまでの幼馴染としての付き合いから、家族ぐるみでの付き合いはあったものの、このような形で、結婚を前提とした真剣な話し合いをするのは、これが初めてだった。
健太は、両親とリビングで待機していた。美穂は、料理をしながら、落ち着かない様子だった。慎吾は、いつになくスーツを着て、神妙な面持ちで座っている。
「本当に、これでいいのかしら……」
美穂がそう呟くと、慎吾は静かに言った。
「良いんだ。あいつらが、自分たちの人生を、真剣に考えて出した答えだ。親として、それを応援してやらないでどうする」
慎吾の言葉に、美穂は静かに頷いた。
やがて、インターホンが鳴り、夏希の両親がやってきた。夏希は、少し緊張した面持ちで、健太の隣に座った。
四人の大人が向かい合うリビングは、重く、張り詰めた空気に包まれていた。健太は、夏希の手を、見えないようにそっと握りしめた。夏希は、健太の手を握り返し、小さく頷いた。
最初に口を開いたのは、健太の父親である慎吾だった。
「慎也さん、由美さん。今日は、お忙しいところ、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
慎也がそう答える。両親は、互いに敬語で、どこかよそよそしい。
「健太と夏希が、結婚を前提に、真剣にお付き合いしたいと、申し出がありました。私も美穂も、驚きましたが、二人の真剣な気持ちを汲んで、応援することにしました」
慎吾は、そう言って、深々と頭を下げた。美穂も、それに倣って頭を下げる。夏希の両親は、少し驚いた様子で、互いに顔を見合わせた。
「我々も、夏希から話を聞いて、とても驚きました。ですが、娘の決意は固く、また、健太くんなら、夏希のことを、安心して任せられると、私も由美も考えております」
慎也は、そう言って、静かに微笑んだ。その言葉に、美穂と慎吾は、安堵の表情を浮かべた。
「あの、お父さん、お母さん。私たち、大学も、お互いに近くの大学に進学して、一緒に暮らすことも考えています。そして、将来、もし、私たちが家族になったら、万が一、子供を授かるようなことがあったとしても、ちゃんと責任を取ります。だから、どうか、私たち二人のことを、見守っていてください」
夏希は、健太と顔を見合わせ、二人で頭を下げた。
その言葉を聞いた四人の両親は、皆、静かに頷いた。これまでの長い幼馴染としての二人の関係を、そして、その関係が、今、新たな未来へと向かっていくことを、皆、心から祝福しているようだった。
慎也は、健太に向かって、まっすぐに言った。
「健太くん。夏希を、よろしく頼む」
その言葉は、まるで娘を託す父親の、覚悟のような響きを持っていた。健太は、夏希の手を握りしめながら、力強く頷いた。
「はい。必ず、夏希を幸せにします」
こうして、二人の未来は、両家の両親によって、温かく見守られることになった。その日から、健太と夏希の「恋人」としての新たな生活が、始まったのだ。
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#### **第9話:幼馴染の終わり、愛の始まり**
両親たちの祝福を受け、晴れやかな気持ちで家路についた二人は、いつも以上に言葉が少なかった。交わしたばかりの真新しい約束と、それに伴う未来の重みが、二人の間に漂う空気を、甘く、そして神聖なものに変えていた。
「ねえ、健太……」
夏希は、健太の自宅の前に着くと、小さな声で呼びかけた。健太が「ん?」と応じると、彼女は、まるで意を決したかのように、健太の顔をじっと見つめた。
「今日は、帰らない」
その言葉に、健太は一瞬、息をのんだ。彼女の瞳は、昨日までの不安や迷いは消え失せ、強い意志と、健太への深い愛情に満ち溢れていた。健太は、何も言わずに、ただ静かに頷いた。
夏希は、健太の部屋に入ると、慣れ親しんだ空間に、どこか気恥ずかしさを感じているようだった。机の上に積み上げられた参考書、バスケットボールのユニフォーム、そして、健太の香りが染み付いた部屋の空気に、彼女の胸は高鳴る。
「夏希……」
健太は、夏希の背後から、そっと彼女を抱きしめた。夏希の身体は、びくりと震えた後、健太の腕に身を任せるように、力を抜いた。
健太は、彼女の首筋に顔を埋め、深呼吸をした。そこから漂う、甘く、それでいて爽やかなシャンプーの香りが、健太の理性を揺さぶる。健太の唇が、彼女の耳たぶに触れると、夏希は「ひゃんっ」と、小さな悲鳴のような声を上げた。
「大丈夫だよ」
健太は、耳元で優しく囁いた。その言葉は、まるで魔法のように、夏希の緊張を少しずつ解きほぐしていく。
健太は、夏希の身体をゆっくりと自分の方に向けた。二人の視線が交わると、健太は、彼女の透き通るような白い肌が、夕暮れの光を浴びて、淡いピンク色に染まっているのを見た。健太は、その頬に、そっと指を這わせた。
夏希は、まるで熱に浮かされたかのように、目を潤ませて健太を見つめている。健太は、その瞳に吸い込まれるように、ゆっくりと、再び唇を重ねた。
今度のキスは、朝のキスとは違っていた。それは、互いの存在を確かめ合い、これまでの想いをぶつけ合うような、情熱的で、甘く、深いキスだった。健太の舌が夏希の唇を優しくなぞると、彼女の唇は、まるで花びらが開くように、ゆっくりと受け入れた。
健太の手は、夏希のTシャツの裾から、彼女の柔らかな背中へと滑り込んでいく。これまで触れたことのなかった、滑らかで、それでいて温かい肌の感触に、健太の指先は震えた。夏希は、健太の首に腕を回し、さらに深くキスを求めてきた。その熱い唇と、健太の手に触れる彼女の柔らかな肌は、健太の理性の壁を、いとも簡単に溶かしていく。
二人は、互いの服を脱がせ合った。健太は、夏希の肌を、一枚ずつ丁寧に露わにしていく。Tシャツ、そしてブラジャーが外され、露わになった彼女の胸は、想像していたよりもずっと豊かで、白く、柔らかな曲線を描いていた。健太は、その完璧な造形に、思わず息をのんだ。
健太が、夏希の胸に顔を埋めると、夏希は、喘ぐような甘い声を漏らした。健太は、その柔らかな感触と、甘い香りに包まれ、夏希のすべてが、今、自分だけのものになろうとしているのだと、改めて実感した。
夏希も、健太のTシャツを脱がせると、鍛え上げられた彼の筋肉質な胸板に、顔を埋めた。彼女の吐息が、健太の肌をくすぐる。
「健太、すごく……温かい」
そう言って、夏希は健太の胸に頬をすり寄せた。その仕草に、健太は、彼女を一生守り抜こうと、強く心に誓った。
二人は、裸のまま、ベッドへと横たわった。肌と肌が触れ合うたびに、二人の中に電流が走る。健太は、夏希の身体に優しくキスを落としながら、彼女の太ももをそっと開いた。
夏希の身体は、健太の愛撫に、激しく反応していた。腰が震え、太ももがぴくりと跳ねる。健太は、彼女のその反応に、優しく微笑んだ。
「大丈夫。痛くないように、優しくするから」
そう言って、健太は、夏希の処女を、優しく、時間をかけて、ゆっくりと、受け入れた。彼女の小さな抵抗と、痛みを感じる瞬間。健太は、彼女の額にキスを落とし、優しく声をかけ続けた。
やがて、夏希の身体が、健太の身体に、完全に溶け合うように受け入れられた時、彼女の瞳からは、安堵と、喜びの涙が溢れ出していた。
二人は、互いの身体を強く抱きしめ合った。それは、幼馴染としての二人の終わりであり、恋人として、そして、将来を共にするパートナーとして、二人の新しい人生が、今、この瞬間から始まったことを意味していた。
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#### **第10話:恋人たちの夏休み、受験と愛の狭間で**
夏休みも終盤に差し掛かり、蝉の声が、より一層けたたましく響き渡るようになった。健太と夏希は、お互いの家で、それぞれの受験勉強に励む日々を送っている。しかし、その日常は、もう以前のそれとは全く違っていた。
昼食時になると、健太は、お弁当を持って夏希の家を訪れるようになった。美穂が「二人で食べなさい」と、気を利かせて持たせてくれたものだ。夏希は、健太が来ると、それまで集中していた勉強の手を止め、満面の笑みで彼を迎える。
「いらっしゃい、健太。今日のメニューは何?」
「卵焼きと、唐揚げだって」
二人は、夏希の部屋の小さなテーブルで、向き合って座る。たわいのない会話を交わしながら、美穂の作ってくれたお弁当を食べる時間。それは、二人の新しい日常の中で、最も甘く、幸せな時間だった。
健太は、夏希が美味しそうに卵焼きを頬張る姿を、ただ見つめていた。その横顔は、これまでの「親友」としての夏希とは、どこか違って見える。彼女の白い肌は、夏の陽光を浴びて、少しだけ小麦色に変わり始めていた。口元についた米粒を、健太が指でそっと拭うと、夏希は「んもう!」と、頬を赤く染めて健太を睨んだ。
「なに見てるのよ」
「いや……だって、可愛いなって思って」
健太がそう言うと、夏希はさらに顔を赤くし、健太の膝を軽く蹴った。
「ばか……」
そんなやり取り一つ一つが、健太の心を温かく満たしていく。夏希の隣にいることが、当たり前だったはずなのに、今は、隣にいること自体が、健太にとって、何よりも幸せなことだった。
昼食を終えると、二人は一緒に、受験勉強を再開する。健太が数学の問題集を解き、夏希が世界史の教科書を広げる。二人の間には、時折、静寂が訪れる。それは、退屈な時間ではなく、お互いの存在を感じながら、それぞれの夢に向かって努力する、尊い時間だった。
夏希は、勉強に集中している健太の横顔を、じっと見つめていた。真剣な眼差し、時折難しい顔をしてペンを走らせる姿。そんな健太の横顔を見るたびに、夏希の胸は、甘い疼きを感じた。
健太が、少し伸びをするために顔を上げると、夏希の視線とぶつかった。
「どうした?」
「ううん……なんでもない」
夏希はそう言って、再び教科書に目を落とす。だが、その頬は、また少し赤く染まっている。
夜になると、二人は家の近くの公園で、涼しい夜風に吹かれながら、一緒に過ごすようになった。受験勉強の疲れを癒すように、互いの手を握りしめ、言葉を交わす。
「ねえ、健太。大学に入ったら、隣同士のアパート、本当に探してくれる?」
「ああ。もちろんだ。二人で、毎日、帰る場所があるって、幸せだろ?」
健太はそう言って、夏希の手を、さらに強く握りしめた。夏希は、その健太の力強さに、安心感を覚える。
「うん……それに、もし、私たちが同棲することになったら、その時は、ちゃんと避妊しなきゃね」
夏希が、少し真面目な声でそう言うと、健太は、彼女の顔をのぞき込んだ。
「分かってる。俺、夏希に、絶対に無茶はさせないから」
健太の言葉に、夏希は、健太の胸にそっと顔を埋めた。
夏希の短い髪が、健太の首筋をくすぐる。健太は、彼女の柔らかな髪の感触を楽しみながら、そっと、夏希の身体を抱きしめた。その抱擁は、情熱的なものではなく、ただひたすらに、優しく、愛に満ちたものだった。
蝉の声が、遠くで、最後の命を燃やすように響いている。健太と夏希は、その声を聞きながら、互いの温かさを感じ、静かに、そして、深く、結ばれていた。それは、二人の未来を、二人で築いていくための、大切な第一歩だった。
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#### **第11話:秋風と焦燥、二人の間に漂う不安**
夏休みが終わり、秋風が吹き始める頃、二人の日常は再び変化した。これまでのような、のんびりとした昼食の時間や、夜の公園での語らいは、次第に少なくなっていった。受験本番まで、あと三ヶ月。二人は、それぞれの夢に向かって、ひたすらに勉強に没頭する毎日を送っていた。
夏希は、志望校の過去問を解くことに集中していた。教育学部の専門分野は、知識の量と深い思考力が問われる。ペンを走らせる彼女の横顔には、いつも以上に真剣な表情が浮かんでいた。しかし、時折、彼女の手が止まることがある。健太のことが頭に浮かぶのだ。
健太は、自分の志望校を変更した。夏希の大学の近くにある体育学部の系列校。そこは、これまでの彼が目指していた、全国レベルの強豪校ではなかった。健太は、そのことに後悔はないと口にしていたが、夏希は、彼の心の中に、何かを諦めた寂しさがあるのではないかと、漠然とした不安を抱いていた。
ある日の放課後、夏希は健太の隣の席で自習をしていた。健太は、数学の問題集と睨めっこしている。その横顔には、疲労の色が濃く出ていた。夏希は、健太の集中を妨げないように、そっと彼の手を握った。
健太は、少し驚いたように夏希の方を向く。
「どうした?」
そう問いかける彼の声には、少しだけ、苛立ちが混じっていた。夏希は、握った手をすぐに離し、小さく首を振った。
「ううん、何でもない。ごめんね、邪魔しちゃって」
夏希の言葉に、健太はすぐに自分の態度を反省した。彼は、疲労から来る苛立ちを、夏希にぶつけてしまったのだ。
「ごめん、夏希……。ちょっと煮詰まってて……」
健太は、そう言って、夏希の手をもう一度、今度は優しく握りしめた。
「俺、これで本当に良かったのかなって、時々考えてしまうんだ。お前が、本当に俺のために、夢を諦めさせてしまったんじゃないかって……」
健太の口から、初めて本音が漏れた。夏希は、健太の不安が、自分の不安と重なっていることを悟った。
「ばか……何言ってるのよ」
夏希は、健太の手を強く握り返した。
「健太は、私のために志望校を変えてくれたんじゃない。私たちの未来のために、そう決めてくれたんでしょ? 私だって、健太と一緒にいたいから、この大学を選んだの。夢も大事だけど、私は、健太と一緒の未来を、もっと大事にしたい。それが、私の答えだった」
夏希の言葉は、健太の心を、ゆっくりと温めていく。それは、夏希が健太に告白した時と同じように、健太の心を救う、真実の言葉だった。
二人は、再び手を握り合ったまま、静かに勉強を再開した。互いの存在が、ただの癒しではなく、前に進むための確かな力になっていることを、二人は再確認した。
ある晩、健太は、公園で夏希と待ち合わせをしていた。夏希は、少し遅れてやってきた。彼女の顔は、疲労の色で少し青白く、唇は乾いている。
「ごめん、健太。世界史、全然頭に入らなくて……」
夏希がそう言うと、健太は、彼女の唇に、そっと指を触れた。
「夏希、頑張りすぎだよ。少しは休めよ」
「でも……健太と、一緒の大学に行きたいから。頑張らなきゃって……」
夏希の言葉に、健太は、彼女を抱きしめた。
「大丈夫だよ、夏希。二人で頑張ろう。俺が、そばにいるから」
そう言って、健太は、夏希の額にキスを落とした。
秋風が、二人の間を通り過ぎていく。それは、二人の間に漂う焦燥や不安を、少しだけ和らげてくれるような、優しい風だった。二人は、互いの存在を、まるで自分の夢のように、大切に抱きしめ合った。
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#### **第12話:未来を告げる、桜咲く春の日**
二月も終わり、三月に入ると、日差しは少しずつ春めいてきた。受験という長い戦いは終わり、健太と夏希は、互いに手ごたえを感じながらも、結果を待つ日々を送っていた。その日々は、不安と期待が入り混じった、落ち着かない時間だった。
合格発表の日。健太は、スマートフォンを握りしめ、夏希からの連絡を待っていた。午前十時。夏希が志望する大学の合格発表が、インターネットで行われる。健太は、自分のことのように緊張していた。
「健太……受かった!」
数分後、夏希からの一本の電話。その声は、震えていた。健太は、彼女が泣いているのだと分かった。
「よかったな、夏希! おめでとう!」
健太は、自分のことのように喜び、電話口で叫んだ。夏希は、泣きながら、健太に感謝の言葉を伝えた。
「ありがとう、健太。健太が、そばにいてくれたから、頑張れた。健太の隣で、一緒に勉強できたから……」
夏希の言葉に、健太は胸が熱くなった。
「ばか……俺の方こそ、お前がいたから頑張れたんだ」
二人は、電話口で、しばし喜びを分かち合った。
夏希の合格から、一週間後。健太の志望校の合格発表があった。夏希は、健太の自宅で、彼の隣に座り、祈るように合格発表のサイトを二人で開いた。
画面に表示された、「合格」の二文字。その瞬間、健太は、安堵と喜びで、言葉が出なかった。
「健太……!」
夏希は、健太の腕に抱きつき、涙を流した。健太は、夏希を強く抱きしめ、彼女の頭に顔を埋めた。
「よかった、本当に……よかった」
健太の声も、少しだけ震えていた。
二人は、両親に合格を報告するため、リビングへと向かった。美穂と慎吾は、二人の満面の笑みを見て、全てを察した。
「お父さん、お母さん! 私、受かったよ!」
夏希は、自分のことのように喜ぶ美穂に、抱きついた。慎吾は、健太の肩を叩きながら、満足そうに頷いた。
「よくやったな、健太。夏希ちゃんも、おめでとう」
その言葉は、厳格な慎吾の、最大の賛辞だった。
その日の夜、健太と夏希は、両家を交えて、ささやかなお祝いの食事会を開いた。慎也と由美も、二人の合格を心から祝福してくれた。
「まさか、二人が同じ大学に進学するなんてな……。人生、何があるか分からないもんだ」
慎也が、感慨深そうに呟く。健太は、その言葉に、微笑んだ。
「お父さん、お母さん。俺たちは、これからも、一緒にいることを、一番大切にしていきます」
健太の言葉に、夏希は、健太の手を、テーブルの下でそっと握りしめた。
食事会の後、健太と夏希は、二人きりで夜道を歩いた。桜のつぼみが、膨らみ始めている。もうすぐ、新しい春がやってくる。
「ねえ、健太。私たち、本当に、新しい生活が始まるんだね」
「ああ。隣同士のアパート、探さなきゃな」
健太は、そう言って、夏希の手を握りしめた。その手は、これまでの親友として過ごした日々よりも、ずっと温かく、そして、頼もしく感じられた。
二人は、桜並木の下で、互いの顔を見つめ合い、笑い合った。未来への不安は、もうない。二人は、これから始まる新しい生活を、互いに支え合い、そして、愛し合いながら、生きていく。
それは、幼馴染の終わりであり、恋人としての、そして、家族としての、新しい人生の始まりだった。
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#### **第13話:隣の君と歩む新しい人生**
桜が満開に咲き誇る、新しい春。健太と夏希は、それぞれの入学式を終え、いよいよ待ちに待った大学生活をスタートさせた。二人が選んだ下宿先は、約束通り、隣同士のアパートだった。
新しくできたばかりのそのアパートは、木造の温かい作りで、それぞれの部屋の扉には、新しいプレートが光っている。健太の部屋の隣には、夏希の部屋。たった一枚の壁を隔てただけで、互いの存在をいつも感じられる。その事実に、二人は胸をときめかせていた。
「健太、私、引っ越しの荷解き、全然終わらないよー」
夜九時を過ぎた頃、夏希の部屋の扉がノックされ、扉が開くと、夏希が顔を覗かせた。彼女は、段ボールの山に囲まれ、少し疲れた様子だった。
「おー、手伝いに行くよ」
健太は、自分の部屋の整理を中断し、夏希の部屋へと向かった。部屋の中は、段ボールと荷物で足の踏み場もないほどだった。
「ひどいでしょ? もう、どこに何を置いたらいいか分からなくなっちゃって」
夏希は、そう言って、健太に助けを求めた。健太は、そんな彼女の困った顔を見て、思わず笑みがこぼれた。
「仕方ないな。まずは、この段ボールから開けていこう」
二人は、協力して荷解きを始めた。夏希の服が入った段ボール、教科書やノートが入った段ボール、そして、バスケットボールのユニフォームやシューズが入った段ボール。一つ一つの荷物に、夏希の人生の軌跡が詰まっている。
健太は、夏希の部屋の壁に、バスケットボールのポスターを貼るのを手伝った。高校時代、二人で一緒に応援した、プロバスケットボールチームのポスターだ。ポスターを貼り終えると、健太は夏希の顔を、その日の夜に初めて、じっと見つめた。
「夏希、本当に隣なんだな……」
健太の言葉に、夏希は「うん」と頷き、少し照れたように微笑んだ。
「これからは、朝起きたら、隣に健太がいるって思うと、なんだか変な感じ」
夏希は、そう言って、健太の手に自分の手を重ねた。健太は、その手にそっとキスをした。
「俺もだよ。でも、変な感じっていうより……幸せだなって思う」
健太は、そう言って、夏希を優しく抱きしめた。彼女の身体からは、新しい生活の香りがする。健太は、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
荷解きが終わり、二人は、夜遅くまで、互いの部屋を行き来した。夏希の部屋で、健太が淹れたコーヒーを飲みながら、大学での出来事を語り合う。健太の部屋で、夏希が買ってきたお菓子を食べながら、明日の講義の予習をする。
午前零時を過ぎた頃、夏希は、健太の部屋を出て、自分の部屋に戻ろうとした。
「夏希……」
健太が、彼女を呼び止める。
「どうしたの?」
「いや……別に。ただ、もう、いつでも会えるんだなって思ってさ」
健太の言葉に、夏希は、また少し、頬を赤く染めた。
「うん。おやすみ、健太」
「おやすみ、夏希」
夏希が、自分の部屋の扉を開けようとすると、健太は、彼女の背中を、そっと抱きしめた。
「夏希……愛してる」
その言葉は、健太の心からの、偽りのない気持ちだった。夏希は、健太の腕の中で、ゆっくりと振り向くと、健太の唇に、そっと自分の唇を重ねた。
それは、夜の終わりと、新しい朝の始まりを告げる、甘く、優しいキスだった。
二人は、それぞれの部屋に戻り、それぞれのベッドに横たわった。しかし、二人の心は、もう離れることはない。たった一枚の壁を隔てただけの場所で、二人は、これから始まる新しい人生を、互いの存在を、そして、互いの愛を、確かめ合いながら、歩んでいく。
それは、一つの物語の終わりであり、二人の新しい物語の始まりだった。
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#### **第14話:新生活の幕開け、隣の君との距離感**
新生活が始まって一ヶ月が経った。隣同士のアパートでの生活は、健太と夏希にとって、夢のような時間だった。朝は、夏希が健太の部屋の扉をノックし、「健太、遅れるよ!」と声をかけて起こす。夜は、互いの部屋で夕食を済ませた後、どちらかの部屋で一緒に勉強したり、映画を見たりして過ごした。
これまで親友として当たり前だった二人の関係は、隣に住む「恋人」として、少しずつ新しい形に変化していた。大学のキャンパスで偶然会うと、健太は、他の友人たちの手前、夏希に声をかけることを一瞬ためらう。夏希も、そんな健太の態度に、少しだけ寂しさを感じていた。
ある日の昼休み、健太は、同じバスケ部に入部した友人の木村と学食で昼食をとっていた。木村は、健太とは違う、明るく社交的な性格で、学内でもすでに多くの友人ができていた。
「健太、お前、さっき隣の部屋の美人とすれ違っただろ? あれ、彼女か?」
木村の言葉に、健太は一瞬、言葉を詰まらせた。
「いや、違うよ。ただの幼馴染」
健太は、咄嗟に嘘をついてしまった。木村に、夏希との関係をからかわれるのが、少し気恥ずかしかったのだ。
その日の夜、夏希の部屋で一緒に勉強している時、健太は、昼間のことを夏希に話そうか迷っていた。しかし、夏希が口を開く方が早かった。
「ねえ、健太。昼間、学食ですれ違った時、どうして声をかけてくれなかったの?」
夏希の瞳は、健太を真っ直ぐに見つめていた。その瞳に、寂しさと、少しの怒りが混じっているのを見て、健太は、自分のしたことの愚かさに気づかされた。
「ごめん、夏希……。木村に、からかわれるのが、ちょっと恥ずかしくて……」
健太の正直な告白に、夏希は、静かに言った。
「私、健太の恋人になったの。健太にとって、それが、恥ずかしいことなの?」
その言葉は、健太の胸に、深く突き刺さった。健太は、夏希の手を握り、謝った。
「違う、違うんだ。恥ずかしいなんて思ってない。ただ、どうしたらいいか分からなくて……。まだ、俺たち、恋人として、どう振る舞ったらいいか、慣れてないんだ」
健太の言葉に、夏希は少しだけ、表情を和らげた。
「そっか……私もだよ。親友として、ずっと隣にいたから、恋人として、どうしたらいいのか、まだ分からない。でもね、健太。私は、健太が、私を隣の部屋の『ただの幼馴染』じゃなくて、『大切な恋人』だって、周りに言ってくれるような、そんな関係になりたい」
夏希は、そう言って、健太の頬に、そっとキスをした。健太は、その優しさに、改めて夏希を愛おしく思った。
その日から、健太は、大学内で夏希と会うと、他の友人の目も気にせず、笑顔で夏希に手を振るようになった。夏希も、そんな健太の行動に、満面の笑みで応えた。二人の間には、ようやく「恋人」としての、新しい距離感が生まれ始めていた。
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#### **第15話:就職という名の壁、未来への挑戦**
大学二年生になると、二人の周りでは、少しずつ「就職」という言葉が飛び交うようになった。同じ大学にいることで、いつでも会うことはできる。しかし、それぞれの夢に向かって進む道は、大学生活が終われば、また別々になるかもしれない。
ある日のこと。夏希は、教育学部の掲示板で、教員採用試験に関するポスターを見つけた。そして、健太は、体育学部の掲示板で、プロバスケットボール選手になるためのトライアウトに関するポスターを見つけていた。
その夜、二人は、健太の部屋で、それぞれのポスターを眺めていた。
「私、やっぱり教師になりたい。子供たちに、バスケの楽しさも教えてあげたいなって思って」
夏希は、そう言って、教員採用試験のパンフレットを健太に見せた。
「俺も、もう一度、プロの道に挑戦してみようと思う。夏希が、俺のために志望校を変えてくれたから……。だから、俺も、もう一度、自分の夢を追いかけてみたい」
健太の言葉に、夏希は驚きを隠せない。
「でも、健太……もし、プロになれなかったら……」
「大丈夫だ。プロになれなくても、夏希の大学の近くの高校で、体育教師になれるように、頑張るよ。それは、お前と、同じ道を歩みたいからだ」
健太の言葉は、夏希の不安を、優しく包み込んだ。二人の夢は、それぞれ違う。しかし、その夢の先には、いつも互いの存在があった。
「私も、健太と一緒に頑張る。大学の勉強も、教員採用試験の勉強も、頑張るよ」
夏希は、そう言って、健太の手を握った。
就職という名の壁は、二人の前に、立ちはだかっていた。しかし、それは、二人の愛を試すための、新しい試練でもあった。二人は、互いの夢を応援し、励まし合いながら、未来へと向かう道を歩み始めた。
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#### **第16話:夢と現実、就職活動の試練**
大学三年生の夏、健太と夏希の就職活動は、本格的なものとなった。夏希は、教育実習や教員採用試験の勉強で多忙な日々を送っていた。一方、健太は、プロバスケットボール選手になるためのトライアウトに向けて、日々練習に明け暮れていた。
夏希は、教育実習先の小学校で、子供たちにバスケットボールを教える喜びを感じていた。子供たちのキラキラした瞳、そして、バスケットボールに夢中になる姿を見るたびに、夏希は、自分の夢が間違っていないことを確信した。
しかし、夏希が多忙になればなるほど、健太との時間は減っていった。二人で一緒に夕食をとることも、夜遅くまで語り合うことも、少なくなっていった。
ある日のこと。夏希は、教育実習のレポートに追われ、夜遅くまで健太の部屋で勉強していた。健太は、その隣で、プロテストに向けて、自身のプレーを撮影した動画を見返している。その視線は、真剣そのもので、夏希の存在に気づいていないようだった。
「健太……」
夏希が、小さく声をかける。健太は、その声に気づかず、動画に夢中になっていた。夏希は、その健太の姿に、少しだけ寂しさを感じた。
「ねえ、健太。私のこと、もうどうでもいいの?」
夏希の言葉は、思わず口から出た、本音だった。健太は、その言葉にハッとして、夏希の方を向いた。
「どうしたんだよ、急に。俺は、プロになるために、真剣にやってるだけだよ」
健太の声には、苛立ちが混じっていた。夏希は、その健太の態度に、涙を浮かべた。
「でも、私、寂しいよ……。最近、健太と、全然話せてない。大学に入って、隣に住んでるのに、心は、どんどん離れていくみたいで……」
夏希は、そう言って、レポート用紙に涙を落とした。健太は、その夏希の姿に、自分の至らなさを痛感した。
「ごめん、夏希……。俺、自分のことしか見えてなかった。夏希が、頑張ってることも、分かってたはずなのに……」
健太は、夏希を抱きしめた。彼女の身体は、小さく震えている。
「俺、プロテスト、本当に受かるのかな……。夏希が、教師になるために、あんなに頑張ってるのに……。俺は、もしプロになれなかったら、どうしたらいいんだろう……」
健太の口から、不安が漏れた。夏希は、その健太の言葉に、ハッとした。
「ばか……何言ってるの。プロになれなくても、健太は健太だよ。私、健太が、どんな道を選んでも、ずっとそばにいるよ。健太と一緒なら、どんな困難だって、乗り越えられるって、信じてるから」
夏希の言葉に、健太は、夏希を抱きしめる腕に、さらに力を込めた。
その夜、二人は、プロテストや教員採用試験の勉強を、一緒に頑張ることを、改めて誓い合った。一人で抱え込んでいた不安を、二人で分かち合うことで、二人の絆は、より強固なものになっていく。
就職という名の壁は、二人の夢と現実を、そして、二人の愛を試す、大きな試練だった。しかし、二人は、その試練を、互いに支え合いながら、乗り越えていこうとしていた。
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#### **第17話:それぞれの決戦、そして再会**
秋が深まり、冬が近づいてくる頃、健太と夏希は、それぞれの決戦に挑んだ。夏希は、教員採用試験に合格するため、必死に勉強を続けた。一方、健太は、プロバスケットボール選手になるため、トライアウトに挑戦した。
夏希の教員採用試験の日。健太は、試験会場の入り口で、夏希を待っていた。緊張した面持ちで出てきた夏希に、健太は、優しく微笑みかけた。
「お疲れ様、夏希。よく頑張ったな」
「健太……」
夏希は、健太の顔を見ると、安堵の表情を浮かべた。
「受かってるかな……。不安だよ」
「大丈夫だよ。俺は、夏希が、最高の先生になるって信じてる」
健太は、そう言って、夏希の手を握りしめた。
一方、健太のトライアウトの日。夏希は、健太の試合を見に行くことはできなかった。教員採用試験の勉強と、大学の課題に追われていたからだ。しかし、夏希は、遠くから、健太の成功を祈っていた。
トライアウトを終えた夜、健太は、夏希の部屋を訪れた。夏希は、健太の顔を見ると、安堵と同時に、不安な気持ちになった。健太の顔には、疲労の色が濃く出ていた。
「健太……プロテスト、どうだった?」
夏希の問いに、健太は、静かに首を振った。
「ダメだった。俺の力不足だった」
その言葉を聞いた瞬間、夏希は、健太を強く抱きしめた。
「健太……! よく頑張ったね。本当に、よく頑張ったね」
夏希は、健太の背中を、優しく、でも力強く叩いた。健太は、夏希の腕の中で、静かに涙を流した。
「夏希……ごめん。俺、プロにはなれなかった。お前と、同じ道を歩めなかった……」
「ばか……何言ってるのよ。健太は、私のために、志望校を変えてくれたんだよ。そして、プロという夢を追いかけてくれた。その健太の気持ちが、私にとって、何よりも嬉しかった。だから、もう泣かないで」
夏希は、そう言って、健太の顔を両手で包み込んだ。
その夜、健太と夏希は、互いの夢を応援し、励まし合いながら、それぞれの夢が、決して無駄ではなかったことを、再確認した。
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#### **第18話:プロポーズ、桜の下の決意**
健太は、プロテストには合格できなかった。しかし、その悔しさをバネに、社会人のバスケットボール同好会チームがある会社への就職活動に挑み、見事内定を勝ち取った。それは、バスケットボールを続けられる喜びと、夏希との未来を築ける安心感を、同時に手に入れた瞬間だった。
夏希も、教員採用試験に合格し、来春から、念願の小学校の教師として働くことが決まっていた。二人は、それぞれの夢を叶え、卒業を目前に控えていた。
卒業式を終えた日の夕方、健太は、夏希を高校の校庭へと誘った。夕暮れの空が、二人を包み込むように、淡いオレンジ色に染まっている。校庭の片隅にある、二人がよく自主練習をしていたバスケットボールのゴール。そのネットは、今も、風に揺れていた。
「夏希、ちょっと付き合ってくれ」
健太は、そう言って、鞄からバスケットボールを取り出した。夏希は、何も言わずに、健太のパスを受け取る。健太は、夏希に、一つだけパスを出してほしいと頼んだ。夏希は、健太に、優しく、しかし、力強いパスを出した。
健太は、そのパスをキャッチすると、そのままジャンプシュートを決めた。それは、二人がバスケットボールを通して、出会い、そして愛を育んできた、すべての思い出が詰まった、最後のシュートだった。
シュートが決まると、健太は、夏希の方へと振り向いた。その手には、バスケットボールではなく、小さな箱が握られている。
「夏希。俺は、プロにはなれなかった。でも、社会人のバスケチームで、これからもバスケは続ける。そして、お前が教師として、子供たちにバスケの楽しさを教えている姿を、一番近くで応援する」
健太は、夏希の目の前に跪いた。夕日の光が、健太の顔を照らしている。その瞳は、真剣で、そして、夏希への深い愛情に満ち溢れていた。
「俺は、お前が、人生のパスを、俺に出してくれたあの夏の日から、ずっとお前のことを、守りたいと思ってた。俺の人生の、すべての時間を、お前と分かち合いたい」
健太は、そう言って、箱を開けた。中には、バスケットボールのリングを模した、小さな指輪が光っている。
「夏希。俺と、結婚してください」
その言葉を聞いた瞬間、夏希の目からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。健太のプロポーズは、二人の愛が、どれほど深く、そして確かなものであるかを、夏希に教えてくれた。
「うん……喜んで。喜んで、結婚します」
夏希は、泣きながら、健太の手を握りしめた。健太は、夏希の指に、優しく指輪をはめた。指輪は、夏希の指に、完璧にフィットした。
二人は、夕日が沈む校庭で、互いを強く抱きしめ合った。それは、二人の愛が、幼馴染の友情から、恋人としての愛、そして、夫婦としての愛へと、最終的に昇華した、感動的な瞬間だった。
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#### **第19話:予感、新しい家族の足音**
プロポーズから二ヶ月が経った頃、健太と夏希は、結婚に向けて、具体的な準備を進めていた。両親にも、結婚の承諾を得て、式場や新居を探す日々を送っている。
そんなある日のこと。夏希は、朝から、少し体調が悪かった。吐き気と、微熱。風邪をひいたのかと思っていたが、生理が二週間も遅れていることに気づき、夏希の心臓は、激しく脈打った。
夏希は、健太に何も言わずに、ドラッグストアで妊娠検査薬を購入した。帰宅後、自分の部屋で、一人、検査薬を使った。
検査薬に表示された、二本の線。その二本の線は、夏希の心を、不安と、そして、どうしようもない喜びで満たした。
「健太……」
夏希は、震える手で、健太の部屋の扉をノックした。健太は、扉を開けると、夏希の顔を見て、何かを察したようだった。
「どうした、夏希? 顔色が悪いぞ」
健太は、夏希の手を握り、部屋へと招き入れた。夏希は、言葉が出ず、ただ、健太の手を握りしめている。
「夏希、何かあったのか?」
健太が、優しい声で夏希に問いかける。夏希は、意を決して、健太に、二本の線が表示された検査薬を見せた。
健太は、その検査薬を見て、言葉を失った。夏希も、健太の反応に、不安な気持ちになった。
「健太……」
「夏希……本当に、なのか?」
健太の声は、震えていた。夏希は、頷きながら、涙を流した。
「うん……」
その瞬間、健太は、夏希を強く抱きしめた。それは、驚きでも、戸惑いでもなかった。ただひたすらに、夏希を、そして、二人の間に芽生えた新しい命を、愛おしく思う気持ちだった。
「よかった……」
健太は、そう言って、夏希の頭に顔を埋めた。夏希は、健太の温かい胸の中で、安堵の涙を流した。
「俺、お父さんになるんだな……。夏希、ありがとう」
健太の言葉に、夏希は、健太の背中に腕を回し、さらに強く抱きしめた。
二人の愛は、結婚という約束だけでなく、新しい生命という形で、現実のものとなった。それは、二人の人生が、新たな家族という形で、続いていくことを意味していた。
運命のバスケットボールコート 舞夢宜人 @MyTime1969
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