第32話 大晦日、それぞれの幸せ

 人がごった返す熱田神宮。三神器の一つ『草薙剣』が祀られる格式高い神社は、名古屋を代表するパワースポットとも呼べる。

 樹齢千年を超える御神木が参道の真ん中にそびえ、さらにその参道に沿って、たこ焼き、わたあめ、ボール掬いなど、お祭りで定番の屋台がどこまでも続いている。

 寒さも忘れ楽しそうに騒ぐ大人と子供、イカ焼きの香ばしい匂いとベビーカステラの甘い匂いが漂うちょっとした非日常の中、ロレルが大きな瞳を輝かせていた。

「すごーい! これがお祭り! 良い匂いがたくさんするし、みーんな楽しそう! ねえねえ直樹! あれはなんのお店⁉︎ りんご飴ってどんな味がするの⁉︎」

 初めての屋台にはしゃぐロレル。直樹の手を引っ張り、今にも走り出しそうな彼女に、直樹の気分も高揚する。

「あれは射的。あの銃で撃ち落とした景品が貰えるんだ。んでりんご飴はそのまんまりんごと飴の味だけど……こういうところで食うとやったら美味いんだ! ってわけで早速買うぞ!」

「おー!」

 人混みを掻き分け、屋台に向かう二人。直樹も子供のようにはしゃぎ、しかしロレルと熱く指を絡め合っている。

「……二人ともまだまだ子供ですね……ふふっ」

 クールを装うシルヴィにも笑顔が浮かぶ。初めての参拝、初めての祭りが、彼女のクール仮面を優しく溶かす。

「…………私も幸せです。愛するあの子たちの幸せを、一番近くで見守れる。――これも、メイドの特権ですね」

 屋台の前で笑い合う二人を見つめ、感傷に浸るシルヴィ。大人の女性である彼女は、亡き親友の分まで二人を見守り続けると決めていた。

「お姉さんめちゃくちゃ綺麗じゃん! どう? 俺とホテルで年越しでも――」

「消えなさい」

 言い寄って来たチャラ男を転移させる。座標は適当に決めたが、多分死にはしないだろうと。

「ロレル様! 直樹! 私の分もお願いしまーす!」

 気持ちを切り替え二人に声をかける。珍しくシルヴィの大きな声を聞いた二人は、少し驚きながらも手を振った。

「うーい!」「任せてシルヴィ!」

 店員に小銭を渡し、二人がシルヴィの元に戻って来る。手渡しされた宝石のように真っ赤な飴に、シルヴィも嬉しそうに微笑む。

「ふふっ、ありがとう直樹。とても美味しそう」

 普段より子供っぽく、しかしいつも以上に色っぽく見えるシルヴィ。りんご飴を手渡し、わずかに触れた手に直樹が「うっ……お、おう!」と顔を赤らめると、すかさずロレルが直樹の脇に角を突き刺した。

「ぐわああああっ⁉︎ 刺さってる! 先っぽ刺さってるって!」

「うるさいバカ直樹! 私というものがありながらシルヴィにデレデレしちゃって! チューしてくれなきゃ許さないもん!」

「さ、流石にこんな人いたら無理! ほら、代わりにギュッてするから!」

「やだやだ! こんなのじゃ足りない! チューして! いつもみたいに朝までたーくさん愛して!」

「こんなとこで言うなー!」

 喧騒をかき消すほどの痴話喧嘩。そんな人々の視線を集めながら声をあげる二人に、野次馬の誰かが声をかけた。

「あー! 直樹君だ! こんなところで会えるなんて運命ね!」

「ほひ? ――えっと、誰だっけ? どっかで会った……気はするけど……」

 二人を囲んでいた野次馬から躍り出たのは、直樹と歳の近そうな女性。大人しそうで控えめ目な化粧と、グレーの毛糸セーターの上に革のジャケットを羽織っている。

 しかし直樹からしたら見覚えはあるが名前は知らない女性。そんな彼女に続き、今度はしっかり覚えのある男性が前に出た。

「やあ高田君、また会ったね。この子は自分の彼女の速水しおりさん。ほら、『酔い酔い』の常連さんだった子だよ」

 速水の隣に立ったのは、速水とお揃いの革ジャケットを着た田中。前会った時より血色のいい顔で、善人オーラを直樹に向けている。

「哲也さん⁉︎ ――しばらく振りっす! めちゃくちゃ奇遇っすね!」

「うわっ! 田中……さん、久しぶり。それにむみぃ……じゃなくて、初めまして速水、さん……」

「ロレル様、動揺しすぎですよ。もっと自然に」

「わ、分かってるもん!」

 突然現れた元敵キャラの揃い踏みに、ロレルがギクッと警戒する。シルヴィは二人に敵意がないのを分かっており、冷静に会釈する。

 かくいう直樹はむみぃの正体を知らず、田中に対する罪悪感も童貞土下座作戦によりほぼ吹き飛んでいた。それどころか、あの日以来田中がどうなったか心配してばかりだった。

「直樹君ってば私のこと忘れちゃったのー? 私、ずっと直樹君のこと狙ってたのに突然バイト辞めちゃうし」

「ファッキューッ‼︎ ……って言いたいけど仕方ないよしおり。高田君も自分の夢を見つけたみたいだからね」

 田中が声量控えめデスボイスを披露しながら、速水を優しく諭す。

「あれ? なんで哲也さんが知ってるの? てか俺に追っかけなんていたのか……」

「バイトの休憩中にネットサーフィンしてたら、たまたまISNって小説を見つけたんだよ。最近投稿されたみたいだし、アパートも名前もそのまんま高田君だし、一発で分かっちゃったよ」

「えー、なにそれ! ねえ哲ちゃん私も読ませてー!」

 速水が田中に寄り添いながら嬉々として話しかける。田中は田中で、彼女の肩を優しく抱き寄せた。

(あー、確かにそうだよな。完全に油断してた……けど別にいっか)

「帰ったら一緒に読もうか。ちなみに最初に教えとくけど、かなり面白いよ。メタル以外の楽しみが増えたくらいだ」

「マジすか。そう言ってもらえてガチで嬉しいっす! そのうち田中さんも登場予定なんで楽しみにしててください!」

「え? 自分が?」

 軽くネタバラシをした直樹が、「あ、ヤベっ」と口を噤む。するとロレルが直樹の腕に抱きつき、それ以上のネタバレを阻止した。

「ダメだよ直樹ー。田中さんは大事なファンなんだからネタバレ禁止! それに最初に読むのは私だもん! なんたって私は直樹のファン一号なんだから!」

『残念ですがロレル、最初にマスターの小説を読めるのは私です。添削と校正は私の得意分野ですから』

 アイも加わり賑やかになる。直樹としては嬉しい限りだが、二人の馴れ初めが気になった。

「それはそうと、二人はどうやって付き合ったんすか? なんかキッカケとかあったり?」

 その言葉に田中と速水が顔を見合わせる。そして落ち着いた口調で語り出した。

「実は私、ちょっとした配信業してるんだよね。だけどある日、自分がそのガワになっちゃった夢を見て……だけど目が覚めたら、めちゃくちゃスッキリしてたの。それで久しぶりに『酔い酔い』で飲んでたら……」

「同じく変な夢を見た自分と話が弾んで、そのまま付き合うことになったんだ。それになんだろう……上手く言えないけど、しおりから自分と同じ匂いを感じたって言うのかな」

 同じ魔素に影響された者同士惹かれあった。二人は無意識のまま互いの魔素の残滓に引き寄せられ、一ヶ月前から交際を開始した。ちなみに『酔い酔い』は新しいバイトが採用され、田中の激務は終わりを迎えていた。

「……まさかこんな影響が残っていたとはな」

「……ええ、言うなれば私たちが二人のキューピッドかもしれませんね」

 ロレルとシルヴィがうんうんと頷く。直樹は二人を嬉しそうに見ると、二人に負けじとロレルを抱き寄せた。

「はは、超絶ラブいっすね。けど俺とロレルのラブラブも負けてないっすよ!」

「わぷっ⁉︎ 強引な直樹も……好き……」

 炸裂する超バカップル攻撃。田中と速水もふふっと笑い、二人を祝福した。

「うん、見てるだけでこっちも幸せな気分になるよ。おめでとう高田君」

「正直悔しいけど、哲ちゃんも真面目で優しいからいいもんね。……おめでとう、二人とも」

「あざす! お二人もめちゃくちゃお似合いっすよ!」

 互いに祝福し笑い合う。かつて争った二人も、すっかり元の優しさを取り戻していた。

(良かった。田中さんも速水ちゃんも幸せそうだ。なんつーか、今年の厄が落ちてく感じだな)

 煩悩を浄化すると云われる鐘の音を聴きながら、そんなことを思う直樹。ふと夜空を見上げると、雲一つない星空に青白い雪が舞い始めていた。

「おっ、初雪? 晴れてるのに珍しいな」

 手にポツリと落ちた雪が、直樹の体温でジワリと溶ける。それをキッカケに、周囲の人々も星空から舞い落ちる雪に騒ぎ出した。

「ははは、クリスマスは降らなかったのに、今になって慌てて振ってきたね」

「ほんとだ。配信してれば盛り上がったのに」

 田中カップルが穏やかに続き、ロレルとシルヴィも空を見上げる。

「おー! こっちの雪は真っ白なんだね! ほら見て直樹、シルヴィ、とってもきれーだよ!」

「本当ですね。まるでロレル様のよう…………ん? この魔力は……」

 何かを感じたシルヴィが満月に目を凝らす。そこには人間にはいくら目を凝らしても見えない距離に、娘を見守る親バカの影が映っていた。

「ふっ、たまには粋なことをしますね。今回はタイミングもバッチリですよ、魔王様」

 ウインクを決め微笑むシルヴィ。この珍しすぎる可憐なウインクにより、魔界に新設されたモニタールームは鼻血が飛び交う地獄絵図と化している。

 しかしそんなことを知るはずもない直樹は、耳に入った参拝客の「あー、あと一分で年が変わるよ!」という会話にハッとした。

(ヤベ、雪に気を取られて忘れるところだった! 急げ俺!)

 慌てて周囲を見渡す。みんな雪と夜空を見上げ、誰も直樹のことを見ていない。迷わずロレルの手を握ると、彼女も直樹に振り向いた。

「ロレル! ちょっといいか?」

「へ? いきなりどうしたの直樹?」

 事情を説明している時間はない。驚く彼女に構わず直樹が唱えた。

「シルヴィ、ちょっと行って来る! 飛べ!」

「へ? ひゃあっ⁉︎ な、直樹ー⁉︎」

 ビュンッと目にも止まらないスピードで飛び立つ二人。シルヴィは直樹の考えを察し、魔界で観ているであろう魔族たちに向け囁いた。

「――ここからはオフレコです。観た者は……分かりますよね?」

 彼らに刻み付けた恐怖を思い出させる氷の笑み。今度はモニタールームを恐怖で凍て付かせたシルヴィは、飛び立った二人に向け小さく漏らした。


「……明けましておめでとうございます、二人とも」

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