第23話 好き、大好き、愛してる

 ***



 ロレルは闇の中にいた。

 真っ暗で、悲しくて、冷たい沼の底のような闇の世界。

(ここが、直樹の心の中……? ほんとにできちゃった)

 無我夢中に能力を使った。誰かの心の中に入り込むなど、今まで考えたこともなかった。

 だけどできる確信があった。直樹のためなら、不可能なんてないと確信していた。

(これが愛の力……。うん、絶対そうだ。――ん? あれは……)

 一人納得していたロレルの視界に、何かが映った。目を凝らすと、暗闇に紛れて茶色い扉が見える。

「あそこだ」

 確かな予感。吸い寄せられるように扉に近付く。扉には白いプレートが貼り付けられ、『†BDK†』と油性ペンで書かれている。

 ロレルは知る由もないが、この扉は直樹の最も隠したい黒歴史――彼の実家の部屋をそのまま再現していた。

「直樹、入るよ?」

 カチャリと開く扉。鍵は掛かっていない。だがこの扉を開けるのは、世界にたった一人。ロレルだけだった。

「……見つけた」

 薄暗い部屋。背の低いテーブルに置かれた、ノートパソコンが照らす奇妙な部屋。勉強机には参考書と美少女キャラのフィギアが、壁の一面には漫画や同人誌で埋め尽くされた大きな本棚が、別の壁にはアニメポスターと、ガラスケースにも何かのキャラのフィギアがビッシリと並んでいる。

 その部屋の中心。黒いカーペットの上で、黒い髪の少年が膝を抱えていた。

「…………こんなところまで、入ってくるなよ……」

 ロレルの知る直樹より、少し幼い印象の直樹。顔は見えないが、その背中はいつもより小さく見える。

「嫌ぷー。直樹のこと、もっと知りたいんだもん。――なんて、ごめんね。勝手に入って」

 明るく返したロレルが、彼の隣に腰を下ろした。そっと肩が触れ、彼の温もりを確かめる。

「……キモい部屋だろ。これ、俺の実家の部屋な」

 俯いたまま呟き、ギュッと膝を握りしめる直樹。ノートパソコンには彼の過去のイタすぎる学校生活、私生活が、延々と流れている。

『だーかーらー! ルーナリアの可愛さは見た目だけじゃないだろ! くっころ騎士の過去が奴隷だったのは、どう考えてもステータスだ!』

『ドゥヒ……ハニーセーラーの限定フィギアゲット……。尊い……尊すぎて死ねる……』

『クソ! クソクソクソ! んだよこのクソゲー‼︎ PKとリスキルする低脳猿ばっかじゃねーか‼︎』

 どれもロレルの知らない直樹。人目も気にせずオタク談義に熱中し、萌えキャラに興奮し、朝までネトゲーに罵声を浴びせる過去の直樹。

(これが……昔の直樹……)

 典型的な現代キモオタ。これこそが直樹が消し去りたかった過去。あまりに見てられない、イタすぎる黒歴史。

 ――ロレルはそんな彼を、その部屋を、食い入るように見ていた。

「……なんとか言えよ……キモすぎて言葉も出ねーか?」

 自分を下卑する直樹に、ロレルは小さく笑った。

「…………ふふっ」

「……好きなだけ笑えよ。自分のキモさは自分が一番分かってる」

「違う、そうじゃないよ」

 ロレルが、彼の肩に頭を預けた。寄り添うように、体も彼に委ねる。

「直樹って、こんなに何かに夢中になれたんだね。いつも冷めたフリしてたし、よくダルそうな顔してたのに」

 嫌悪感なんて湧かない。湧くはずがない。確かに少し驚いたがそれだけ。むしろ愛しさがロレルの胸に湧き上がる。

「……悪かったな、ダルそうな顔で……てか無理するなよ。本当はドン引きしてんだろ?」

「してないよ。始めて見る直樹ばっかりで楽しいし嬉しいくらい。――これが直樹が隠したかったこと?」

 アイから教わっていたオタク文化。それにハマる直樹の楽しそうな顔。……もっと知りたい。直樹の全部を教えてほしい。

「……そうだ。これが本当の俺だ。周りにドン引きされて、だけど自尊心だけは一人前で、キモくて、イタくて、臆病な卑怯者だ」

「そんなことないよ。直樹は――」

「――そんなことあんだよ‼︎」

 ロレルを遮り、直樹が絶叫した。顔を伏せたまま全身を震わせる彼は、今にも消えてしまいそうに儚く見える。

「周りの奴らの顔見ろよ! 汚物を見るような顔でドン引きしてる! 告白された女子なんて、笑いすぎて腹攣ってる! 自分がキモいことなんて分かってんだよ! だから逃げた、引かれて自分が傷付かないように! だから誰も好きにならないって決めた! こんなキモオタ童貞、誰にも愛されるはずねーからな!」

 口を突いた嘆きは止まらない。過去の傷、自分への客観的評価を吐き出し、ロレルを拒絶する。逃避する。これ以上傷付かないように。ロレルから逃げるように。

 ――しかしロレルは笑わない。蔑まない。この後に及んでもロレルから逃げようとする彼を、その傷付いた繊細な心を包み込むように――。


 ――彼を抱きしめた。


「それが直樹の本当の本音なんだね」

 聖母のような声で、彼を諭すように。

「傷付きたくなかったんだね。誰かに愛してほしかったんだね」

 ようやく引き出せた彼の本音を、正面から受け止めて。

「……大丈夫。怖くないよ。大丈夫だから」

 魔聖域で出会った直樹の無意識。あの時感じた寂しさこそ、彼そのものだと理解した。

「……怖いよ……寂しいよ……誰とも関わりたくねえよ……」

 絞り出される彼の言葉。仮面が全て剥がれ、剥き出しになった裸の心。子供のように純粋な彼の心ごと抱きしめて――ロレルは遂に、その言葉を口にした。


「――好き。大好き。愛してるよ直樹」


 当然伝わってると思ってた。隠さず行動で示し続けた。

 ――だけどこの言葉こそ、彼が最も欲しかった言葉だと分かった。

「…………嘘だ」

「嘘じゃない。直樹のそばにいる時、ずっとドキドキするよ。直樹に触ると、火傷しそうに熱くなるの」

「…………ほんとに?」

「本当に。――こんな気持ち初めて。百三十年生きてきて、ずっと退屈だった。ずっと寂しかった。なのに直樹は、私が知らなかった色んな気持ちを教えてくれた。生きてて良かったって、心から思わせてくれた」

 直樹が恐る恐る顔を上げる。怯えと期待が入り混じった、酷く不細工な顔になっている。

 モニターの映像が変わる。ロレルに出会った日に、彼女と過ごした日々が流れ始める。暗かった部屋が、光に覆われていく。

「……こんな俺で、いいのか? こんな黒歴史だらけのイタいオタク、気持ち悪くないのか?」

「ぜーんぜん。過去の直樹がいたから、今の直樹がある。今の私がある。今までのどんな直樹も、自分のことが大嫌いな直樹も、全部愛してるよ」

「……っ……ロレ、ル…………おれ……俺……っ……」

 純愛者。彼の全てを受け入れ、全てを愛する者。直樹が心の奥底で求めた光こそ、ロレルそのものだった。

「――だけど直樹? 泣く前に私に言うことがあるよね?」

 しかし優しいだけじゃない。見た目こそ幼いが、ロレルは芯を持つ一人の女性。

「ごめん、なさい……迷惑ばっかかけて……俺のせいで、お前まで――」

「ちがーう! 謝らないでいいの! 私は迷惑なんて思ってないの! それより私はちゃんと伝えたよ? 告白されたらどうするの?」

 手を取り、力強く繋ぐ。彼が逃げないように、どこにも逃さないように。

 直樹もそれを悟り、ようやく、ずっと言えなかった言葉で、ロレルを包み込んだ。

「……好きだ。大好きだ。お前が俺の幸せだ。ロレルのそばにいたい。ずっと、ずっと、ロレルと一緒にいたい。……愛してる」

 二人を眩しい光が包む。直樹の部屋――深層の殻が、彼女の愛で消え去っていく。

「…………うひ、えへへへへへへ……」

 途端にロレルの表情が崩れる。自分で言わせておきながら、彼の言葉に、熱い眼差しに、フニャンとトロけてしまう。

「……直樹しゅきぃ……だいだいだいしゅき……幸せぇ……」

 トロけたロレルが直樹の胸に寄りかかると、直樹も彼女を抱きしめた。

「……ロレル、まじで可愛すぎだろ……」

「…………もうダメ……幸せすぎて死んじゃう」

 さらにトドメの一撃が加わり、完全にノックアウトされるロレル。

「……じゃあ、これで私たち……正式に夫婦、だね?」

 そしていつもの妄想、既成事実を得ようとした彼女に、直樹は苦笑しながらツッコんだ。

「だから手順を踏めっての! まず恋人から……結婚を前提にお付き合いしてください」

「むー、分かりましたよー。直樹の意気地なし。童貞」

「言葉の暴力やめーや」

「えへへっ、冗談。――明日にはこのネタ、二度と使えなくなっちゃうね」

「……お手柔らかにお願いします」

「もちろん。アイ先生にちゃんと教わったもん」

 再び大胆すぎる約束を交わし、熱く見つめ合う。

「ロレル……」

「直樹……」

 触れ合う熱い吐息。もはや互いのことしか目に入らない。吸い寄せられるように顔が、唇が近付き、重なろうとした瞬間――。

『マスター。ロレル。深層世界が崩れます。キスは現実世界でどうぞ』

 最悪なタイミングで世界に響くアイの声。二人は「え、ちょっと待てよアイ、今いいとこだったのに」「くっ! 何やってるの私の能力! 空気読んでよ!」と慌てだした。

 そんな二人に構わず、光が空間全てを包み込む。目も開けられないほどの眩しさ。しかし二人は、互いを離さないように抱きしめ合った。

『ロレルの能力が解除されます。帰還します。――――祝福します、二人とも』


 こうして二人は、アイのAIらしからぬ言葉を聞きながら、現実世界に帰っていった――――。



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