救われる者、救う者
第20話 ブラックドラゴンナイト
――直樹の魔王化と共に、止まっていた時が動いた。
直樹の体から放出された膨大な魔力は、ロレルを避けるように田中を直撃。田中は魔力の奔流に抗うこともできず瓦礫に吹き飛ばされ、骸骨の顔が砕け散る。
「…………ふん、没収だ」
気絶した田中に手をかざす直樹。するとみるみる田中の魔力が奪われ、人間の姿に戻る。
その光景をロレルと、ロレルの隣に降り立ったシルヴィは、目を見張って眺めていた。
「……我に相応しくない格好だな」
直樹が額に魔法陣を浮かべたまま自分の体を見る。途端に魔力が彼の体を包み、その姿さえ変貌させた。
――漆黒の鎧がガシャンと硬い音を立てる。背中から黒龍の翼が生え、腰にも黒龍の尻尾が伸びる。
「なお、き……?」
そこでようやく、ロレルが口を開いた。だが声は小さく震え、直樹の変化に戸惑いを露わにしている。
「……その名は捨てた。我はブラックドラゴンナイト。略してBDK。このくだらない世界を灰燼に帰す魔王だ」
「BD系……? …………え、もしかしてそれって……」
ロレルの脳が、その記憶を掘り起こす。魔聖域で見つけた小さな光。自分をこの世界に召喚した存在。
「……直樹、だったんだ。直樹が、私を召喚したんだね……」
繋がってしまった。悟ってしまった。偶然なんかじゃない、二人が出会ったのは必然だと。最初から――直樹に決められていた運命だと。
ロレルが一歩、彼に近付く。恐怖はなく、今までと変わらない歩調で。
しかし――。
「近寄るな。我は破壊の使者。天地を創造し直す者。たかが魔族の娘が触れることは許さん」
仰々しい言葉を並べた直樹が、ロレルを睨み付けた。
「……何言ってるの直樹? 私を呼んだでしょ? さっき助けてくれたでしょ? ……早く帰ろ?」
「…………黙れ。それ以上近付いたら……タダじゃおかん」
直樹が顔を、体を背ける。ロレルに対する明確な拒絶。その意思を主張するように、暴風のような魔力がロレルに向けられた。
「ロレル様、危険です! 直樹から離れてください!」
「大丈夫だよシルヴィ。直樹は直樹だもん。何も怖くないよ」
「しかし……っ!」
シルヴィの静止に構わず、さらにロレルが歩み寄る。吹き荒ぶ魔力に銀髪がたなびき、吹き飛ばされそうになりながらも、その表情は穏やかに微笑んでいる。
だが――。
「言葉で分からないなら仕方ない。――【跳べ】」
「へっ?」
背を向けたまま直樹が唱えると、ロレルの体は羽毛のように、フワリとシルヴィの元まで飛ばされた。
「理解したか? 我はお前の知る直樹ではない。特別に見逃してやるから、我の前から消えろ!」
「ロレル様……どうやら直樹は……」
ロレルを抱き止めたシルヴィが悔しさを滲ませる。しかしロレルは、「……直樹は何も変わってない。優しくて、不器用で、ちょっと意地っ張りな直樹のままだよ」と、小さく微笑んだ。
その言葉に直樹がピクリと反応する。二人に背を向けたまま目を閉じ、振り切るように空に羽ばたいた。
「貴様らにかまけている時間が惜しい。……我には使命がある。義務がある。責任がある。――それを果たすのみだ」
「待って直樹! どこに行くの⁉︎」
「……お前には関係ない」
遠ざかる直樹の背中。名古屋の上空を目指す彼の背中を追い、ロレルもまた空に羽ばたいた。
「――いつまで付いてくる気だ」
名古屋市街を見下ろしながら、直樹が背後の二人に声をかけた。
付かず離れず彼を追う二人。ロレルは信じて疑わない目で、シルヴィはそんな二人を見守るように。
ただしシルヴィの体からは、田中との戦闘で受けたダメージは消えていた。
直樹から漏れ出した膨大な魔素は、彼女の魔力へと変換され、能力上限と傷は完全回復。加えていうならば、直樹のそばにいる今なら、シルヴィは田中との戦闘で制限していた力――最強メイドの本領を存分に奮える状態である。
「直樹がこっちを見てくれるまで!」
この状況でも、ロレルはいつも通りに答える。
「……ほら、これでいいか? 大人しくどこかに――」
「ダメ、やっぱり足りない。直樹が何を考えてるか教えて?」
「…………じゃじゃ馬が」
振り向き、呆れて息を漏らす直樹。しかしこれ以上は埒が明かないと、キッとロレルを睨み付けた。
「ならば教えてやる! 我はこの世界を破壊する! ――こうやってな!」
ドオッ‼︎ と闇色の魔力が直樹の全身から噴き上がる。完全に魔界と繋がった直樹の魂は、決壊したダムのようにデタラメな魔力を放出する。
空は徐々に灰色に染まり、黒い雲が太陽を隠していく。その雲には赤い雷が疾り、ゴロゴロと不吉な雷鳴を鳴り響かせている。
「ロレル様、この魔力量……このままではこの世界が魔界に変わってしまいます」
「うん、このままじゃ本当に世界が壊れちゃうかも」
眼下には世界の異変に気が付き、空を見上げる人々が豆粒のように映る。実際SNSやテレビの生中継が騒ぎ出しているが、三人がそれを知ることはない。
「それで? この世界を壊してどうしたいの? 人間がみんな魔族に変わったら満足するの? こんなのが、直樹が本当にしたいことなの?」
「……なに?」
しかしロレルは怯まない。これは直樹にとって完全に誤算だが、ロレルはこの世界の行く末に興味はない。あるのは――。
「私は直樹のそばにいたい。それ以外どうでもいい。……だから教えて? 直樹がしたいこと。私に手伝えることはない?」
――直樹への純粋すぎる愛。ただそれだけ。
ロレルは直樹を愛している。共に過ごした時間の長さも、人間と魔族という種族の違いも関係ない。初めて一人の女の子として接してくれた。そのうえで優しく、不器用ながら大切にしてくれた。何の力もないのに、いざという時には男らしく守ってくれた。それだけで十分で、それが彼女にとって全てだった。
――しかし、それは直樹の真の願いとは根本的に反していた。
「……そうか。だったらこれ以上お前と話すことは何もない」
そう、絶対に交わることのない願い。
「なんで? 私なんでもするよ? 直樹が望むならどんなことでも――」
「ならば我を殺せるか?」
その一言に、ロレルは初めて戸惑いを見せた。
「………………なに、言ってるの?」
直樹が続ける。
「この世界は破壊する。我の存在するこの世界は消えねばならない。――つまりだ。我は過去に戻り、高田直樹を消滅させる! それが我の唯一の望みだ‼︎」
ロレルの世界が、音を立て崩れ始めた――。
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