第19話 現代魔王の覚醒
――大気が衝撃音と衝撃波でビリビリと震える中、直樹は瓦礫だらけの展望台に立っていた。
辺りはグチャグチャ。これでは営業を再開するのに、どれだけの時間と労力が掛かるのか想像も付かない。
望遠鏡がひしゃげ、案内板は捻じ切れ、分厚いガラスの破片が散乱する光景は、まるで世界の終末を思わせた。
(ひっでえなこれ。もし修理費とか請求されたら人生詰み確定だ。……けど、そんなことより早くシルヴィを助けねえとな)
先ほどから上空では、二つの影が何度も交差し、スクリームやデスボイス、シルヴィの雄々しい声が響いている。
どちらもダメージは深刻。仮に直樹が巻き込まれたら、一発で即死しているだろう。
「うっし、やるかぁ。……何でこんなことになったのか――なんて、今嘆いても仕方ねえしな」
一度溢し、晴れやかな空を見上げる。ただの人間の自分、過去から逃げていただけの卑怯者は、今や自分の死すら厭わない男に成長していた。
(頼んだぜロレル。俺の命、お前に預けた)
限界まで息を吸う。地上百メートルの冷たい空気が、直樹の肺に取り込まれる。
そして――。
「哲也さーーんっ‼︎ 俺はここでーす‼︎ バイトを勝手に辞めて、美少女たちとラブラブな毎日を送ってるクソ馬鹿野郎は、ここにいまーーす‼︎‼︎」
喉が千切れそうな大声で叫んだ。その内容は田中を変貌させた憎しみの根源。これ以上ない挑発だ。
途端に戦闘音が止まり、シンと静まり返る。何も聞かされていないシルヴィは戸惑いを浮かべ――そして田中はと言うと……。
「……ク……ァック…………ファァアアアアアアッッックッッ‼︎‼︎」
プルプルと俯いたのも束の間、これまで以上の魔力と殺気を滾らせ、一直線に直樹目掛け飛び出した。
(怖すぎて草。いや笑えねえ)
ほぼ丸裸になった展望台に死の影が降り立つ。もはや白い骸骨の残像が見えないほど頭を振り乱し、ゆっくりと直樹との距離を詰める。
ここまでは作戦通り。直接命が刈り取られなかったのは、田中との直線上に瓦礫を挟んでいたから。
――そしてここからが、この作戦の要の部分。
直樹は何の躊躇いもなくその場に跪くと、ガラスが飛散する床に頭を擦り付けた。
「嘘です! 俺まだバリバリ童貞です! この通り、どうか許してください哲也さん‼︎」
「…………ポウ?」
田中の動きが止まる。直樹の予想外の行動、誠心誠意、心からの全力土下座を見下ろし、首を傾げる。
――『童貞土下座作戦』。これがロレルの立案した、田中の人間性を取り戻すための大作戦。
自分の命すら賭けると言った直樹。なら命よりプライドを賭けてもらい、渾身の土下座で田中の闇に沈んだ心に訴える。そしてもう一つ――。
「すみません、産まれてきてごめんなさい。哲也様の命令ならなんでも従います! 靴でもケツでもベロンベロンに舐めさせてください!」
元々薄っぺらいプライドの直樹。ツラツラと謝罪の言葉を並べ、雑巾のように額を擦り付ける。
そのあまりに情けない姿に、田中はキョトンと声を漏らした。
「タカダ、クン……?」
骸骨の口から出た人の言葉。声はケモノのソレだが、微かに理性を感じる。
(ワンチャン来たー! このまま土下座で押し切れるか⁉︎)
「そうっす! 情けなくて無様で童貞の高田直樹です! どうか、どうかこのウジ虫に情けを! どうかー!」
ヒートアップする自虐。田中は直樹をジッと見つめ、「……タカダ……タカダクン……タカダ君、高田君……」と、徐々に人間の声に戻っていく。
――そんな田中の背後に、足音を消したロレルが迫っていた。
(よし、良いぞ。そのまま、そのまま止まっててくれ哲也さん!)
これが『童貞土下座作戦』の全容。直樹が田中の動きを止め、忍び寄ったロレルが田中に触れる。なんとも単純だが、この作戦は見事にハマった。
足元の瓦礫に細心の注意を払い、さらに近付くロレル。だが田中の背中まで残り二メートルに迫ったところで――田中の様子が急変した。
「アハ、アハハハハハハハッ‼︎ 土下座されるの、ンギモヂイイイッ‼︎ だけどタリナイ、高田君と……その子の死に顔ガ見タイナアアアアアッッ⁉︎」
クルリと背後に振り向く田中。抜き足していたロレルの姿を視界にバッチリ捉え、ブルッと体を震わせる。
「え……」
予期していなかった事態に、ロレルが、直樹も硬直する。
(なんでロレルのことがバレて……いや、それよりこの距離は!)
直樹は見誤っていた。田中の善人の奥に隠され、抑圧されていた破壊衝動を。そしてその衝動は今、最大出力のヘビーメタリカへと変貌した。
「グシャグシャに潰レロオオオオオッ‼︎」
作戦失敗、つまり死。無情な現実の中、直樹とロレルは、互いを求めるように手を伸ばし合った。
「ロレルッ‼︎」「直樹ッ‼︎」
だが二人の手が重なるより早く、田中の周囲の空気が震えた。
――――その刹那、直樹の意識は極限まで引き延ばされた時間の中に放り込まれた。
(……あれ、何が起きてんだ? みんな止まってる。…………そうか、漫画で見たことある。死ぬ直前って周りがスローモーションみたいに見えるんだっけ)
目の前には今にもヘビーメタリカを放とうとする田中。手を伸ばした先には、自分を真っ直ぐに見つめるロレル。視界の端には、普段のクールな表情が抜け落ち、何かを叫びながら手を伸ばすシルヴィがいた。
(俺、今から死ぬのか……。やっと、こいつらのお陰で現実に向き合えそうだったのに…………ロレルだけは、守りたかったのに……)
まだ伝えていない。好きだと。愛してると。
初めて誰かのために生きたいと思った。地元から、過去から逃げて、孤独で空虚な道を選んだ。これ以上傷付かないために。誰かに迷惑をかけないために。
だが蓋を開けてみれば、やはり自分は周りに迷惑をかけてばかりだった。
(これも俺が招いた結果……それは分かってる。けどロレルとシルヴィは関係ねえだろ。ロレルは誰かに召喚されただけ。シルヴィはロレルを追ってきただけ。……なのにこんなの……こんなの……っ!)
一縷の望みに賭け、手を伸ばしてみる。……動かない。時間が止まったように、ピクリとも動いてくれない。
(嫌だ……頼む、やめてくれ……やめてください……神様、どうかロレルだけでも、助けてください……)
何も起きるはずがない。仮に運命というものがあるのなら、二人の死は定められているように。
(…………なんでだよ……どこまで残酷なんだよ……こんな理不尽、許されてたまるかよ……)
直樹の胸が、脳が、チリチリと疼きだす。愛する少女の死。こんな世界、運命に怒りが――憎しみが湧き上がる。
(……許せねえ……許せねえ認めねえ……こんなクソな運命も世界も……)
直樹の額に光が浮かぶ。胸からは漆黒の魔力が噴き出し、直樹の理性が蝕まれる。
(……ああ、そうだ。だったら……)
額に、いつか試した黒魔術の魔法陣がハッキリと浮き上がる。魂からは魔界の魔素が無尽蔵に流れ込み、尽く魔力に変換される。
「ゼンブ、ブチ壊してヤルッ‼︎」
全ての元凶。かの者。ブラックドラゴンナイト。
こうして直樹は、『現代魔王』に変貌した――――。
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