第18話 シルヴィ・パワァ・ブリンガー

 ***



 シルヴィ・パワァ・ブリンガー。

 魔界でも名高い戦闘一族『ブリンガー家』の長女として産まれた彼女は、幼い頃から特別だった。


『常に完璧であれ。主君の望みを叶える道具であれ』

 

 代々魔王家に仕える剣であり盾。緻密な魔力操作による肉体強化を無意識レベルで刷り込む、鍛錬と研鑽の日常。そこに個人の思想を挟む余地もなく、洗脳に近い教育システム。

 産まれながらに『籠の中の鳥』。それが彼女の背負った運命。


 そんな彼女にも親友がいた。ブリンガー領に隣接する魔族公爵領、キルレ家の一人娘ノエル。シルヴィと同じ年に産まれ、純粋で、誰にでも優しい彼女。銀の長髪が美しく、小柄な少女にしか見えないノエルは、シルヴィの唯一の癒しだった。


 二人が三百歳を過ぎた頃、ノエルは魔王に見初められた。ラリルの強引な、しかし真摯なアプローチにより、あっという間に二人は結ばれ、娘が産まれた。


『シルヴィシルヴィ! 見て私の赤ちゃん! とっても可愛いでしょ?』

『私ね、ラリル様のことも、ロレルのことも愛してるわ。もちろんシルヴィ、貴方のことも』

 幸せそうに微笑む彼女に、シルヴィも幸せを噛み締めた。

『……だけどね、この子には普通の恋をしてほしいの。なんて、こんなことラリル様には秘密にしてね?』

 娘を抱きながら、少女のように微笑む彼女に、シルヴィも穏やかに頷いた。


 ――ロレルが十三歳になった日、親友は病に倒れた。

 魔界でもほぼ前例のない不治の病『魔壊病』。運命の歯車は残酷だった。

『ロレルのこと……よろしくね、シルヴィ……』

 病床に臥したノエルと、最期に交わした約束。

 ……彼女が亡くなり、墓前で何度も涙を流した。


『ロレル様、お勉強の時間です』

 賢く聡い子になってもらうため。

『ロレル様、そちらのお召し物、とてもよくお似合いです』

 親友の分まで愛情を注ぎ。

『ロレル様、私の全ては貴方のために』

 文字通り、全てを捧げた。


 母であり、姉であり、従者であり、親友であり、一番の理解者。それがロレルにとっての彼女であり、シルヴィが望んだ関係。


 そんなロレルが自分のせいで魔界から消えた。自分を捕らえていた籠を叩き壊し、彼女を追った。


 ――そこで見つけたのは、恋する少女に成長したロレルと、出会って間もないはずなのに、誰よりもロレルを理解する優しい青年。

 不器用で真っ直ぐな二人を見ている間に、自分も彼に惹かれていた。惹かれながらも、微笑ましい二人を応援すると決めた彼女は――。


「この子たちには、指一本触れさせません‼︎」


 揺れる視界と意識、耳から流れる鮮血のまま、猛る気持ちを叫んだ――。



 ***



 ――名古屋の空に轟く破壊音。

 正真正銘、シルヴィ渾身の手刀は、フードに覆われた田中の後頭部に直撃し、スカイタワーの屋根に彼を叩きつけた。

 バギィッ! ガシャンッ! とガラスの屋根が砕け、壊滅的な穴が開く。

「シルヴィ! 無事だったのね!」

「無論です! 私はロレル様の守護者! あの程度の攻撃、屁でもありません!」

 シルヴィの無事に安堵するロレル。直樹も抱きしめられた体勢のまま、救世主の登場に胸を撫で下ろした――。

「助かったシルヴィ。――って待て、めちゃくちゃ喰らってるじゃねえか! ほんとに大丈夫か⁉︎」

 ――のも束の間、彼女のボロボロな姿に目を見開いた。

 メイド服のあちこちが破れ、両耳からは流血。なんとか飛んではいるが、フラフラと今にも倒れそうだ。

「油断しました。まさか一撃でこれだけのダメージを受けるとは。……これほどの魔獣、魔界でも滅多にお目にかかれません」

 かつて修行の一環として、魔獣の群や魔界の混沌を求める無法者たちを、その身一つで殲滅してきたシルヴィによる率直な評価。

 それでも彼女が本来の力を発揮すれば、田中の命を一瞬で奪うことができる。だがそれは田中の死を意味していた。

「……直樹、一応確認です。田中の命を奪うのは……」

「許可するとでも⁉︎ なんとか無力化とか気絶させるだけで済ませられねーか⁉︎」

「……冗談です」

 展望台の瓦礫が吹き飛び、田中が音もなく飛び出す。不吉な死神の影が、一瞬で直樹に迫る。

「させないと言ったでしょう!」

 釣られて飛び出すシルヴィ。フラつく体に鞭を打ち、田中を迎え撃つ。

「ルウウウウウィイイイイイインッ‼︎」

「ぐうッ! 鼓膜の一つや二つ、くれてやります‼︎」

 今度は超ハイトーンシャウトを披露しながら襲いかかる田中。シルヴィは耳から血が噴き出し、オマケに鼻血を垂らしながら、猛禽類の鷲掴みを拳で弾き返す。

「腕力なら負けません‼︎」

 その流れのまま繰り出すメイドラッシュ。漫画のようなパンチの豪雨が叩き込まれ、田中の体を押し返していく。

「モッシュモッシュモオオオオッッシュッ‼︎」

 負けじと田中のスクリーム。距離のある直樹の鼓膜さえ破れそうな破壊音が、シルヴィの脳を直撃する。

「くッ⁉︎ ――やかましい騒音怪鳥ッッ‼︎」

 堪らずシルヴィが繰り出した二度目の真・メイドクラッシャー。これは流石に効いたのか、田中が「ガアアアッ⁉︎」と悲鳴と共にぶっ飛ばされた。

(……どっちもヤバすぎる。てか能力の上限って三回じゃねえのかよ)

 観戦していた直樹に疑問が浮かぶ。するとロレルは彼の顔から疑問を察した。

「あの能力、ボリュームや範囲で魔力量を調整してる。私たちの耳が無事なのもその証拠だよ」

「納得。じゃあガチマックスで三回分って感じか? ……なんとかシルヴィを援護できないのか? あのままじゃ、いくらシルヴィでも……」

「…………私が田中に触れれば」

 恐らく、それが唯一の解決策。ロレルの『感情操作』で田中の感情を修正できれば、魔獣化は解ける。だがその作戦は、ロレルを危険に晒す諸刃の剣。

「……嫌だ。なら俺が殺される方がマシだ」

「直樹……」

 今までの直樹とは明らかに違う、言葉の節々から伝わるロレルへの愛情。密着した体から熱が、想いが流れ込み、ロレルを幸せの絶頂に誘う。

「……うへへ……じゃなくって! 直樹、聞いて。作戦を思い付いちゃった!」

 緩みそうになる顔を必死に抑え、ロレルが真剣な表情になった。今の直樹の言葉から、新たな作戦のヒントを得ていた。

「――聞かせてくれ。俺にできることなら、何でもやる」

「うん。それはね……」


 耳元でゴニョゴニョと伝えられ、直樹が目を大きくする。だが瞬時に覚悟を決めると、ロレルの作戦に大きく頷いた――。

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