第16話 オ前ノ幸セヲ殺戮スル

 名古屋の街を一望できる、地上百メートルにある展望台。名古屋のランドマークであるツインタワー、ミッドランドスクエアを始め、遠くには御嶽山などの山脈まで映り、都会と自然が入り混じる大パノラマ。

 展望台にはカップルと家族連れが数名いる程度で、ゆったりとした時間が流れていた。

「――すげー景色だな。地元の伊勢には山と海しかなかったわ」

 展望台の中央にある休憩スペース。腰掛けに座った直樹が、リラックスした様子で口を開いた。

「うん。魔界の空や海とも全然違う。ぜーんぶキラキラしてるよ!」

「そうですね。あっちは灰色か赤ばかりでしたから。あ、魔王城はセンスのない黒一色でしたね」

 直樹にくっ付いて座るロレルは目を輝かせ、シルヴィも感心した様子で外の景色を眺めている。

 そんな二人のリアクションに、直樹は小さく微笑んだ。

「はは、分かった分かった。もうお前らが本当の魔族でいいよ。そこまで徹底されたらお手上げだ」

 直樹の積み上げた現実主義は、もはや風前の灯になっていた。そんなものに頼る必要もないほど、彼は魔族を自称する二人に心を開いていた。


 ――そして、その現実主義を徹底的に破壊する現実が、名古屋の街から飛び出した。


「うっし、それじゃそろそろ下に戻ろうぜ。荷物全部置きっぱだし」

「そうだね。――って言いたいんだけど……」

 同意したロレルが、再び外を眺める。目を細め、ある一点を見つめる。

「ん? なんだよロレル。なんか見つけたの……か……」

 視線を追った直樹は、奇妙なナニかを視界に捉えた。遠くに見える黒い影。遠近感は分からないが、直感で人間ほどの大きさだと分かったソレが、一直線にこちらに向かってくる。

「………………嘘……だろ……」

 ソレは、例えるなら『鳥の死神』。上半身は漫画で見るような、黒いローブに身を包んだ骸骨。しかし下半身は猛禽類を思わせる鳥の形で、背中にはやはり鳥の翼が生えている。

(なんだ、アレ。……魔族……魔獣……? けど今までの奴らより明らかに……)

「現れましたね。二人はここで待っていてください」

 すかさずシルヴィが角を光らせる。展望台の外に転移し、アレを迎え撃つつもりだ。

「ま、待てシルヴィ! アレはいったいなんだ⁉︎ ……お前一人で大丈夫なのかよ!」

「恐らく過度な憎しみにより、魔族を超え魔獣に変化したのでしょう。ですが安心してください。……彼は私が止めます。直樹とロレル様は他の観光客の避難をお願いします」

「…………憎しみ? 彼?」

 シルヴィの言葉が理解できず固まる直樹。シルヴィはそれ以上は言わず、直樹の前から姿を消した。

「……シルヴィが消え……って、いつの間に外に……しかも普通に空飛んでるし……」

 消えたと思ったシルヴィは、ガラスの向こう側で、翼を羽ばたかせていた。もはや手品や科学では説明できない超常現象、シルヴィの言葉に、直樹は目眩を起こしそうになる。

「直樹、私たちはみんなの避難を」

 ロレルはまるで驚いた素振りも見せず、支えるように直樹の手を握る。

「……そうだな。とにかく、今は避難が先決だ!」

 軽々と覆された常識。だが直樹は、一度深呼吸をしてロレルの手を握り返した。

(アイ、やっぱお前の言った通りだったわ。……けど俺、こいつらとなら……)

 周囲を見渡す。まだ魔獣に気付いてる人はおらず、穏やかな空気が包む展望台。

 直樹は一瞬躊躇いながらも、思考を巡らせて叫んだ。

「みんなー! 今テロリストがハイジャックした飛行機がこの展望台に向かってるらしいぞー! 今すぐ下に降りろー! ソースはバズッターだー‼︎」

 ロレルたちへのツッコミで鍛えられた大声が展望台に響く。談笑していた観光客はシンと静まり返り、直樹に視線を集めた。その顔には『何言ってるんだこの人』と、ありありと表れている。

 そこですかさず――。

「今テロリストの犯行声明動画が拡散されてるの! 慌てず走らずエレベーターに乗り込んで!」

 ロレルの迫真の追撃が入る。直樹だけならともかく、可憐な美少女の叫びに、訝しんでいた人たちが騒ぎ始めた。

「と、とにかく一度降りようか」「え、ええ、あの子たち、すごく真剣だし」「咲希、逃げるぞ! 美少女は嘘つかねえ!」「……アンタ後でぶん殴る」

 一人が動き出すと、他のグループもそれに続く。他人に合わせる日本人根性と、半信半疑による落ち着いた足並みにより、人々が順番にエレベーターに乗り込んでいく。

 人数が少なかったこともあり全員乗り込んだエレベーターだが、直樹が乗る隙間はない。どう見ても重量制限ギリギリの箱内に、直樹はその場に留まることを決めた。

「みんな先に降りてください。――ロレル、お前も先に行ってろ」

「却下。直樹を残して行かない。みんな先に行って」

 間髪入れずロレルが即答する。強い決意を宿した目。その覚悟を見抜いた直樹は、小さく息を漏らし人々に告げた。

「俺たちに構わず早く! 地上に降りたらすぐにこの塔から離れてくれ!」

 エレベーター内が騒つく。困惑と混乱の声が聞こえるが、直樹はロレルを連れエレベーターから離れた。

「……アンタらも早く降りろよ」

 乗客の一人が苦々しく漏らし閉じていく扉。ゴウン――と稼働音が振動したのを確認した直樹は、「……はぁぁ、緊張したぁ」と、大きなため息をついた。

「カッコよかったよ直樹。咄嗟にテロリストって嘘ついたのもナイス判断!」

「ありがとよ……。中高の時によくしてた妄想が役に立ったわ。――って、それよりシルヴィとアイツは⁉︎」

 急いで外に視線を移す直樹。展望台の外には鳥の死神と対峙する、シルヴィの翼付きの背中が見えた。

(やっぱマジで飛んでるよな。……にしてもアイツ、どっかで見た感じがする)

 直樹がガラスに近付き、魔獣の姿を観察する。すると魔獣は直樹の姿に気が付き、シルヴィと対峙してから初めて言葉を発した。

「やあ高田クン、また会っタね」

「……………………は?」

 強化ガラス越しでも不自然なほどハッキリ聞こえた声。その声に、口調に、直樹の頭に彼の顔がよぎる。

「彼女、タチと、デートかい? いいねェ……羨まシいネェ……ムカつく、ネェ……」

「哲也、さん…………?」

 信じられない。理解できない。しかし確信してしまった。目の前にいる異形の怪物が、あの優しかった田中の成れの果てだと。

 シルヴィは田中を睨み付けたまま微動だにせず、ロレルは直樹の手をギュッと握り彼を見上げる。

「力がネ、噴き上がルンダ。君を殺セッテ……世界ガ僕ヲ、肯定シテルンダ……ダカラ……」

 骸骨が発する言葉はみるみる歪み、不協和音が混じっていく。欠片ほど残されていた田中の理性が、魔力に塗り潰されていく。


「――オ前ノ幸セヲ殺戮スル」


 その一言が、開幕の狼煙となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る