第14話 卑怯な告白、お前の幸せを殺戮

 ――その夜。

「今さらだけどさロレル、サキュバス――むみぃの件は片付いたのに、なんで俺の布団で寝てるんだ?」

 今日で三日目。背中にピタリと身を寄せるロレルに、直樹は戸惑いながら声をかけた。

「んー? 直樹が言ったんだよ? 私のお陰でよく眠れるって。それに直樹ってば、私がいないとスマホ見たまま寝ちゃうでしょ? ブルーライトは体に悪いって聞いたし、夫の体調管理も妻の務めなんだよ?」

「……はぁ、お前意外と聞く耳ゼロだよな」

 もはや訂正する気にもならない。すっかり妻を自称する彼女に、直樹は呆れながらも喜んでいた。

「それに、直樹は私が守るの。……ずっとそばにいたいんだもん」

「……はいはい、ありがとよ。けど俺を襲うのはなしで頼む。あーいうのはまだ早い」

「えへへ、了解。……我慢するね」

 甘すぎるやり取り。はたから見たらバカップルかつ、意気地なしの彼氏と積極的な彼女にしか見えない二人。

(これで勘違いしない奴いるか? てか俺の理性どうなってんだ。神かガンジーか俺?)

 ゴロリと仰向けになってみる。カーテンの隙間から月明かりが入り、視界の隅で角と銀髪が煌めいている。

「寝る時も角コス取らないのは尊敬する。翼もだけど、寝辛くねーのか?」

「んふふー。百三十年の付き合いだもん。それより直樹、やっとこっち見てくれた」

「見てねえ。横向きに疲れただけだし、チラ見しただけだ」

 つい意固地に、連れない口調になってしまう。これが直樹の理性、最後の防衛ライン。もはや瀕死の理性が遺した童貞の遺物。

「素直じゃないんだから。釣った魚に餌をあげないなんて酷いよー?」

「釣った覚えはないし、釣られた魚が言うセリフでもねえだろ」

「ぶーっ! ふーんだ、直樹の意地悪、意気地なし、童貞」

「……言葉の暴力って知ってるか?」

 短い沈黙が流れる。だがすぐに二人揃って笑顔が溢れた。

「えへへへっ。ごめんね直樹。怒った?」

「ふっ、ははは、怒ってねーよ。俺は紳士だからな」

 穏やかで温かな時間。二人の心の距離は、いつの間にか体の距離と同等に――それ以上に接していた。

 だが直樹が感じるその距離の間には、やはり最後の砦が立ち塞がっている。

(……ロレルが彼女だったら……まじで幸せだろうな)

 そう、直樹はまだ気持ちを伝える度胸がない。既に彼女は妻を名乗っているにも関わらず、勝ち確盤面だとも気付かず、気持ちの堂々巡りをしている。


「ねえ直樹」


 ――不意に、ロレルが直樹の顔を覗き込んだ。宝石のような青い瞳が月光を吸収し、月夜の天使のような儚さと美しさが同居している。

 直樹の心臓が跳ね、彼女に動機が伝わらないか心配になる。

「私ね、ずっとお城から出られなかったの。毎日したくもない勉強をさせられて、お父様の言うことを聞いて、自由なんてなかったの」

「……おう」

 直樹は素直に聞いていた。まるで漫画の中の箱入り娘のような独白を、その言葉に従い頭の中で思い描いて聞いていた。

「だけどね、この世界に召喚されて直樹に会えた。直樹に会えて、私の人生はやっと始まったの。……私今、すっごく幸せだよ」

「…………おう。それは光栄だお姫様」

「ふへへへ」

 モゾモゾ動き、直樹の腕を枕にする彼女。同じシャンプーを使ってるはずなのに、やけに良い匂いが直樹の鼻腔をくすぐる。

「だからねー、これからもよろしくね直樹」

 言い終わり、満足したらしく、ロレルが「ふあ……」とあくびを漏らす。無防備すぎる彼女に、直樹の理性が逆に息を吹き返す。

「……おやしゅみ、直樹…………だい……き……」

 あっという間に眠りに落ちるお姫様。最後の言葉は聞き取れなかったが、直樹は甘く、心地いいまどろみに包まれた。

「おやすみ、ロレル」

 そして彼女の言葉を勝手に、だが正確に想像した直樹は、今なら聞かれていないと――卑怯な告白を告げた。


「……俺も好きだよ」


 幸せな夜は、静かに更けていった――。


 

 ***



 ――直樹とロレルが眠りに落ちた頃、田中は一人暮らしのアパートで、ヘッドフォンから流れる音楽に首を振っていた。


 メタルオタク。普段の優しい人柄の裏には、ヘビメタを始めゴシック、シンフォニック、メロスピなど、あらゆるメタルジャンルを網羅した生粋のメタルマニアが潜んでいた。

 部屋の壁は有名メタルバンドのTシャツ、ポスター、印刷したCDジャケットがひしめき、黒と赤のベッドの隣のナイトテーブルには、とあるデスメタルのライヴでゲットした、本物の豚の頭がホルマリン漬けにされている。

 彼の鼓膜に響くのは北欧出身アーティストのバリバリの英詞。英語は話せない田中だが、その曲の内容は自然と頭の中で再生される。

(目覚めろ、殺せ、血祭りだ。お前の幸せを殺戮する。蹂躙し、処女の生き血を貪り啜れ)


 これが田中の唯一の癒し。

 直樹が辞め、忙殺の日々から人間に回帰する手段。

 狂ったようにヘドバンし、ヘッドフォンが外れても止めることはない。

(高田君、元気そうで安心した)

 目が血走り、ヨダレが宙を舞う。

(自分はこんなに疲れ切ってるのにね)

 窪んだ目が、さらに深い影に飲まれていく。

(あっちは今頃、あの子とヤってるんだろうなぁ。……羨ましい、なぁぁああ)

 影が、恐ろしいほどの魔素が集まり、魔力に変わる。田中の姿が異形に変わっていく。

「……目覚めろ、殺せ、血祭りだ」

 漏れていた音楽がブツンと途切れた。ヘッドフォンはバラバラに砕け、ホルマリン容器が粉々に弾け飛んだ。

 床にボトリと落ちる豚の頭。それを無造作に掴み、力任せに握り潰す。

 

「…………お前の幸せを殺戮する」


 怪物の声が、夜空に響き渡った――。



 ***

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