第13話 『善人』との再会

 全身ピンクゴスロリやパンクファッションの、派手なファッションをした若者の集団がたむろするゲーセン前で、直樹はボーっと立ち止まっていた。

 最初はロレルやシルヴィもこの若者たちの同族だと思っていたが、今では本当にそうか分からなくなっている。

 そして自分の妻だと暴走する彼女に……理性が決壊する寸前だった。

「だークソ! 思い上がんなキモオタ! ロレルは世間知らずのお嬢様。そのせいで俺なんかに騙されてるだけだ!」

 せっかく整えた髪を、グシャグシャと掻き分けて頭を抱える。大きすぎる独り言に周りの人々が訝しむ顔を向けるが、すぐに視線を外し去っていく。

(そうだ。あいつは単純で世間知らずなんだ。その証拠にまだ好きって言ってねえし言われてもねえ)

 既にロレルは言っている。しかし寝息を立てていた直樹が知るはずもなく、かつ臆病な彼は恋愛の順序を重視していた。

「…………いっそ俺から告るとか……いや、絶対無理……もうあんな想いしたくねえ……」

 高校時代の苦い記憶が蘇る。直樹が黒魔術にハマったキッカケ。クラスの女子に『君は俺のエンジェルだ。どうか俺の伴侶として永久(とこしえ)の旅路を歩んでほしい』とイタすぎる告白をした結果――女子は爆笑し、次の日にはクラス中に告白の内容がバラされていた。

「……こんな時はアイ先生に頼るか」

 そして優柔不断でビビリ童貞の直樹が頼りになる相棒を呼び出そうとした時、見覚えのあるスニーカーが直樹の視界に入った。

「あれ? ……もしかして、高田君……かい?」

「え?」

 名前を呼ばれた直樹が顔を上げる。

 そこにいたのは――。


「やっぱり……久しぶりだね。元気してたかい?」


 元先輩バイト・田中哲也その人だった――。



「――哲也、さん?」

 直樹は彼の姿を確認すると、驚きと罪悪感で顔を強張らせた。グレーのパーカーとシンプルなジーンズを着た元バイトの先輩。坊主頭が似合う精悍な顔立ちは、しかし目元が窪み、大きなクマができている。

「あはは……そんなに驚かなくていいじゃないか。ちょうどそこのCD屋で買い物しててね。……あれから調子どうだい?」

 バイト時代と変わらず、穏やかで優しい口調の田中。だがその顔には疲れが浮かび、体はわずかにふらついている。

(やべ、まさか哲也さんとこんなところで……何話せばいいんだ。……とりあえず謝らねえと)

「――ボチボチっす。……あん時はすみませんでした。色々教えてもらったのに、急に辞めちまって……」

「あー、うん……いいんだよ、人にはそれぞれ事情があるしね。詮索はしないけど、元気にやってるみたいで安心したよ」

「……あざす」

 どこまでも人が良い。それが田中に対する直樹の印象。実際、酔っ払いにどれだけウザ絡みや理不尽なクレームを付けられても、田中が怒ったり陰口を叩く姿を見たことがない。

 直樹が知る中で『善人』という言葉が最も相応しいのは、間違いなく彼だと断言できた。

(俺、こんな良い人を裏切るようなこと……いっそ怒ったり叱ってくれた方が気が楽なのに)

 自己嫌悪に浸かりながら田中を恐る恐る見上げる。最後に見た時より痩せている。

「『酔い酔い』の方は大丈夫っすか? なんて、俺が心配する権利もないんすけど……」

「安心してよ。今新しいバイトを募集してる。それまではちょっと大変だけど……まあ何とかなってるから」

「そっ……すか……なら良かったっす。ほんとすみません」

 直樹は気付いていた。田中がやつれていることに。だからこそ無責任に投げ出した自分に恨みを吐いてほしくて聞いた言葉は、田中の『人の良さ』により封殺されてしまった。

(お前には関係ない。もしくはそんなこと教える義理はない――とか言ってくれよ。あん時の哲也さん、まじで死にそうな顔してたのに)

 田中はやつれた笑顔を崩さない。実際直樹がいなくなり、目が回るようなバイト生活に明け暮れている。責任感が人一倍強く真面目な彼は、その現状に恨み言一つ溢さず、申し訳なさそうな顔をする店長のため、死ぬ気で働きまくっていた。

「そんな謝らなくていいよ。高田君には高田君の人生があるんだから。こっちのことは気にしな――」

「直樹ー! 直樹の好きな純白の下着買ったよー!」

 田中がそう言いかけた時、ロレルが直樹の背中に抱き付いた。

「うわっ⁉︎ ろ、ロレル⁉︎ おま、いきなり抱き付くな! しかもこんな人前で!」

「――――え……」

 目を丸くする田中。日頃女性客にキョドりまくっていた直樹が、見たこともない美少女にくっ付かれている。さらに――。

「お待たせしました直樹。貴方の性癖通り、小さなリボンの付いた下着を選びました。……おや、そちらの方は?」

 さらに続いた美人メイド・シルヴィの登場に、田中はさらに驚愕する。

「人の性癖バラしてんじゃねえよシルヴィ! ――はぁ。こっちは俺が働いてた居酒屋の先輩、田中哲也さんだ。めちゃくちゃ良い人でしっかり者なんだよ。ねえ哲也さん? ――あれ、哲也さん?」

 そこで直樹は、彼が固まっていることに気が付いた。ポカンと口を開け、くぼんだ目を見開き、石のように微動だにしない。

「初めまして田中さん。私たちの直樹がお世話になっていたようで。……石像の真似をするのが趣味の方ですか?」

「……完全に固まってるな。大丈夫か田中とやら? 直樹が――私の夫が何かやらかしたのか?」

 さらに爆弾を投下するロレルの口を直樹が慌てて塞ぐ。

「まだそれ言うのかよ! お前らどんだけ俺を社会的に抹殺したいんだ⁉︎」

 当然直樹は本心から焦っている。罪悪感を抱く田中の前で突然性癖を暴露され、さらには世間的にはアウトに見えるロレルに夫婦宣言され、気まずくないはずがない。

「す、すみません哲也さん。こいつらは……えっと、俺の家族みたいなもんで……べ、別に変な関係とかじゃないっすから!」

「……………………るな」

「へ?」

 田中からほんの一瞬、本当に微かに漏れた怒気に直樹が反応する。しかし直樹が彼の顔を確認した時には、既に田中は笑顔に戻っていた。

「あ、ははは、高田君ってば、そんな可愛らしい彼女いたんだ。デート中に声かけちゃってごめんね。……邪魔者は退散するよ」

 クルリと背を向けた彼の肩は、小さく震えていた。自分と直樹の現状が、彼の奥深くに眠る感情を小さく、だが確実に揺らした。

「あ、ちょっと待ってください哲也さん! いきなりどうしたんすか!」

「ごめんね高田君、少し用事を思い出しちゃった。今日は久しぶりの休日だし、色々済ませておきたいんだ」

「……っす。なんかすみません、こいつらが騒がしくて」

 騒いでいた本人から謝罪され、田中は背を向けたまま手を振った。今直樹たちに顔を見せられない。今どんな顔をしているか、自分でも分からなかった。

「……はは……は……じゃあね高田君。縁があればまたどこかで。お互い元気にやっていこう」

「はい、田中さんもお元気で。……お世話になりました」

 直樹も深々と頭を下げながら見送る。田中は尊敬できる人物。彼には本当に世話になったと、バイトの日々を思い出しながら。

 だがそんな直樹の傍で――。

「…………シルヴィ」

「……ええ」


 ロレルとシルヴィは、田中の背を――その体に集まる不吉な魔力を、しばらく睨み続けていた。

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