第12話 薬指の所有権を失う

「――はぁ、ほんとロレルの思い込みの激しさは困ったもんだぜ……」

 シルヴィが用意してくれた朝食を食べ終わった直樹は、自室で寝そべりながらスマホを弄っていた。

 見ているのはハロワの求人情報。名古屋ということもあり求人は溢れかえっているが、これだ! というモノは見つからない。

(……あいつを養うためにも働かねーとな。けど資格なんて何も持ってねーし……俺マジで役立たずだな)

 直樹がパタリと手を下ろし、ボーっと天井を見上げる。浮かぶのは、少し前まで働いていた小さな居酒屋『酔い酔い』の風景。優しい中年ハゲの店長と、直樹の五つ上の先輩バイト・田中哲也の顔。

 秋華賞が当たり、有頂天になった直樹は、その日にバイトを辞めた。店長は困り顔ながら渋々頷き、田中はこの世の終わりのような表情で固まっていた。

(あの二人元気にしてるかな。いきなり辞めて迷惑かけちまったし、もう顔を見せらんねーや)

 直樹が自身の無責任さ、短絡的思考を反省する。

 しかし今さら後悔しても遅いと、開き直るようにアイを起こした。

 ――そして今自分が抱えてしまった、大きな悩みの答えを求めた。

「――アイ。俺の目の前で、人間が化け物になった。夢や集団催眠以外で科学的な説明はできるか?」

 アイにしては珍しい長考。しばらく考えたアイは、その答えを口にした。

『昨夜の質問の続きですね。私なりの考えを申し上げます。……まず結論から言いますと、そのような現象は科学的にあり得ません。ですが、マスターが実際に目撃したということは、紛れもない事実なんでしょう。よってその事実を裏打ちするために、私なりの考察を申し上げます』

「頼む」

『マスターの同居人、ロレルとシルヴィは魔族を自称しています。仮に彼女たちが本当の魔族だとしたら、どちらも非現実的な存在という共通点が浮かびます。これは単なる偶然でしょうか?』

 何かの核心を突くような言葉。問いかけるように、確かめるように、アイが続ける。

『科学は森羅万象を説明できるほど万能ではありません。あくまで現在人類が持つ知識に基き、最も納得できる答えを得るための手段の一つに過ぎません。そして最新の科学理論は、人類の発展に合わせ常に更新されてきました。――よって、非現実的は存在はいない、など誰も断言できないのです』

「……さんきゅ」

 シンプルに礼を言い、スマホをそっと閉じる。長々と説明されたが、要は魔族や化け物は本当にいるかも、という結論になった。

(あり得ねー……けど、宇宙人は絶対いるだろうし、魔族がいても不思議じゃない……のか? だとしても、何で俺の周りでこんな……)

 新たに湧く疑問。しかしその答えはアイでさえ分からないだろうと、彼は大きく息を吐いた。

「マジでなんなんだよ……もしロレルが、本当に魔族だったら……」 

 ロレルの顔が脳裏に浮かぶ。胸が高鳴り、先ほどロレルに触られた太ももが熱を帯びる。

「…………もしそうでも関係ねえ、か」

 守ると、養うと決めた。ダメでダサい自分を受け入れてくれた彼女を――真っ直ぐで暴走しがちだが、あれだけ純粋に自分を慕ってくれる彼女と、これからも一緒にいたいと決意した。

(童貞はチョロいんだよ。…………あんなされたら、好きにならないはずねーだろ)

 直樹がゴロンと寝返りを打ちながら、彼女への気持ちを自覚していると、リビングからドタバタ音が聞こえた。

「これからは直樹も連れていく! またどこぞの女狐が直樹を狙うか分からん!」

「確かに。では早速直樹に声をかけましょう」

 同時にガチャリと扉が開き、ロレルとシルヴィが何の遠慮もなく部屋に踏み込んできた。

 シルヴィはいつも通りのメイド服とクールな顔。一方のロレルは、フリル襟が付いた純白の七分丈ブラウスと、黒のプリーツスカート。アウターにベージュのカーディガンを肩に掛け、靴下は白のハイソックス。高貴さと無邪気さを合わせたような、ロレルにピッタリのコーデをしている。

(この服、前俺と一緒に選んだやつか。…………いいセンスだ、俺)

 思わず魅入ってしまった直樹の視線に、ロレルが「ど、どうだ直樹……その、変じゃないか……?」と、不安そうな上目遣いをした。

「似合いすぎてる。言うことなし」

「ほんと⁉︎ えへへ、良かった! ……ハッ! いかん、シルヴィの前だったな」

 慌てて取り繕うロレルに、「ぷはっ」と軽く吹き出す。一度自覚してしまうと、彼女の言動一つひとつから目が離せなくなる。

 シルヴィはそんな直樹の視線にわずかに目を伏せると、湧き上がった切なさを隠すように声を上げた。

「着替えてください直樹。昨日の今日ですが、他の魔族を捜索・無力化しに行きます」

「はいはい、分かった。付き合えばいいんだろ。今着替えるから待ってろ」

 こうなったらどこまでも付き合ってやろうと、寝巻きのスウェットを脱ごうとした直樹は途中で止まった。

「……着替えるから出てってくれ」

 ロレルが熱い眼差しで、シルヴィはジッと直樹の着替えシーンを凝視していた。

「大丈夫、気にしないで直樹! ガバッと、ガバッとお願い!」

「ええ、私たちに遠慮なく、どうぞガバッと」

 期待を隠すことなく催促してくる二人に、直樹は大きく息を吸い、一気に吐き出した。


「いいから出てけー‼︎」



 少し肌寒くなってきた秋空。トルコアイス屋がアイスパフォーマンスを披露し、唐揚げ屋が食欲を刺激する賑やかな大須商店街を、三人は周囲の視線を浴びながら歩いていた。

 直樹はキレイ目の白ワイシャツの上に紺色のカーディガンを羽織り、下は黒生地にラメが入った綿パンと革靴という、無難ながらカジュアルなコーデ。

 ロレルは先ほどの服と、低いヒールの黒いローファーを合わせたナチュラルお嬢様コーデで、なぜか直樹の左手の薬指をギュッと握っている。

 シルヴィはそんな二人を微笑ましく、羨ましく思いながら、一歩後ろに付き従っていた。

「――なんで俺の薬指握ってんだロレル? へし折る気か?」

「違いますー。直樹の薬指は私のなんですー」

「ついに俺は肉体の所有権すら奪われるのか……」

 ヒヤヒヤしながらも直樹は振りほどかない。ロレルの手の感触を指で感じながら、周囲の若者や外国人観光客からの『コスプレした美少女と美女連れてこれ見よがしに歩きやがって、殺すぞ』という、恨み混じりの視線に晒されていた。

 一方のロレルは、アイに教えてもらった薬指の意味を噛み締めつつ、彼のソレを独占している現状に幸せを感じていた。

「ふふっ、いいから次はあのお店行きたい! ……直樹の好きなやつ、選んで?」

 ロレルが指差したのは、直樹が未だかつて足を踏み入れたことのない禁断の領地。店頭に赤やピンク、青など様々な色の女性物の下着が並ぶランジェリーショップだった。

「よし、シルヴィ頼んだ!」

「はい、任せてください」

「ちがーう! 直樹に選んでほしいの! だって私は直樹の奥さ……もがっ⁉︎」

「言わせねーよ⁉︎」

 人通りで爆弾発言しそうになったロレルを、直樹の手が塞いだ。彼女の誤解と妄想はまだ解けていない。直樹が何度も男女の交際について説明したが、「魔界だと告白されたら結婚だもん」と、ロレルは聞く耳を持たなかった。

「もががーがが! もが……もがぁ……」

「はいはい、良い子だから落ち着け。後でクレープ買ってやるから」

「……もがっ!」

 手を離す。ロレルはクレープに釣られ納得したらしく、期待した目で直樹を見上げた。

「んじゃシルヴィ頼んだ。……っと、一応金渡しとくわ。一万で足りるか?」

 直樹が尻ポケットから財布を取り出す。しかしシルヴィは彼の申し出をキッパリ断った。

「それには及びません直樹。魔石を売却した残りが、あと百万ほどあります。恐らく足りるでしょう」

「……うっそ」

「ガチです」

 シルヴィがどこからか取り出したのは分厚い現ナマ。直樹は目を飛び出させ驚愕すると、首をブンブン振った。

(そ、そうだ、ロレルは金持ちの令嬢……。お付きのシルヴィがこれくらい持ってても不思議じゃねえ…………よな?)

 チラリと浮かぶオリハルコン発見のニュースと、魔族や魔王という言葉。だが直樹はそれ以上の思考を止め、「ごほん!」とシルヴィに向き直った。

「それじゃ頼んだ。俺は……うん、ちょっとブラついてる」

「分かりました。リサーチした直樹の性癖に刺さる下着をセレクトしておきます」

「どこで調べた⁉︎」

「それはもちろん貴方のベッドの下の……もが」

「言わせねーから!」

 シルヴィの口を塞いだ直樹は、「はぁ……俺のプライバシー死に過ぎだろ……」と嘆き、二人から離れていった――。

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