明かされる過去と全ての元凶

第11話 思い込み新妻の『務め』

 ***



 朝日と共に目覚めたロレルは、「ふぁ〜……ねむゅい……」と大きなあくびを漏らした。

 昨夜は全然眠れなかった。サキュバス魔獣に襲われ、直樹に愛の告白(妄想)をされ、泥のように眠った彼の隣で性知識という新たな武器を手に入れた。

 その中で得た知識を直樹に試したくなった彼女だが、彼の寝顔を見たらそれすらどうでも良くなり、彼の胸の中に収まって眠りに落ちたのだった。

(そっか……私、直樹に告白されちゃったんだ……。つまり私はもう、直樹のお嫁さん……)

 男女の交際やプロポーズをすっ飛ばし、むみぃ並に飛躍する妄想。

 告白(妄想)されたら即夫婦。魔王ラリルが頑なに教育を避け続けたロレルの恋愛観・結婚観は、文字通りバグり散らかしていた。

「直樹……」

 目の前にある彼の顔をじっと見つめる。少し寝苦しそうに皺を作る整った眉。至近距離で初めて知った、女性のように長いまつ毛。スッと通った鼻筋は時々ピクリと広がり、薄い唇からは規則正しい寝息が漏れている。

「……カッコいい……大好き、だよ」

 湧き上がる愛情をそのまま口にする。ハッキリとした異性としての意識。ピクピク動く鼻の穴すら愛おしく、彼の体全てをスリスリ堪能する。

(これが恋……これが夫婦……。こんなの幸せすぎて、私ダメな子になっちゃうよぉ……)

 途端に押し寄せる熱情。そしてもっと欲しくなる、彼との繋がり。そのどうしようもない衝動に抗うこともせず、彼の唇に顔を近付ける。

 その時――。

「…………ん? なんか足に固いのが当たって……」

 太ももに感じた感触に、ロレルが首を傾げる。ゆっくり視線を下げると、朝という時間、そしてロレルのスリスリ攻撃により反応した、彼の生理現象に気が付いた。

「こ、これってもしかして……!」

 ロレルが顔を真っ赤に染め手で顔を覆う。しかし昨夜勉強した時と同じように、指をガバガバに広げて直樹のズボンを凝視すると、「こ、これが直樹の……ゴクリ……」と喉を鳴らし、モゾモゾと布団の中に潜り込んだ。



 ***



 ――直樹は夢の中にいた。

 遠い記憶。消し去りたい過去。中学高校とやらかし続けたイタすぎる自分の背中を、遠くからひっそり見つめていた。

『違うって! プリプラちゃんはツンデレに見せかけたヤンデレ! 水刃狂華を習得した時の回想シーンで、タグムタへの気持ちに病みが混ざってたろ! 原作四巻の作者コメでもハッキリ言われてるし絶対そうだろ!』

『いーや違う高田氏! 確かにプリプラは病み要素もあるけど光皇聖ロワイヤル編でピュアデレに移行してる! 絶牙殺陣を使った時の女神のような笑顔はその象徴やん!』

 中学の昼休み。教室の片隅でオタク談義に熱狂する彼と当時のオタク友達。周りの生徒は彼らのイタイ会話にドン引きしたり、存在そのものを見ないようにしている。

『それってあなたの感想ですよね? 何かそういうデータあるんですか?』

『出た、高田氏得意の詭弁師モノマネ! ムカつくけど無駄に似てて草ァ!』

『えひっ……エターナル論破ぁ! Q.E.D.証明完了!』

『ぐわああああ!』

 あまりに見てられない光景。当時の自分は心から楽しんでいたが、今では目を背けたい呪われた過去。

(やめろ……どうしてこんな夢……違うんだ、俺はもうそんなんじゃ……ッ!)

 声は出ない。必死に耳と目を塞ぎその場にしゃがむが、どこにも逃げ場はない。

 ――場面が移ろう。時が進み、地元の高校に進学した直樹の部屋は、壁一面に並べられた漫画、フィギュア、同人誌で埋め尽くされていた。

『……友達なんて必要ない……俺には二次元こそリアルなんだ。教師もクラスメートもみんな馬鹿ばっかり。くだらない世界なんて消えればいいんだ……』

 真っ赤な五本の蝋燭が揺らめく薄暗い部屋。ネットで調べた見様見真似の魔法陣を囲むように配置され、なけなしの小遣いで買った黒魔術の素材を両手に握っている。

 しかし蝋燭の一本が忽然と倒れ、魔法陣を描いた画用紙にたちまち燃え広がる。

『うわああっ⁉︎ ヤバい! コーラコーラ!』 

 咄嗟にジュースをかけ、なんとか鎮火すると、自分の滑稽さに涙が溢れた。

(もうやめてくれ……)

 それはむみぃの変貌を、取り繕った現実主義では説明できない現象を目撃し呼び戻された、二次元への憧れ。

 集団催眠。夢。それだけでは説明できないと直樹は気付いていた。


 膝を抱え、必死に目を瞑り、暗闇の中に堕ちていく。

 自分の過去を抹殺するように、積み重ねた黒歴史を自分ごと殺すように、深淵に堕ちていく。

 その時――。


『……大丈夫。怖くないよ。大丈夫だから』


 誰かの声が聴こえた。

 幼く、温かく、優しい少女の声。

(誰だ……誰が俺なんかを……)

 目蓋を上げ、瞳を凝らす。

 どこまでも広がる闇の中で、温かい光が自分を包んでいた。

(…………ロレ……ル?)

 思い出し、彼女の顔を想い浮かべる。

 無邪気で、甘えん坊で、優しくて、たまに母性的で――自分が唯一普通に話せる異性。まだ出会って一ヶ月も経っていない。だがそのくせ、誰よりも自分の心を開いてみせた彼女。

(……ああそうか……俺、やっぱあいつのこと……)

 初めて自覚する気持ち。二次元のキャラではなく、直樹と同じ世界に生きる彼女に、どうしようもなく想いが押し寄せる。

 光が強まり、やがて彼女の形に変わっていく。

 それは淡く輝く天使のようで、しかし角と翼は悪魔コスプレそのもの。そのミスマッチな彼女の姿でさえ、彼にとっては幸せの象徴。

 そして両手を広げ、彼女を抱きしめようとした直樹は――。


「…………ん?」


 下半身に何かが触れたのを感じ、夢から引きずり揚げられた――。


 

 ――目を覚ました直樹は、寝ぼけた顔のまま視線を下げた。

 毛布がモゾモゾ動き、大きな膨らみができている。それは自分の太ももに手を付き、「……よし、ちゃんとあの動画みたいに……これも……妻の務め……っ!」と、声を漏らしていた。

「――――うわあああああッ‼︎」

「え? ひゃあああ⁉︎」

 情けない悲鳴を上げ飛び起きる。捲れた毛布から、何かを決意したような顔のロレルが現れ、直樹と同じく悲鳴を上げた。

「なっ、なななな何してんだロレル⁉︎」

「な、なななんで起きちゃったの直樹⁉︎ 今からだったのに!」

「何が今からなんだ⁉︎ 俺に何するつもりだったんだお前!」

「え、それはもちろん、妻の務めを果たそうと……」

「誰が妻じゃあああ!」

 朝からアパート全体に響くような大声量のツッコミ。心臓が爆発しそうな直樹に対し、ロレルはキョトンと目を丸くした。

「私、直樹の奥さんじゃないの? 昨日結婚したよ?」

「すまん、まじですまん、お前が何言ってんのか一ミリも理解できねえ! 角コスに脳まで侵食されたのか⁉︎」

「……はいはい、もうその解釈でいいから……大人しくして? 恥ずかしいけど、私頑張るから……ねっ?」

「なんで俺が呆れられてんだよ⁉︎ てか頑張るってまさか……」

 熱く潤んだ瞳で迫るロレル。直樹はまるでエイリアンに追い詰められたモブキャラのような気分で、壁際まで後ずさる。

 もはや逃げ場はない。『思い込み新妻モード』に入ったロレルに言葉は通じない。

「……直樹……可愛い……」

「ま、待てロレル! 目が据わってる! こういうのはちゃんと順序を踏んで――」

「昨日踏み抜いたから大丈夫」

「だいじょばねえし意味分かんねえ! や、やめろ、落ち着いてくれええええ!」

 そしてロレルの手が、直樹のズボンに触れようとした瞬間――。

「朝から何を騒いで――――失礼しました。どうぞごゆっくり」

 ガチャリと開かれた扉から顔を出したシルヴィが、一瞬で状況を理解し、再び扉を閉めた。

「ま、待て! 助けてくれシルヴィーッ‼︎」


 直樹の絶叫が名古屋の空に響いた――。

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