第10話 キレる魔王、殺戮の超メイドクラッシャー
***
――むみぃがさらなる変貌を遂げている頃、魔王城に特設された『ロレル捜索本部』では、魔王ラリルが巨大水晶の前で驚愕していた。
一メートルはある水晶には、ドローンで空撮しているようにロレルと直樹、そしてむみぃが映され、水晶を囲うように設置された長椅子には、魔王を始め家臣団が並んで座っている。
魔界らしい雰囲気を意識し、薄暗く設計された会議室は、水晶がザザ――と映す途切れ途切れの映像により、不気味に照らされていた。
「何故だ。何故人間が魔族――いや、魔獣に変貌している⁉︎ このままではロレルが殺されるではないか‼︎ シルヴィは何をしておるのだ⁉︎」
ようやく繋がった不安定な映像は、娘の危険をありありと映し出していた。
「し、少々お待ち下さい! シルヴィ殿の魔力を捜索――映します!」
白衣の研究者魔族が水晶に触れる。すると水晶の映像が二つに分割され、シルヴィを映し出した。
彼女はむみぃの禍々しい魔力に気が付き、たった今アパートを飛び出したばかり。だが彼女の能力と速力なら、ほんの数分で直樹とロレルの元に駆け付けるだろう。
「急げシルヴィ! アレはサキュバスの成れの果て。元が人間の娘とはいえ、並みの魔族では太刀打ちできん化け物だ!」
目を血走らせ、水晶越しにシルヴィを急かす魔王。彼があの場に行けば一瞬でカタが付くだろうが、残念ながらそれは不可能。シルヴィ以外の転移能力者など、広大な魔界でも見つけることは難しい。
「クッ……娘の危機に何もできんとは……頼むシルヴィ、情けない私に代わり、あの子を助けてくれ……!」
ラリルは後悔していた。シルヴィが去り際に残した言葉。ロレルの気持ちに寄り添えなかったことを。
「ま、魔王様! 魔獣が動き出しました!」
「何だと⁉︎」
ハッと顔を上げ、食い入るように水晶を見つめる。シルヴィは珍しく焦りを顔に浮かべ、疾風のように駆けている。その一方では、魔獣が体を不気味に揺らし始め、血のように赤い目をロレルに向けた。
「に、逃げろロレル! 頼む、逃げてくれ!」
魔獣が一足飛びでロレルに向かう。長く凶悪な爪、ヨダレが糸引く鋭利な牙で、獅子のように飛びかかる。
まさに獣。次の瞬間には、ロレルは引き裂かれるだろう。そんな映像を、絶望の現実を直視できるはずもなく、ラリルは目をギュッと瞑った。
だが――。
「せ、セーフ! やるじゃねえかあの人間!」
「おい、そもそもあいつ誰だ⁉︎ ロレル様に気安く触れやがって!」
家臣たちの声に釣られ、ラリルが恐る恐る目を開ける。
「――ん?」
そこには娘を腕に抱え、必死な形相で駆け出す直樹の姿があった。
「あの人間、私の娘に……っ! いや、それよりロレルのあの表情! まさか、まさかあの人間のことを⁉︎」
ロレルを間一髪で助けた直樹に対し、ラリルはブチッと頭の血管を鳴らした。
通常ならば直樹の行動に感謝する立場の彼だが、娘のことになると冷静な判断も理性も働かない。
「一刻も早く転移装置を開発しろ! あの人間、私自ら葬ってやる‼︎」
こうして直樹は、魔王の理不尽すぎる怒りを知らないうちに買ったのだった――。
***
直樹はわけも分からないまま突っ走っていた。
もはや言葉では説明できないむみぃの変貌。漫画やアニメの世界のように、現実的にあり得ない現象。
だが体が勝手に動いた。驚いて硬直したロレルを咄嗟に抱え、人生初のお姫様抱っこをしながら、魔獣から一目散に逃げ出した。
「なんなんだよ! あり得なすぎだろふざけんな!」
吐き捨てる、理解不能な現実への不満。腕の中のロレルは、直樹の行動に驚いていたが、すぐに熱くトロけた顔を見せていた。
「直樹が……助けてくれた……」
「ったりまえだろ! いいから黙って掴まってろ! 舌噛んでも知らねーぞ!」
「ひゃい……」
首にしがみついてくる熱い体温と吐息。普段筋トレなどしていない直樹には超重労働だが、休むわけにはいかない。
(ヒロインを軽くお姫様抱っこしてる少女漫画ども! お前ら大嘘吐き確定だ馬鹿野郎!)
ロレルは決して重くない。体重にしたら三〇キロと少しだが、それでも抱えて走るのは無理がある。今直樹がそれをできているのは、リアルな命の危機で、バグったように分泌されるアドレナリンの賜物でしかない。
しかし皮肉にも、現実主義者を襲う現実は甘くなかった。
「ニガサナイ……マッデ……ナオギクン‼︎」
「ひいいいいいい! だ、誰か助けてくれえええええ‼︎」
全力ダッシュしているにも関わらず、彼のすぐ背後からくぐもった声と、バサバサという翼の音が迫る。距離にして五メートルほど。少しでも足を緩めれば、瞬く間に追いつかれるだろう。
(無理無理無理、まじでもう無理! こんなことになるなら、ロレルを襲って童貞捨てときゃ良かっ――――まじで死ね俺!)
一瞬浮かんだ最低な考えをすぐに否定する。今すぐ自分をぶん殴りたくなった彼だが、残念ながら両手は塞がっている。だからせめてもの償いを口にした。
「悪いロレル! 俺カス野郎だ!」
「ふぇっ? いきなりどうしたの直樹?」
「……なんでもねえ。お前が可愛いって話だ」
「ファーッ⁉︎」
吹っ切れた直樹の言葉に、ロレルが素っ頓狂な声を上げる。耳まで赤くなったロレルからフニャフニャと力が抜け、直樹の腕に一気に体重がかかる。
「ば、馬鹿! いきなり力抜くな!」
ガクリとバランスを崩し、足がもつれる。それはイコール、二人の終わりを意味した。
「ヅカマエタアアアッ‼︎」
「ほらみろ終わったああああ!」
一気に迫る羽音と死の気配。直樹は目を閉じ、せめて最期にロレルを思い切り抱き寄せた。
そこに――。
「超・メイドクラッシャアアアアッ!」
クール系完璧殺戮メイド。シルヴィの声が響き渡った――。
――疾風が通り過ぎると同時に、ふわりと香った甘い匂い。その後に続いたシルヴィの気合い入りまくりな叫びと、グジャァアという生々しい音。
死を覚悟した直樹は、それらは自分の妄想かとも思ったが、そうではなかった。
「遅くなりました! 怪我はないですか二人とも!」
そして聞こえた頼もしすぎる彼女の声に、直樹は初めて生を実感した。
「シルヴィ……ナイス、タイミング……」
ヘロヘロと力が抜ける直樹。アドレナリンドーピングも切れ、なんとかロレルを抱えたままその場にへたり込む。
「それは光栄です。――そのまま休んでいてください直樹。この魔獣、どうやら少しはヤルようです」
「え、何言って……」
ロレルの手刀が顔に深々とめり込み、地面に落ちた魔獣。しかしロレルは警戒を一切緩めることはなく、魔獣を睨み付けている。
「体を両断するつもりで放ちました。ですがこの魔獣の体、鋼鉄並の硬度なようです」
魔獣がガバッと起き上がる。手刀の形で凹んでいた顔は一瞬で元に戻り、突然の乱入者であるシルヴィを憎々しく睨み付けた。
(いや、そんな硬い奴に腕をめり込ませるお前も大概だろ……)
口には出さないが、直樹が心の中で呟く。
「――ところで直樹、ロレル様にいったい何が?」
魔獣と対峙したままシルヴィが尋ねる。ロレルはダラシなく緩み切った顔で、薄暗くなった空を見上げている。
「…………さあな。こんな馬鹿げた状況のせいで、現実逃避したくなったんだろ」
「なるほど」
短く返しながらも、シルヴィは直樹の変化に気付いていた。何があったのかは分からないが、彼の纏う雰囲気、ロレルのことを口にする声が、以前より柔らかくなっていることに。
「……良かったですね、ロレル様」
それを察したシルヴィは、素直にロレルを祝福した。直樹に芽生えていた気持ちにそっと蓋をし、獣に堕ちたむみぃを鋭い眼光で貫いた。
「貴方に恨みはありません。ですが残念です。私は今、無性に暴れたい気分です。――恨むなら、貴方の運の悪さを呪ってください」
シルヴィの影が揺れた刹那、彼女は一瞬で魔獣の背後に回り込んだ。彼女の姿を見失った魔獣が「ドコニ……」と硬直したのも束の間、シルヴィの全体重と遠心力をフルに乗せた右肘が背中に突き刺さる。
「ガアアアッ⁉︎」
体をのけ反らせ、激痛に悶える魔獣。空に向けさせられた視界に、ヒラリと舞うメイド服と、空中で華麗に回転したシルヴィの姿が映った。
「メイドバレットキック!」
「グギャアアアア!」
顔面に打ち下ろされた無慈悲な回転蹴り。魔獣の顔は地面に叩きつけられ、紫色の鼻血が噴き出した。
「タ、タスケ、モウヤメ……」
たったの二発。それだけで魔獣の戦意は喪失した。いくら魔力が高まろうと関係ない。圧倒的な実力で、躊躇いなく急所を狙ってくるキラーマシーンに、失った理性が叩き起こされた。
しかし――。
「これは私の分! これも私の分! これも、これも、全部私の分です!」
「イヤアアアアアアアア‼︎」
ロレルを想って身を引く決意をしたシルヴィ。そのフラストレーションを込めた理不尽な鉄槌――メイドラッシュが無情に降り注ぐ。
それを見ていた直樹は――。
「し、シルヴィさん……もうそれくらいで……ほんともう十分だから。お願いします、もう見てらんないっす……」
初めて見る彼女の激情に、顔を引き攣らせて懇願していた。
そしてロレルはというと――。
「えへ、えへへへへ、うへへへへへへ……」
直樹の腕の中で、幸せの絶頂を味わっていた――――。
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