第9話 レスバ王女と堂々童貞

 ――速水しおりこと月影むみぃは、物陰から二人を監視していた。

 マーキングにより直樹の住むアパートは分かった。だがそのアパートからは彼女でもドン引きするほどの、瘴気にも似た魔力が満ちており、足を踏み入ることができなかった。

 彼が出てくるまでライヴ配信でスパチャを巻き上げていたら、あっという間に夕方に。慌てて彼の位置を探ると、まるで自分を求めるように彼女の自宅のそばで直樹を見つけた。

 だが――。

「なんなのよ、誰なのよそいつ! 直樹君は私の彼氏でしょ⁉︎ 今すぐソイツを消して、直樹君を取り戻すわ‼︎」

 ロレルと今にも抱き合いそうな直樹の姿に、むみぃの怒りは頂点に達した。

「月影むみぃ……? え、コスプレ? ――にしちゃあ本物とまんまだな。てか待て、俺にコスプレ趣味の知り合いなんて……同居人の二人しかいねえぞ?」

 突然の襲来に直樹が戸惑う。しかもむみぃの妄想は飛躍し、直樹と自分が恋人ということになっている。

 しかしそんなこと知るはずないロレルは、彼女の言葉に驚愕した。直樹と彼女を交互に見て、しかし直樹が嘘をついてないと瞬時に見抜いた。

「妄想もそれくらいにしておけ淫魔。そしてよくノコノコと姿を現せたな。私の住所に唾を付けた罪、皮剥き塩揉みの刑に処してやろう!」

「まだそのネタ引っ張るのかよ! あといきなりバトル展開やめい! 俺の情緒が追いつかねーよ!」

 直樹が静止を試みるが、二人の間には火花がバチバチ鳴っている。グルルルと獣のように唸り合い、今にも互いに飛びかかりそうな勢いだ。

「離れてて直樹。私が守るから」

「アンタが直樹君から離れなさいロリ魔族。気安く彼を呼ばないで」

「あ? 今何と言った年増」

「は? 理解力のないガキね」

 さらに燃え上がる怒りの炎。直樹は二人の煽り合いに背筋が凍り、「ひえっ! こ、こんなの昼ドラでも見ねえ……」と後ずさる。

 そんな直樹をよそにロレルは飛び出した。むみぃもロレルに反応し、住宅街の真っ只中で衝突――する直前で、ピタリと止まった。

「いい年してそんな派手な格好して恥ずかしくないのか年増淫魔! お前なんかより私の方が可愛いんだからな!」

「ふん! アンタみたいなお子ちゃまより私の方が百倍イケてるわよ! チャンネル登録者三十万人! バズッターのフォロワー数二十万! この数字が何よりの証拠よガキンチョ!」

「――――えっ?」

 二人が始めた口論に、直樹がキョトンと固まる。

 魔王の娘であるロレルは、誰かと争ったことはない。そんな相手存在しなかった。何より彼女の能力は触れた相手の感情に干渉する『感情操作』。戦闘にはまったく向かない能力。

 対するむみぃは、これまた喧嘩などしたことがない。平凡に生き、学生時代は教室の隅で静かに過ごしていたカースト下位に属する人間。サキュバスになれど、その能力はマークした相手に自分への好意を刷り込む程度。

 つまり、図らずとも二人の戦いは相手の心を抉るレスバトルに発展した。

「そんなの萌え豚を騙して得た数字だろ⁉︎ その中にお前自身を好きな人間がどれだけいるんだ! ガワだけ見繕っても中身はただのストーカー、それがお前だ!」

 ズビィッ! とロレルが人差し指を突き立てる。むみぃは負けじとすぐに言い返した。

「じゃあアンタはどれだけの人に認知されてんの⁉︎ さっきの数字に言い返せないあたり、どうせネット活動もしてないんでしょ! 数字こそ力! 数字こそ正義なのよ!」

 ロレルにはない胸をのけ反らせ、ふふんと勝ち誇るむみぃ。だが返しの刃がむみぃを襲う。

「それで? その数字にどれだけの価値があるんだ⁉︎ そんな数字、たとえ何百万あろうとお前の本質は変わらない! そんな浅はかな数値に囚われるお前は、どこまでも薄っぺらい魔族だ!」

「ぐぬぬ……何よ! 登録者が増えれば再生数が伸びる! 再生数が伸びれば貯金が増える! 少し媚びを売ってキャラを作れば騙される馬鹿はたくさんいるの! そうして得たステータスこそ、この社会では絶対的な力になるのよ!」

「ならば聞こう! そのまやかしの力でお前は何を求める? そのくだらない過程や手段ではない。お前の真に望むモノは、その幻想の力で手に入るような偽物なのか⁉︎」

「う、うるさいわよ! よくそんな綺麗事をツラツラ並べられるわね! アンタみたいな頭の中お花畑のガキ、直樹君に相応しくないわよ!」

 際限なくヒートアップしていく二人。直樹は二人のレスバにところどころ納得しながら、その様子をムービーで撮影していた。

(こりゃ完全にロレル圧勝だ。理屈じゃなく本質を攻める切り口、俺も見習いたいぜ)

 直樹の第三者による審判が、ロレルの勝利を判断する。むみぃもファンが聞いたら発狂しそうな言葉を次々と吐きながら、額に汗が滲んでいく。

 ロレルも自分の勝利を確信していた。そしてトドメとばかりに、最強のカードをむみぃに突き付けた。

「相応しいか相応しくないかはお前が決めることじゃない! 私の住所は直樹の脇! 昨日の夜だって直樹と一緒に寝たんだからな!」

「んなっ⁉︎ …………そんな……嘘よ……」

 完全決着。ロレルの放った事実が、むみぃの心を打ち砕いた。

 だがロレルのトンデモない爆弾発言に、呑気に審判をしていた直樹は大慌てした。

「ちょーっと待て! おま、そんなのこんな所で言うな! ほら、お前らのデカい声で人も集まって来てんだぞ⁉︎ みなさーん! 俺は何もしてませーん! 無実なんですー!」

 いつの間にか犬の散歩をしていたお爺さんや、学校帰りの学生が集まっていた。道路に隣接する家の窓からは、レスバをするコスプレレイヤーを面白がるように、いくつか顔が覗いている。

「……否定しないのね……私という彼女がありながら……こんな貧乳ロリとなんて……」

「だから誤解――じゃねえけど、まだ変なことはしてねーよ! 俺は正真正銘童貞だ‼︎」


 その一言で、場がシン――と凍り付いた。


 二人に誘発された堂々の童貞宣言に、ギャラリーたちは度肝を抜かれた。

「そうだ! 直樹は私を大切にしてくれてる! さっきだって……私のこと好きだって……」

「言ってねえ! 勝手に捏造すんな妄想コスプレロリ!」

「言ったも同然だもん! 私、あんなに嬉しいこと言われたことなかったもん!」

「だからって過言もいいところだ! 訂正しろ! 今すぐみんなの誤解を解け!」

「やだやだやだ! 直樹のバカ!」

 なぜかロレルと直樹の口論に発展していた。はたから見たら青春真っ盛りの微笑ましい論争に、周囲の空気が生温かくなる。

 しかし――。

「…………直樹君……許さない」

 俯いたむみぃは、怒りで肩まで震え、憎しみの対象を直樹に変更した。

「へ? お、俺⁉︎」

 ドスの効いたむみぃの呟きに、直樹はギクッと体を強張らせた。振り向くと、むみぃの体の周りは陽炎のように揺らめき、禍々しい魔力を発している。

「あれは――はっ⁉︎ まさか汗が気化してるのか⁉︎ あのVコスレイヤー、真夏の太っちょ並みの湿度だってのか⁉︎」

「流石にこじ付けが過ぎる! それより離れて直樹! あいつ、魔力が暴走してる!」

 むみぃに湧き上がった絶望と憎悪。それらは周囲の魔素を無尽蔵に引き寄せ、さらなる魔力を彼女に与える。空間の揺らぎは一層大きくなり、辛うじて残っていたむみぃの理性は、深淵の中に消えていった。

 そして――。

「な、何が起きてるんだぎゃ⁉︎」「お、おい、なんか怖えから逃げようぜ!」「待てよ田中! 置いてくなって!」

 ギャラリーが彼女の変化に怯え逃げ出していく。直樹もまた彼女の変貌に目を丸くし、その一部始終を見守ることしかできない。

(何が……起きてんだ? あの姉ちゃんの体が、黒い獣みたいになってく……こんなのまるで……)

 噴き出した魔力がむみぃの体に纏わり付き、彼女の姿が見えなくなる。背中の翼は二回り以上大きく、手や脚は猛禽類のような形に変化し、そして顔と胴体は――。


「ナオギ……グン……」


 もはや人ではない、黒い体毛に覆われた、巨大なコウモリになっていた――――。

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