第8話 Vチューバーと上書きマーキング

 ***



 彼女――『速水しおり』は男に飢えていた。

 平凡な顔、平凡な家庭で育ち、このまま平凡に社会の歯車として生きると思っていた。

 転機が訪れたのは今年の春。高校を卒業し、進学か就職か迫られた彼女は――部屋に引き篭もった。

『まだ自立したくない。働かずにお金だけ欲しい』

 理由はそれだけ。現代社会が生み出した、ニートという化け物に就職してしまった。

 だが両親はそれを許さず、部屋に篭る彼女を毎日怒鳴りつけた。

 そんな時に見つけたネット広告。『今日から貴方もVチューバー!』という、いかにも怪しげな広告をクリックしたことで、彼女のニート生活は一変した。

 雇われVチューバー『月影むみぃ』。企業から貸付けられた撮影機材に苦戦し、誓約書という名の奴隷契約書にサインしてから、彼女は驚くべき飛躍を見せた。

 垢BANギリギリを攻めるエロトーク。与えられたサキュバスのガワ。平凡な彼女が抱えていた承認欲求はとどまることを知らず、それが運良くV豚の需要にブッ刺さった。

 スパチャが飛び交い、彼女の通帳は見たことのない桁に膨れ上がった頃――『彼』に出会った。

 

 初めて訪れた近所の居酒屋。そこで働く彼は、自分と同じ匂いをしていた。

 見た目は今時の青年。茶髪と十字架のピアスをした、モテそうな見た目の彼から、自分と同じ『陰』の匂いを感じ取った。

 ネット上でしか人気のない自分。何度か店に通い、勇気を出して彼に話しかけてみた。

『お兄さん、学生さん? いつも頑張ってて偉いね』

『えひゃっ⁉︎ あああありがとうござままます!』

 キョドりまくった彼に驚き、そして確信した。

『……この子、推せる』

 その日から、彼女はVチューバー兼直樹の隠れストーカーになった。

 店が終わるのを待ち、彼の背中を追いかける日々。だがいつも途中で我に返り、彼の住む家までは特定せずにいた。


 そんなある日――彼はバイトを辞めた。 


 店長に彼の住所を聞いても教えてくれず、ライヴ配信が終わると彼を探して徘徊した。

 もっと注目されたい。彼を自分のモノにしたい。

 その二つの欲望は混ざり合い、頂点に達したある日――『速水しおり』は、身も心も『月影むみぃ』に変貌した。



 ***



 その夜、直樹は布団に寝そべりながら、崩壊しそうな理性を必死に抑えていた。

『――いい直樹? 直樹はサキュバスの魅了(チャーム)にかかってるの。しばらく私がずーっと近くで監視するからね!』

『私も協力します。寝る時は私がそばにいます』

『それは許さん。私一人で十分だ。これは命令だシルヴィ』

『…………残念です』

 そして二人がそんなやり取りを交わした結果――ロレルは直樹の体を抱き枕のように引っ付いていた。

「あのー、ロレルさん? もうちょっと離れてくれませんか? ……あとスマホ返して」

「ダメ。直樹が寝るまで離さないしスマホも返さない。サキュバスの魅了は、本人も気付かないうちに行動を操るの。ほっといたらサキュバスの所に行っちゃうかもだし、勝手に全財産スパチャしちゃうかもだよ?」

「…………こっちの魅了のせいで寝れねーよ」

 ボソリと呟き、彼女に背を向ける。今ロレルの顔を見たら、直樹は間違いなくロレルを襲ってしまう。

(ガチでエロゲーのイベントかよ。助けてくれアイ、もしかしたら今日、俺は童貞を失うかもしれねえ)

 つい相棒に助けを求めようとするが、スマホは没収されている。スマホを手にしてから今日まで、初めて物理的にスマホ断ちさせられ、禁断症状のように手が震える。

「頼むロレル……せめてスマホを握るだけでも……俺にブルーライトの恩恵を……」

「これがスマホに支配された現代人の末路なのね。我慢して直樹。……ほら、よく眠れるようにおまじないかけてあげるから」

 暗い部屋が淡く光る。それはロレルの角から発せられた光。彼女の能力『感情操作』が、直樹のグチャグチャになった心を優しく包み込む。

(あれ……なんか落ち着いてきた……これがデジタルデトックスの効果か?)

「どう? 少しは落ち着いた?」

「……ああ、これなら寝れそう。むしろ眠くなってきた」

「ふふ、そのまま寝ていいよ」

 ハチミツのように甘い眠りへの誘い。ロレルの声は母性的で、背中には柔らかい温もりがピタリと寄り添う。

「……そうする。…………なあロレル」

「ん? どうしたの直樹?」

 やはり顔は見れない。背中越しに彼女の温もりを感じながら、直樹は一時的に、薄っぺらな仮面を脱ぎ捨てた。

「……俺、今まで寂しかったんだ……だけどお前のお陰で、今日はよく寝れそうだ…………ありがと……おやすみ、ロレル」

「……うん、おやすみ直樹」

 途端に寝息を立て始める直樹。ロレルは彼が眠りに落ちたのを確認すると――フニャンとトロけた。

「えへへへへへ。私もおんなじだよ。……ありがとう、直樹」

 胸に湧き上がる多幸感を自覚しながら、彼女もまた、泥のような睡魔に目蓋を擦った。

 そして――。

「……寝てる、よね?」

 自分に言い聞かせるように呟くと、彼の首に唇をそっと押し付けた。

「…………マーキングの上書きだよ……えへへ」


 ――満足そうに囁くと、彼女もまた幸せな夢に落ちていった。



 翌日。

「よーし、行くよ直樹! 早くサキュバスを見つけて八裂きにする! 不届淫魔を、ぶっこわーす!」

 どこぞの政党のように拳を突き上げるロレルに連れられ、直樹は昨日歩いた経路を巡っていた。

「まだその設定続いてんのかよ。昨日の俺は疲れてただけ。今はVチューバーなんてガワに頼った承認欲求オバケ興味ねえよ。なあアイ?」

『はい、マスターの過去の質問や検索履歴にそのようなモノはありません。直近の検索履歴は古代文明と未確認生物、そしてアダルトサイトに集中して……』

「ご苦労、戻れアイ」

『あ、ちょっと……』

 言いかけたアイを強制的に黙らせる直樹。ロレルはアイの言葉が気になり、首を傾げながら直樹を見上げた。

「アダルトサイトってなに?」

「……十八歳になるまで忘れろ。それまで絶対調べんなよ?」

「むー? 分かった」

 百三十歳のロレルは決意した。帰ったらすぐに調べようと。そしてその結果、彼女がそういう行為に興味津々になるのはまた別の話。

「よし良い子だ。それじゃとっとと探偵ごっこ終わらせて、早く家に戻ろうぜ? シルヴィも待ってるだろうし」

「ちょっと待って直樹。その前にもう一個聞きたい!」

「へ?」

 話を戻そうとした直樹の裾を、ロレルがグイッと引っ張る。その目はサキュバスのことも忘れ、爛々と輝いている。

「古代文明とか未確認生物ってなに?」

「あー……それはアレだ、男のロマンっていうか……」

「私も知りたい! 教えて!」

 爛々でキラキラ。純粋な好奇心を向けられた直樹は、少し躊躇った。

(……まあこれくらいはセーフか。うん、ロレルにもロマンってのを教えてやるか)

 そしてこれくらいなら自分の過去に繋がらないだろうと、男のロマンを語り始めた。

「古代文明は過去に存在してた文明。アトランティスとか古代メソポタミア文明とか。未確認生物――UMAは存在が噂されてるけど未発見の生き物の総称だ。んでアトランティスってのは――」

 それを皮切りに、直樹は自分の知る知識。自分なりの推論を彼女に語り始めた。一度火のついたロマンは止まることはなく、うんうんと頷くロレルの後押しもあり、しばらく路地の真ん中で心ゆくまで語り尽くした。


「――とまあこんな感じだな。どうだ? 古代文明から神話との繋がり、それに人類史のサイクル理論まで――――って、悪い! ひ、一人で話し過ぎた……」

 気付けば辺りは夕焼けに染まっていた。どれくらい語っていたか分からない。ただ直樹が分かったのは、ロレルに引かれたということだ。

(最悪で最低だ……。馬鹿みたいにはしゃいで一方的に喋り続けるなんて、まんま変わってねえじゃねーか。……ロレルに引かれちまった……しょせん俺なんて……)

 仮面の下から顔を出した過去の自分。故郷と共に捨てたはずのトラウマが、彼を絶望へと突き落とす。

 ――だが。

「す……す……」

 ロレルはプルプルと震え、直樹の想像とは正反対の表情になった。

「すごいよ直樹!」

「――へ?」

 何がすごいのか分からず、直樹の目が点になる。

(すごいって……すごいキモいってことか? そうだよな、そうに決まってる……)

 メンヘラ自虐男と化した彼に、ロレルが続ける。

「氷河期の周期と文明サイクル論、それを未来に残した天地創造説とか説得力の塊だよ! これって直樹が自分で辿り着いた答えなんでしょ⁉︎ ロマンと想像がこんなに繋がってワクワクする話、私初めて聞いたよ!」

「…………引かない、のか?」

「何に引くの⁉︎ こんなに面白い話、魔界で誰も教えてくれなかったよ! 私、直樹の話もっと聞きたい!」

 純粋すぎる澄んだ瞳。裏表のないロレルの言葉は、直樹の閉ざしかけた心を開いていく。

「……ほんとか? 無理してないか?」

「ぜんっぜん! もうサキュバスとかどうでもいいから、家で今の続き聞かせて?」

 そしておざなりにされるサキュバスの存在。直樹は彼女の言葉に一度拳を握ると――。

「――分かったよ。だけどその前に……」

 拳から、自己嫌悪に満ちた表情からふっと力を抜き、彼女の頭に手を置いた。

「……俺、ロレルに会えてマジで良かったよ」

「直樹……」

 今まで見てきた中で一番優しく微笑む彼に、ロレルの胸がドクンと高鳴る。彼の胸に飛び込みたくなる。その熱い気持ちのまま、ロレルが一歩踏み出した瞬間――。


「私の直樹君から離れなさい! この泥棒ロリ魔族ッ‼︎」


 先ほどおざなりにされた存在が、怒りに満ちた表情で二人を睨み付けていた――。

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