硝煙の子

奈良まさや

第1話

第一章 川辺の音


竜太郎は、土手の上で立ち止まっていた。

風に揺れるススキの向こう、川べりで何やら騒ぎが起きている。


中学二年の加藤——学校で知らぬ者のいないいじめっ子——が、同級生の細井を押し倒していた。

「泳げねぇのか? だったら練習だ!」

笑い声が川面に響く。細井のランドセルが地面に転がり、教科書が泥にまみれる。


竜太郎は眉をひそめた。

偶然そこにいた主婦二人が、井戸端会議に夢中でこちらを見てもいない。

主婦の自転車が土手脇に立てかけられていた。

——スタンドを外せば、あの下り坂なら。


躊躇は、一秒もなかった。

主婦の背後に回り、カチリとスタンドを外す。

竜太郎はそっと手を離した。自転車はゆっくりと動き出し、坂を加速して一直線に加藤へ突っ込む。

ドン、という鈍い音。加藤は川に弾かれるように落ち、水飛沫を上げた。


「え、何よ!?」

主婦たちが悲鳴を上げ、携帯を取り出して110番に通報する。

駆け寄った警官に、竜太郎は真っ直ぐに目を向けて言った。

「さっき、野球部の先輩たちが走ってきて、自転車にぶつかりました」

少し離れた場所で、本当に野球部員の一団が息を切らせて通り過ぎていく。

証言は、何の疑いもなく受け入れられた。


---


第二章 駄菓子屋の奥


数日後。加藤は溺死と新聞に出た。

葬式の日、竜太郎は淡々と学校へ向かっていた。


通学路の角、駄菓子屋の木戸がきしむ。

「竜太郎くんや、ちょっと」

しわがれた声に足を止める。

小さな椅子に腰かけた駄菓子屋のおばあさんが、にこにこしながら手招きしていた。


「……何ですか」

「この前の土手のこと、全部見てたよ」

竜太郎は瞬き一つせず、とぼける。

「何の話ですか」

「ふふ、そうやって表情ひとつ変えない。おもしろい子だね」

おばあさんは奥へ引っ込み、埃をかぶったガチャガチャを持ってきた。


「回してごらん」

「興味ないです」

「いいから」

仕方なく回すと、赤いカプセルが転がり出た。中には小さなおみくじのような紙。


【硝煙反応を移動させる】


竜太郎は首をかしげる。

「……何これ」

「そういうことさ。弾を撃ったあと、手や服につく硝煙反応——それを別の場所に移せる。あんたに向いてる力だよ」

おばあちゃんは満足そうだった。

「ガチャガチャを回せるってことは選ばれた人間ってことだよ」

「今まで何人回したっけ」


---


第三章 赤い誘惑


あのガチャガチャのカプセルを机の引き出しに隠してから、竜太郎は夜も眠れずにいた。


硝煙反応を移動させる——その言葉が頭から離れない。

まさか本当に、そんな力が存在するのだろうか。


翌日の放課後、竜太郎は学校裏の駐輪場で待ち伏せていた。

狙いは三年の田島先輩。違法改造のエアガンを持ち歩いているという噂がある不良だ。


「おい、チビ。何してる」

予想通り、田島が一人で現れた。

「先輩のエアガン、見せてください」

「はあ? 何だそりゃ」

「知ってます。BB弾じゃなくて、本物の火薬を使うやつでしょう」


田島の顔が変わった。

「てめぇ、どこで聞いた」

「僕、憧れているんです、見せていただくだけでいいんです——」

竜太郎は制服のポケットから千円札を数枚取り出した。

「お礼します」


金の匂いに釣られた田島は、周囲を見回してから竜太郎を廃工場の影に連れて行った。

「一発だけだぞ。絶対に誰にも言うな」


改造エアガンの引き金が引かれる。

パン、という乾いた音とともに、空き缶が弾け飛んだ。


その瞬間——竜太郎は自分の右手に、微かな粉末が付着するのを感じた。

硝煙反応。

心の中で念じる。『移動しろ』


すると、手についた見えない粉が、ふわりと自分の制服の袖に移っていくのが分かった。

まるで風に乗って舞い散るように。


「すげぇ!」

竜太郎は演技で興奮を装いながら、内心では戦慄していた。

本当だった。本当に能力が——。

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