モンスターハント

Dr.にゃんこ

第1話

 蝉の声が、夏の空気を震わせていた。

 中学三年の神崎かんざき れんは、蒸し暑い体育館から解放され、昇降口の下駄箱へと向かっていた。今日で一学期も終わり。通知表を受け取るとき、担任が口にした「夏休みを楽しめよ」という言葉が、どこか遠い響きに感じられた。

 この町は一見すると平和だ。けれど、人間の中には――いや、人間の“ふり”をして暮らす、異質な存在が混ざっている。


 その存在は「禍憑まがつき」と呼ばれていた。

 生まれも姿もさまざまで、常人にはない力を操る。中には人を傷つけ、命を奪う者もいる。

 政府はその事実を認めてはいない。しかし影では、禍憑を狩る組織が存在し、その腕は一部の警察や軍人からも一目置かれている――蓮は、そんな裏の事情を知らない普通の中学生として日々を過ごしていた。


「蓮!」

 聞き慣れた声に振り向くと、茶色い短髪の少年、浅見あさみ 悠斗ゆうとが駆け寄ってきた。

「今日の午後さ、美咲も呼んでゲームしようぜ!」

「いいな。美咲も来れる?」


 廊下の奥から、黒髪を一つに結んだ少女、七瀬ななせ 美咲みさきが現れる。涼しげな目元で蓮と悠斗を見て、小さくため息をついた。

「……仕方ないわね。でも宿題はやるから」

「真面目だなぁ、お前は」悠斗が笑い、三人は昇降口を抜けた。


 校門を出ると、陽射しが容赦なく肌を焼く。セミの声が耳を満たし、夏休み前の解放感が漂っていた。

 蓮は「じゃ、また後でな!」と手を振り、それぞれの家へと走り出す。


 住宅街の道を駆け抜けながら、蓮はふと背中に視線を感じた。

 振り返るが、そこには誰もいない。ただ陽炎のように揺れる空気と、遠くのビルの影が見えるだけだ。

 夏の暑さのせいだ、と自分に言い聞かせて走り続ける。


 禍憑は、人の形をとり、普通の人間と同じように生活することができる。だからこそ、人々は彼らの存在を知らずに暮らしていける。

 しかし、時に彼らは牙を剥く。突然の事故、不可解な失踪事件――その裏には禍憑の影があると噂されていた。


 蓮の家は古い二階建ての一軒家で、商店街から少し外れた場所にある。

 門をくぐると、花壇の向こうで母が洗濯物を干していた。

「おかえり、蓮。通知表は?」

「うーん……普通」

 笑って玄関に入ると、冷たい空気が体を包み込む。エアコンの涼しさにほっとしながら、バッグを放り投げた。


 今日は午後から悠斗と美咲が来る。何をして遊ぶか、そんな他愛ないことを考えていたそのとき――

 窓の外を、黒い影がすっと横切った。


 蓮は一瞬だけ固まったが、すぐに笑って首を振る。

「……気のせい、だよな」


 外は真夏の青空が広がっていた。ただ、その空の下で、人知れず蠢く存在がいることを、蓮はまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る