東北奇譚・夏閑話
目々
残像、その向こうの影まで
「近所の畑から買ってきた西瓜を食べようと半分に切ったら断面が種の具合とか赤みなんかでどう見ても女の顔に見えて、どういう了見だって畑の持ち主に尋ねたら『昔行き倒れた女を端っこに埋めた』って言われて、じゃあその女の祟りだなって納得しておしまい、みたいな話をどっかで読んだ気がするんだよな」
「あんたなんでそういう話を西瓜食べてるときにするんですか」
「西瓜食べてるから思い出したんだよ。どこで読んだかな、岡本綺堂だったか田中貢太郎だったような記憶があるんだけども、どうにも確信がない」
手元の西瓜、その一切れを眺めるが、赤い果肉や散った種からも当たり前に人の顔など見出せそうにない。胡乱な話を始めた叔父は何事もなかったかのように、また黙々と西瓜を齧っている。俺は果汁でべたつく指先を拭ってから麦茶のコップを手に取る。表面に浮いた水滴でまた手が濡れるのになんとなしの無力感を覚えながら一口を啜れば、痛い程に冷えた麦茶が西瓜の甘さを押し流して喉から胸へと下りていった。
夏の午後。白い日射しは机の上に横たえられた刃物のように真っ直ぐに伸びている。直前まで派手な通り雨が降っていたせいか気温は幾分か過ごしやすい。網戸から吹き込む風は湿った土の匂いを孕んで冷やかだ。食堂の端に置かれた扇風機はガタつきながらも懸命に羽を回して室温調整に協力している。蝉の声の合間に鐘に似た風鈴の音が聞こえるのは、どこかの家の軒先に下がっているものだろう。
「そういや厚宮さんは心当たりとかないんですか。そういう怪談みたいなの」
「え……? ああ、そうね、南瓜で似た話なら昔親父に聞いたっけな……」
食卓の大机、その向かいに座って麦茶のグラスを手にしたまま、厚宮さんがどことなし曖昧な返答を寄越した。
夏だからだろうか、いつにもましてご機嫌な柄シャツ――台風一過の空じみて目の潰れるような青い生地の上に大輪の向日葵が咲き誇っている――を着ているというのに、どうにも衣服に対して本体が萎れている。普段から猫背気味ではあるが、それに輪をかけて背もぐんねりと丸くなっており、いつもならば軽薄ではあるが人懐こい笑顔を浮かべている顔も悄然としている。
伏せた視線で机の上を眺めたままの厚宮さんの語に、西瓜を手にしたまま叔父が答えた。
「南瓜はあれだろ、畑に泥棒を殺して埋めて、そこから取れた南瓜を食べた家族がばたばた倒れるやつだ。微妙に枠が違う。……というかいつまで落ち込んでるんだ、お前」
いい年の中年がいつまでもいじけてるんじゃないと新たな一切れを大皿から取りながら叔父が言えば、厚宮さんがのろりと視線を上げた。
「だってさあ、西瓜食ってるところに西瓜もうひと玉ってのはさあ、下手すりゃ嫌がらせだと思われても仕方がないじゃん」
「嫌がらせなのか」
「違うって。そんなんするくらいなら先にぶん殴ってから文句言うよ、そっちの方が気も済むし」
机上に置かれた大皿の上には切り分けられた西瓜がぎっしりと並べられている。そうしてその隣に――艶のある深緑の地に黒々とした縞も見事な大玉西瓜が一玉鎮座している。
別に大したことではないのだ。いつも通り特に予告も連絡もなく、呼び鈴も鳴らさず玄関の引き戸を開けて挨拶を述べながら我が家に
ただ今日に限って俺と叔父は午前中にスーパーから買ってきた西瓜半玉をおやつにしていたところだったのが、互いにとっての不幸だった。誇らしげに西瓜を掲げたまま途方に暮れた顔をする厚宮さんという珍しいものを前にして、どう声をかけるべきかなど俺には分かるはずもなかった。
誰が悪いというものでもない。間が悪いというだけのことではある。それなのに厚宮さんは炎天の下に晒された朝顔のように萎れ切ってしまった。
それでもお客様であることには変わりなく、ついでにいうなら叔父の数少ない友人でもある。夏の忙しい最中に顔を出してくれた――相変わらず呼び鈴も鳴らさないし勝手に上がり込んでくるけれども――というだけで嬉しいことに変わりはない。なので俺も叔父もお茶を出して切り分けた西瓜を皿に取り分け、と客人に対しての持て成しの用意をしつついつも通りの雑談でもしようと試みたのだが、厚宮さんは依然として大机の傷を眺めて呆然としているのだ。
「あの、本当に気にしてないので。そんな落ち込まないでください」
「ごめんね甥っ子くん、気ぃ遣わせちゃってさあ……いや分かってんだよ、大人がこんなことで暗ぁくなるのがどうかしてんのは。でもさあ困るやつじゃん西瓜一個半はさ、二人しかいないところに。冷蔵庫のスペースも食うし。痛むし」
「別に食えるから安心しろ。三日あれば平気だ」
叔父の言葉に厚宮さんが疑わしげな目を向ける。そのまま俺の方を見たので、とりあえず頷き返す。
「この人は食べます。ついでにこの後夕飯もいつも通りに食べます。先週もそうでした」
「それはそれで血糖値とか心配じゃん……」
「市の健診でもそのあたりは引っかかったことないな。肝臓も去年は平気だった」
叔父は既に皮だけになった二切れ目を手元の皿に置いて、再び大皿に手を伸ばしている。その様子を厚宮さんはどことなく釈然としない顔で見つめている。
とりあえずこのまま厚宮さんの意識を失策から逸らすべきだろうと、俺は何かしら話題の種を探そうと試みる。
――思いつかない。
麦茶のコップに体温が移って境目が曖昧になる、それだけの時間を黙り込んで脳内を家探ししても何も出てこない。そういえば自分は世間話の下手な人間なのだということを今更のように思い出す。人に振られた話題になら何とか反応できるが、自分から何かを提供して盛り上がるという技術が俺にはない。報告と反応はできるが、会話――ことに歓談の類となるとどうにもならないのだ。
叔父はどうだ。俺が駄目ならこの人に頼るしかない、というより家主かつ友人なのだから、率先して客人を持て成すべきだろう。そう縋るような思いで視線を向けるが気づく様子はない。無心で西瓜を齧っている。
途端、叔父がふいと顔を上げた。
「――そういや西瓜で思い出したんだけど、平山夢明の短編で、」
「物食べてるときに平山夢明は止めてください。その話は知りませんけど、俺でも予想はできます。駄目です」
「そうか。……じゃあもうできる話がないぞ、種無し西瓜の作り方で中学の生物思い出したみたいなことしか言えない」
「ジベレリンでしたっけ、っていうかそういう話でいいんですよ、ついでに言うと西瓜で話題を縛ってたりはしませんよ」
「せっかく目の前にあるから、関連した方が嬉しいと思ったんだが」
いつもと変わらない茫洋とした目を幾度か瞬かせてから、叔父は麦茶のコップに口を付ける。これまでの会話が一応叔父なりに気を遣っていたものだと分かって安堵するが、それでこの体たらくなのかというあたりに頭を抱えそうになる。
「じゃああの……夏の話とかしましょうよ。近況報告でもいいですけど」
「近況報告って言われてもな。髪を来週切りに行かないとならないけどできれば行きたくない」
「別に行けばいいじゃないですか、髪切って悲しいってこともないでしょう」
「髪切るのは嫌じゃない。店に行くのが面倒なんだよ」
「それで伸びたら伸びたでずっと鬱陶しそうな顔してますよね。前髪とか後髪が邪魔だって……大人しく切ればまた何か月かは放っておけるんですから我慢しましょうよ。大人なんですから」
「大人なのに何でわざわざ面倒なことしないといけないんだろうな。大人になっていいこと、酒が飲めて三食好きなものを食えるぐらいしかない……」
ぶつぶつと文句の語尾を引きずったまま、叔父は再びコップの麦茶に口をつける。朝から西瓜をスーパーに買いに行くと決めたときは俺を先導するくらいに元気だったというのに、同じく外出に分類されるであろう来週の予定については露骨に嫌がっているのが分からない。どちらも夏日の外出という時点で負荷については大差ないだろうに、ここまで態度を変える大人がいるだろうか。身内ながら行動基準がどうなっているのかがいまいち理解できない。
いつもと同じくのっぺりとして表情のいまいち読み取れない叔父の顔を眺めていると、厚宮さんが口を開いた。
「なんか……あれだね、そういうやりとりするようになったんだね、君ら」
「まあ、そりゃあ、二年目なので」
俺が叔父の家に転がり込んでから、どうにか一年が過ぎた。七月の夜から八月の朝、散々な目に遭いつつもどうにか日々をやり過ごしているうちに、こうして二度目の夏をこの家でだらだらと過ごせるようにはなっていたようだ。
相変わらず叔父は部屋を片付けないし、俺自身も油断すると細やかな怪異――床に伸びる戸棚の影から三本ほど腕が伸びて手招きをしていたり、二階の洋間で掃除機をかけていたら背後からオルゴールの音が一度だけ聞こえたり、ロバの放送が聞こえたり――に遭遇してはいる。それでもひゃあひゃあと悲鳴を上げたり腰を抜かすようなことは随分少なくなり、静かにその場を離れて速やかに叔父の傍に避難するぐらいの冷静な対応はできるようになったのだから、少しは
「大学二年目ってことはあれか、甥っ子くん今年で二十歳?」
「今年の十二月ですね。まだ十九です」
「君十二月生まれだったのか」
叔父が西瓜を手にしたまま目を瞠った。そういえば特に伝えた覚えもなかったし、そもそも去年のその時期は寝込んだのもあってそれどころではなかったから仕方がないだろう。別に誕生日を知らなくても居候として健全な学生生活を送ることはできるし、それで何かしらの不都合があったわけでもない。
「じゃあ今年はお祝いできるね、二十歳ならお酒も飲める」
「いいですよ別に、お忙しい時期でしょうし」
「二十歳、区切りではあるからな。そこぐらいは祝った方がいいだろう、そこから先は数えるだけ無念が募るだろうから」
「無念が」
「どうしてそういうことを言うんだお前。年長者だろ」
厚宮さんに窘められて、叔父は黙って西瓜を齧り始めた。このペースならば、追加された西瓜の一玉程度など無理なく今週中には食べ切ってしまうだろうなとどうでもいいことを思う。
――祝ってもらえるのか。
数か月先のことだから、何とも気の早い約束ではある。たかが生まれて何年経ったか、それだけのことでしかないのは十分理解している。何なら成人自体は十八歳なのだから、二十歳という年齢には精々酒と煙草が解禁されるというぐらいの意味しかないだろう。生き物として存在をそれだけ長く保てたというのも幸運ではあるだろう、電子レンジだって二十年も持ったら大したものだ。
そうした細々とした理屈とは別に、どうにも浮かれてしまう。自分がここにいることを当たり前に
「……まあ、君も頑張ってるんじゃないのか、今のところは。色んなことを」
叔父はそれだけ呟くように述べてから、また黙々と西瓜を噛んでいる。厚宮さんがその様子と俺とを交互に見比べるものだから、俺もとりあえず西瓜を齧ることにした。ざらりと甘い果肉を噛めば、西瓜の匂いが口腔に満ちていった。
網戸から強い風が吹き込む。再びの夏はいつかのように平坦に過ぎていくのだろう。微かな怪異の影を滲ませながらも、日々はただ続く。そうして俺も叔父も、この家で何事もなく生活を続けていく。それだけのことではあるが、そうすることを俺は選んだ。ならば、自身の選択を全うすべきだろう。
遠い蝉の声を聞きながら、そんなことを思う。蝉時雨の合間に、微かな風鈴の音が滲んだ。
東北奇譚・夏閑話 目々 @meme2mason
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