(2)

 七美はそれから一週間、二週間と学校を休んだ。


 欠席理由は体調不良と聞かされたけれど、まだ残暑が厳しい季節柄、インフルエンザにかかるわけもないから、風邪の類でないとはクラスの誰もが察していた。


 何らかの理由で、彼女は学校に来られなくなってしまった。


 それはきっと、陸が関係しているのだと、これも皆、なんとなく察した。


 陸と七美は付き合っている。


 そう思っている人が大半だ。


「付き合っているの?」と問われた陸は興味無さそうに「別に」と言い、七美は「やだぁ、もう」と冗談っぽく笑いながら受け答えていた。その、満更でもない七美の顔と、はっきりと否定しない陸。二人を見て、「本当は付き合っている」と全員が勘違いしているだろう。


 陸については本当に至極どうでもいい内容だったから適当に答えていただけだ。しかし七美は、その勘違いが事実になればいいと願っていたに違いない。


 確信を持って言える。中学の頃からずっと、彼女の恋話こいばなに付き合ってきたのだから。


 ――陸はね、凄いんだよ。絵がすっごく上手くてね。ただ上手いだけじゃないの。他の人には思い付かないような独創性があって。でも、色合いはとても優しくて綺麗なの。


 ――無口で素っ気ないけど、口下手なだけで優しい人なんだ。


 ――生き方も芯が通ってて。意志が強いっていうのかな。そういうところがカッコいいの。


 中学生の、あれは、いつ頃だっただろう。遠慮という空気感が漂っていた時期を通り過ぎて、信頼というにはほど遠いけれど、慣れや安心感がお互いの間に漂い始めた頃だったはず。


 彼女が初めて好きな人がいると打ち明けてきた時、目の前が暗くなった。


 いつかこんな日がくるなんて、最初からわかっていたのに。でも、それはもう少し先だと高を括っていた。そんな、不意を突かれた出来事だった。


 私は、他の誰よりも七美の近くに居た。


 でも、彼女には私と出会う前からずっとずっと好きだった人がいる。強くまっすぐに、その人だけを想い続けていた。


 七美を好きだと言う男子達を、心の片隅で哀れむと同時に、私もその人達の仲間なのだという現実が、深く突き刺さった。氷の棘のように冷たくて、対照的にドクドクと生温かいものが傷口から流れた。


 私の気持ちなど知る由もなく、彼女の口から弾丸のように陸の魅力と想いが絶え間なく発せられた。


 彼女は、これを聞く私の気持ちを考えたことはあるのだろうか。


 ――……キモい。怜奈ちゃん、冗談だよね? 冗談でもキモいよ。私達、女の子同士だよ? ありえないでしょ。オカシイんじゃないの?


 七美への非難とも陸への嫉妬とも取れる感情を抱く度に、小学生の時に言われた言葉が頭にこだまして、脳を冷やしていく。


 この言葉を言った彼女の顔すら思い出せないけれど、言葉だけは鮮明に残っている。


 その後自分に向けられたクラス中の冷たい眼差しと心無い言動よりも、彼女からの言葉の方が何倍も威力があった。


 身体が震える程の温度を持ったこの言葉は、私を冷静にさせてくれる。


 私も七美も、「女の子同士」。


 そう、だから、私達がこれ以上どうこうなる希望なんて無いし、「キモい」し「ありえない」し、「オカシイ」んだ。


 そうやって、冷静に現実を見つめられる。






「怜奈……、怜奈!」


 陽太に呼ばれてハッとした。心配そうに見つめてくる彼と目が合う。


「大丈夫?」


「ちょっと、ボーっとしちゃった」


 昼休み、彼の前の人の席を借りて、机を並べて向かい合って昼食を摂っていた。卵焼きを口に運ぶ。ほんのり甘い。卵焼きは甘い物だと思っていたけれど、それは味付けの問題で、わが家の卵焼きが砂糖多めの甘口なのだと知ったのは、中学生の頃、七美とお弁当を作って公園でピクニックをした時だった。


 よく女子力強化と称した料理会をしていた。全て、いつか陸のために作るのだと言っていた。だったらせめて、その時がくるまでは、私は陸が座るはずの席に代わりに座っていたいと願っていた。


 平気だと、何ともないと示すためにそのまま箸を進めたが、陽太はなおも私の様子を窺がうように見つめる。


 そんな彼に気付かないフリをして……、否、そうするのが彼の視線を逸らすのに最適だと感じ、食べ進める。薄黄色のお弁当箱に詰められた、彩り豊かな食材。野菜、肉類、バランスよく入っていて、親の愛情を感じる。


 両親は、私が〝普通〟じゃないと知っても、変わらぬ愛情を注いでくれるのだろうか。


 それとも、やっぱり、「オカシイ」子だと思うのだろうか。


 必死で病院を探したりするのだろうか。どこも悪いところなんて無いのに。


 沈黙が流れる私達の間に、遠くから囁き声が聞こえて来た。「七美ちゃんと一色君がいなかったら、陽太君と高嶺さんカップルだけになるのか」「やっぱりお似合いだよね」「七美ちゃん来たら、邪魔者になっちゃうよね」「遠距離になったら別れる率も上がるしね」「三人になると、七美ちゃんがいるより、あの二人だけの方がバランスいいよね」勝手な噂話と価値観が最大限に混じったそれは、陽太にも聞こえているはずだ。


 ほんの少し気まずい空気が流れるが、人との衝突を好まない陽太は、何も言葉を発さなかった。


「……怜奈、七美ちゃんの家、行ってみたら? もうすぐで一カ月経つし、さすがにこれ以上休むのはまずいんじゃないかな」


 ここで、「一緒に行こう」と言わない彼が、私は好きだ。いつも一緒にいたメンバーなんだから、一緒にと誘うのが自然な流れに見えるけれど、自分が出るところ、出ないところ、微妙なラインを把握しているのか、そういう立ち回りができる。陸とは大違いだ。


「そうね。そうしてみる」


 その言葉を聞いてようやく、彼も再び箸を進め始めた。

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