わたしたちは、警察でも、探偵でもない。
醍醐兎乙
第一話『顔を背ける防犯カメラ』
前編
今年から大学に通うため、わたしはマンションで一人暮らしを始めた。
そして、初めての一人暮らしに戸惑う暇もなく、入学式が始まり、授業の履修、ご近所付き合い、サークル勧誘、深夜の騒音問題、ゼミ選択、と慌ただしく過ごし、気づけば一ヶ月。
そのせいでゴールデンウィークに入っても、わたしはまだ一人暮らしに慣れていない。
「一人暮らしぃ、しんどいよぉ」
「大変だね」
未だ終わらない荷解きや煩わしい家事から目をそらすため、女友達をオシャレなカフェに誘って、泣き言を聞いてもらっていた。
カフェの店内には香ばしいコーヒー豆の香りがうっすらと漂っている。
女友達はわたしの嘆きに相槌を打ちながら、長く艶のある黒髪を耳にかけた。
その仕草は、カフェに流れるオシャレなBGMにとても良く似合っている。
「お母さんが恋しいよぉぉ」
「実家暮らしの私にはわからない感覚だね」
「うぅぅ。実家暮らしアンチになりそうぅぅ」
「落ち着いて」
「実家暮らし大学生が憎いよぉぉ」
わたしが憎しみの怨嗟に飲まれている姿を見て、哀れに思ったのか、彼女は小さく一つため息をついた。
「ほら、公共の場なんだから行儀よくして」
「だってだってだってぇぇ」
「ちゃんといい子にできたら、荷解きや家事くらいなら手伝ってあげるから」
「……ほんと?」
「本当」
それからカフェを出るまでの間、わたしはこのオシャレ空間に恥じない女子大生を演じきり、そのまま女友達を自宅マンションに連れ帰った。
「ずいぶんと年季の入ったマンションだね」
「いやいや、学生向けのマンションなんてこんなものだよ」
女友達はマンションの薄汚れた外観に苦笑いを浮かべた。
この娘はちょくちょく『箱入り』な発言が見え隠れしている。
今日は見逃してあげるけど、今度弄り倒してやろう。
わたしがそんな不埒な考えをしているとは知りもしない箱入り娘は、物珍しそうにマンションの玄関ホールを見回していた。
「へー、オートロックで防犯カメラまで付いてるんだ」
そう言って彼女が指差した先には、わたしたちにレンズを向けた古びた防犯カメラ。
「見るからに年代物の防犯カメラだから、動いているのか気になるんでしょ?」
「……ちょっとだけ」
下世話な興味を言い当てられて気まずいのか、誤魔化すように両手をわたわたと動かしている箱入り娘。
「先週のことなんだけど、どうしても汚い部屋に居たくなくて、この玄関ホールで現実逃避してたら、三十分ぐらいで管理人さんが来て声をかけられたよ」
「なにしてるの!?」
「わたしが防犯カメラに写ったまま動かないから、カメラの故障かと思って見に来たんだって」
「管理人さんに迷惑をかけるな!」
自分の下世話な興味をかき消すかの如く、わたしにわざとらしく説教を始めた箱入り娘。
さっきこの箱入り女子大生が防犯カメラを指差して驚く無作法も、きっと今ごろ管理人さんに伝わってるだろうけど、教えてやんない。
知らないうちに恥をかいてな、箱入り!
直接口に出したら手痛い反撃を受けそうなことを心にしまい、わたしと箱入りはエレベーターに乗り込んだ。
「四階にまいりまーす」
「これは、想像以上だね」
女友達が玄関ドアを開けてこぼした第一声を聞かなかったことにして、わたしより背の高い彼女の背中を押して部屋の中に招待する。
「汚いところですけど、どうぞどうぞお入りください」
「言葉通りすぎて反応に困るね」
失礼な。
ちょっと段ボールが散乱して、少し洗濯物と食器が洗えてなくて、稀にごみ袋が転がってて、わずかに生臭いだけじゃん。
自分の部屋が汚部屋予備軍という自覚があるので、黙って姿勢の良い女友達の背中を押し続けた。
「なんで無言で押してくるの!? 待って!? なんか踏んだ!」
「………………こやつはわたしの救世主ぅ……逃がしてなるものかぁ……」
わたしは女友達に逃げられないように、汚部屋の最奥まで救世主たる彼女の背中を押し込み続けた。
「よし。とりあえず、こんなものかな」
「うわぁ。床が見えるや」
わたしの救世主はその肩書に恥じない奇跡の御業により、『生臭い汚部屋』を『田舎出身の芋臭い女子大生が少し背伸びした部屋』に変身させてしまった。
あと貰い物のアロマを見つけて焚いたみたいで、甘い果物みたいな匂いが、部屋に充満している。
「……ねぇ救世主? もう一度奇跡を起こして、この部屋を『イケイケオシャレなモテモテ部屋』にできたりしない?」
「なに馬鹿なこと言ってるの。明日は燃えるごみと資源ごみの日らしいし段ボールとごみ袋を捨てに行くよ」
いつのまにか救世主はごみ出しに関するルールが書かれた紙を発掘したようだ。
こうして、両手にごみ袋、両脇に段ボールを装備した女子大生二人で、マンションのごみ捨て場に向かった。
ごみをすべて出し終わり、甘い香りのするマンションの玄関ホールでエレベーターを待っていると、わたしと箱入り救世主はなにかに気づいた。
「あの防犯カメラ、あんな向きだった?」
彼女が指差したのは、マンションの玄関ホールに設置された防犯カメラ。
その防犯カメラは、なぜか壁にレンズを向け、わたしたちに背を見せている。
「まるで見たくないものを見てしまった子供みたい」
そんなつぶやきをした女友達は表情を曇らせ、防犯カメラより奥を見つめるわたしの手を、不安そうに握ってきた。
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