第37話 奪われたのなら

「ユキくんの身体って、やっぱり温かいんだね!」

「…………」


 しばらくしてからようやく上がった春香の面持ちには、一点の曇りも無い清々しい笑顔が広がっていた。


「……そういう春香もね」


 以前までは錯覚のようにあやふやだったものが、今は柔らかな肌の感触を伴って返ってくる。そんなことを実感するだけで意識は蕩ける程朦朧とし、春香の幸せな甘い笑顔から目が離せなくなる。


「……全く、見ていられないな」


 僕と春香の安穏とした世界に、乾ききった冷淡な声が割り込んでくる。


「……菅」


 ここがまだ敵地だったことを思い出し、春香との抱擁を一旦解いてから共に立ち上がる。


「キミ達の愛など、所詮は偽りのものに過ぎないというのに」

「はあ⁉」

「…………」


 僕らの絆を開口一番貶されて、春香は素っ頓狂な声を上げながら額に青筋を立てる。


「いきなり何なのこいつ!」

「……まあまあ、春香」


 いきり立つ春香を宥めてから、つまらなそうに顔をしかめている菅と改めて向かい合う。


「さっきも言いましたけど、春香は春香なので。偽物とか本物とか、そういうのを勝手に決めつけること自体がお門違いなんじゃないですか」


 冷静を保つようにはしているものの、菅の言い分に反感を抱いるのは僕だって同じだ。語気は普段よりも強くなり、菅を捉える眼差しには痛い程の力が込められる。


「……まあいい」


 菅は僕らの敵意を意に介さず、呆れたように肩を竦めると数歩後退する。


「鎮石の悪霊はこちらに二体、ワタシの方が未だに有利であることに変わりはない」


 後ろへ下がった菅と入れ替わりになるように、今もその存在感を失うことが無い黒ずくめの巨人が一歩を踏み出す。


「奪われたのなら、奪い返せばいい。ワタシはこれまでずっとそうやって生きてきた」


 春香を取り返しても尚、菅の飢えた眼差しは鋭く僕らを狙い澄ましている。


「…………」


 僕らの前に立ち塞がる幽霊、楠木秋穂と澤井夏絵。二人の霊力内に侵入し、少なからずの時間をその中で過ごした為だろうか。外面だけでは伝わることの無かったものが、視覚よりも根源的な感覚を通して僕の内面に流れ込んでいる。


「……きみ達は、やっぱり」


 一抹の予感を覚えて、交差点の中央で佇む巨大な人型を見上げる。


「春香」

「ユキくん?」


 威圧感を放つ巨体から視線を落として、隣り合っている春香と同じ目線の高さを保つ。


「僕らの狙いは菅が持っているロケットのペンダントだ。菅はあれを使ってあの二人……黒い霊力を持つ二人を操っている」

「……そうだね。あれを奪っちゃえば、少なくともあの人達が菅の思い通りに動くことは無くなると思う」


 つい先程まで封じ込められていたこともあって、春香は僕よりもその恐ろしさを知っているのだろう。ロケットの所有者である菅を一瞥すると、あどけなさを残す表情に苦虫を踏み潰したような嫌悪感が現れる。


「……それと、これはちょっとしたお願いなんだけど」


 春香にこっそりと耳打ちをして、作戦の要をできる限り手短に伝える。


「……へえ、面白そうじゃん」


 浮かべていたしかめっ面は一体どこへやら。春香は僕の話を一通り聞き終えると、子供のようにいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「さて、作戦会議は終わったかな?」


 黒影の巨大な影が差す後方で、主である菅は余裕そうな笑みを取り戻している。


「ワタシからロケットを奪うとは言っても、彼女達を祓わないことには何も始まらない」


 菅はあくまでも他人事のように、僕と春香に狙いを定めた黒影が歩き出す様を見つめている。


「来るか……」


 一歩二歩と進んでいく足取りは徐々に速度を増していき、繁華街中を揺らす地響きを伴って僕らの下へ迫ってくる。


「春香、手を」

「うん……!」


 隣で浮遊している春香に手を伸ばし、今なら掴み取ることができる指先を掴み取る。

 さっきまではただ一方的に踏み潰されるだけだったが今は違う。こうして春香と共に手を取り合えるのなら、どんなに恐ろしい大悪霊にだって立ち向かうことができる。


「だから……!」


 繋ぎ合った手を中心として、溢れ出していく霊力の黒い膜が僕らを包み込んでいく。前後不覚になっていく真っ暗な視界の中で、春香から伝わる手の感触だけが唯一確かな道しるべ。


「覚悟してよね! 私のユキくんを傷つけたゲス野郎!」

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