第33話 突撃
「お守り……」
「この袋の中に入れてあるんだ。少々無骨な見た目をしているから、せめて見かけぐらいは整えておきたくてね」
楠木秋穂、澤井夏絵から取り出された緑色の巾着、青色の巾着。二人の霊核らしいお守り袋は菅の手に収まったまま、紐で縛られた開け口を独りでに開かせる。
「あれが……」
二つの袋口からは極小の物体がそれぞれ姿を現し、無遠慮で乱雑な軌道を空中に描いて浮かび上がる。
「あれが鎮石……?」
大きさ自体は五センチも無いのだろう。宙に漂う二つの石片は一見ただの角張った石ころにしか見えないが、その色合いは不自然なぐらいの真っ黒色に染まりきっている。
「生者の青、死者の赤、この世に流れるありとあらゆる霊力が鎮石には詰まっている。立花クン達が扱う黒い霊力、あれは途方もなく膨大な霊力が混ざり合ったことによる産物なんだ」
「混ざり合った、って……」
菅は何食わぬ顔で話しているが、僕はと言えば話のスケールの壮大さにただ圧倒されるばかり。
絵具の色を全て混ぜ合わせれば黒色に近づくように、生者と死者の霊力が溶け合った結果出来上がったのが春香達を構成する黒い霊力ということ。想像するだけなら簡単なことのように思えるが、霊力をそれなりに扱えるようになった今なら、それがどれほど際限のない過程を経ているのか感覚的でも理解できてしまう。
「そういうことを可能にしてしまう場所があるのさ。現世と幽世、二つの世界で循環を繰り返す霊力が自然と溜まり込んでしまう場所が」
菅は僕の驚きを表情から読み取ったのか、こちらから聞き出す暇も与えずに得意そうに口を開く。
「澱みは霊力の吹き溜まりを作り出し、現世にまで干渉する膨大な力を生み出してしまう。そも鎮石というのは、そういった地点で生み出される霊力を幽世に封じ込める為に造られた物であって……」
「……?」
話の主旨自体がつかめなくなってきた頃、いつまでも止まないと思われていた菅の声が不意に止まる。
「少々お喋りが過ぎたね。手短に済ませると言っておいたのに、調子に乗ってついうっかり話し過ぎてしまった」
菅はあからさまに肩を竦め、話の続きを明らかにする代わりに深いため息を吐く。
「とにかく、込み入ったお話はここまでにしておこう」
菅が手招きをするように掌を動かすと、空中に浮かんでいた二つの黒石はそれぞれ元いたお守り袋の中に戻っていく。
「これはキミ達に返しておかないとね」
石片を収めた巾着袋の袋口は閉ざされ、菅の手により再び二人の幽霊の体内へ強引に戻される。
「……!」
そして、菅の両手が二人の背中から引き抜かれたことが引き金になったかのように。霊核を取り戻した二人からは夥しい量の黒い靄が溢れ出し、おどろおどろしい二層の黒雲となって螺旋階段のような軌道を空中で作り出す。
「……そんな」
絡み合った霊力は互いに混ざり合い、見上げる程に大きな人影となって交差点に姿を現す。
「昨日より、ずっと大きい……」
楠木秋穂と澤井夏絵、黒い霊力を持つ二人が融合して出来上がった超重量。僕に向かって一歩を踏みしめる度に、交差点の地面には地響きと共に大きな割れ目が出来上がる。
「……でも、春香は」
せり上がってきた恐怖心を無理矢理飲み込み、推定十メートル以上はある図体を冷静に観察する。
菅が所有している黒霊力の幽霊は春香を含めてちょうど三人。鎮石の悪霊はこれで全てだと、他ならない菅が以前そう言っていた。
「……あそこにはいない」
菅は恐らく、残りの一人である春香をまだ支配下に置けていないのだろう。その証拠に、三人を閉じ込めたロケットの中から春香だけがまだ姿を現していない。
暗く冷たい金属の中、囚われた春香の魂が今もそこで眠り続けている。
「……それなら」
僅かな逡巡の末、目の前に立ち塞がる巨大な黒影に向かって足を踏み出す。頭に浮かんだ暗い情景を取り払うように、菅のロケットという明確な目標を目指して前のめりに地を駆け出す。
「ははは! よほど死にたいようだね!」
菅の耳障りな哄笑を掻き分けて、屍術師を守るように立ち塞がっている黒影の下に辿り着く。菅の下に向かうには、まずこの途方もない巨体を乗り越えなければいけない。
「……上手くいけばいいけど」
いくら僕が無鉄砲だとしても、全くの無策で菅達の前に躍り出たわけではない。霊力を十全に操れるようになった今なら、そして春香と同じ出自を持つ黒い霊力が相手なら、あるいは。
「さようなら! 成瀬クン!」
「あ……」
とにかく今は、生きるか死ぬかの土壇場で思いついた作戦を信じて。月の光さえ遮る黒足が目の前で振り上げられても、これから訪れる未来から逃げる真似だけはしたくなかった。
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