第二話 神様が作った女優
静まり返った楽屋に、古いクーラーの唸る音だけが大きく響く。
いつもなら、公演後の坂本さんは上機嫌で、私たち一人ひとりの肩を叩いて労ってくれるのに。
だが、今日の坂本さんは何かが違った。その張り詰めた空気に呼応するように、私の心臓も奇妙なリズムを刻んでいる。
どれくらいの時間が経っただろう。本番のそれとは質の違う緊張感の中、私たちは固唾を飲んで、彼の言葉を待っていた。
「みんな、本当にごめん。」
今までに聞いたことがない声。坂本さんが、私達に頭を下げている。
どういうこと?混乱の渦に飲み込まれる。
「僕は、劇団ユリイカを、本物の俳優を生み出すために立ち上げた。けれども、これ以上続けることは難しいかもしれない。」
楽屋の温度が、冷え切っている。誰か、クーラーの温度を下げたのかな?
劇団が、無くなるかもしれない。そんなこと考えたことがなかった。
「嫌です。」
凛として、けれど氷のように冷たい声が、楽屋の淀んだ空気を切り裂いた。
それは、静まり返った水面に落ちた、一滴の鋼の雫。小さく、しかし鋭い波紋が、その場の全員の心に広がっていく。
私が顔を上げると、そこに立っていたのは、この劇団のもう一人のエース
月城冴(つきしろさえ)だった。
彼女を見たときに、誰もが心を奪われるのが、アインシュタインもびっくらこいちまう、光を一切吸収しない漆黒のロングヘア。ブラックホールよろしくの、その一糸乱れぬ、美しい髪。
その上、なんだその人間国宝の彫刻家が掘り出したような、芸術作品みたいな、無駄の一切ないシャープな顔立ちは。
その美しさに見とれていると、彼女と目が合う。
切れ長の涼やかな目元。まるで高貴な猫のような目は、鋭い知性を感じさせ、ひとたびその瞳に見つめられると、誰もが嘘をつけなくなるような強い意志の光を感じる。
「私は、私達はまだ本物俳優にはなっていません。」
決して大きな声ではないが、彼女の強い意志が、項垂れていた劇団員の心に火をつける。
彼女の薄く、きりりと引き結ばれた唇。その口元からは、常に的確で、後輩達にはいつも厳しい言葉をかけている。
それだけ、演技に本気に取り組んでいるからだ。
でも、稽古が終われば、優しく温和で、飲み会では、お酒を率先してのみ、場を盛り上げる、ムードメーカー的な存在でもあり、そのギャップに、私は心を破壊されると同時に、憧れの念も持っている。
身長170cmと高身長な月城冴は、坂本さんに物怖じしない。頭を下げている坂本さんに近づき、この場にいる誰もが思っているであろう気持ちを言葉にする。
「私は、劇団ユリイカが好きなんです。劇団をなくすことは絶対に許されない。」
手足が、長く、モデルのように美しい彼女が、自分の意志をはっきりと言葉にする。
なんて説得力があるんだろうか。人は見た目が9割って本当なんだろうなと、改めて思い知らされる。
月城冴の言葉に、劇団員たちは静かに呼応し、力強い眼差しで、坂本さんを見つめる。私だってそうだ。ユリイカが無くなったら、私は、どこで生きればいい?
坂本さんは、そんな私達の圧力をはねのけて、言葉を続ける。
「僕だって、続けたい。その為に、みんなは力を貸してくれるかい?」
坂本さんの落ち着いた低い声が放たれた瞬間、その場にいた全員が、「もちろんです」や「出来ることならなんでもします」と答えている。
坂本さんの「本物の俳優を育てる」という熱い想いがあったから、私はこの劇団に入団した。こんな私にだって出来ることがあるなら、何だってやる。チケット代を上げて、売れにくくなるなら、今まで以上に、宣伝だってする。写真だって沢山撮って、SNSに公開する。とにかくやれることはなんでもする。劇団運営だって、坂本さんが一人で抱え込みすぎていたんだ。みんなで力を合わせれば、この状況だって突破できるはず。
「ありがとうみんな。」
坂本さんは、ようやく顔を上げて、みんなを見つめる。おもむろにポケットからスマホを取り出し、何かをタップした。
すると、それまで固く閉ざされていた楽屋の扉が、静かに開いた。
光の中に立つ、一人の女性。見たことがない顔。けれど、その姿は、神が作ったとしか思えないほど完璧だった。肌には毛穴一つなく、その微笑みは黄金比で計算されたかのように、左右対称に美しく、どこか、人間離れしていた。
彼女は、滑るような、一切の無駄がない動きで一歩前に進み、完璧な角度で、ゆっくりと頭を下げた。
「初めまして。私の個体識別名称は、T.E.O.――通称、テオです」
完璧な発声、澱みない活舌。彼女は一体誰なの?
目の前で起こっている出来事を、頭が理解を拒んでいる。困惑が楽屋の中を支配する。さっきまで聞こえていた、クーラーの唸り声が聞こえなくなっている。
ユリイカの全員が、目の前にいる非常識にまでも美しい女性の存在に拒否反応を示している。
驚愕している。そうか、人間って本当に理解できないことが目の前で起こると、言葉が出ないんだ。自分が役を演じる時、まだまだ嘘をついている瞬間があるなぁ、なんて頭の片隅で考えている自分がいる。
重たい空気を破るかのように、坂本さんが言葉を続ける。
「紹介しよう、彼女はペルソナ・シンセから派遣された次世代型AIアクターのテオだ。」
ペルソナ・シンセ。世間を賑わせているAI企業だ。介護現場や、保育の現場にAIロボットを派遣し、人手不足問題を解決に向かわせている誰もが知る大企業だ。
私は、その会社の名前に深い嫌悪感を抱いている。
「今回、AIアクターテオを実際の演劇の現場に投入しフィードバックが欲しいとの依頼があった」
その坂本の言葉に、劇団員の誰かが「ロボットが演技なんて出来んのかよ」と呟いた。その声を聞いたテオが満面の笑みで答える。
「過去7万本の戯曲データを学習。リアルタイム感情分析による、最適演技生成システムを搭載。あらゆる役を、最も効果的に演じる俳優、それが私、AIアクターテオです。皆さんと一緒に演技が出来るのを楽しみにしています。宜しくお願い致します。」
心地よい声で答えて、声を上げた劇団員に握手を求めるが、劇団員は困惑している。
その時、先ほどまで、黙っていた月城冴が声を発する。
「これが劇団を守ることになるんですか?」
いつも冷静で正確な、彼女の声が震えている。それは、彼女もまた一人の人間であることの証明なのかもしれない。
珍しく取り乱している月城冴に、坂本は優しく語り掛ける。
「テオが実際の演劇の現場に入ったデータを提出することで、ペルソナ・シンセから多額のスポンサー料が支払われる。」
理屈はわかった。でも、どうして、ユリイカなの?私は、誰にも悟られないように、怒りを鎮めることに必死になる。
「次回公演だけだ。一回だけ。この劇団を続けていくために、みんなにも協力してほしい。」
坂本さんが、頭を下げる。この人がこんなに頭を下げる姿は見たことがない。
誰も口を開かない。沈黙がしばらく続いた後、相沢杏が、口を開いた。
「私は、坂本さんに賛成です。」
彼女の柔らかな声が、この世界の沈黙を打ち破る。
相沢杏の発言を皮切りに、他の劇団員たちも、賛同の意を示していく。
けれども、私は、私はどうしても受け入れられなかった。
せめて、別の会社だったら私はすんなり受け入れられたかもしれない。でも、ペルソナ・シンセだけは許せなかった。
私の想いとは裏腹に、劇団の空気が変わる。私だけ、世界に取り残されたのかな。
「みんなありがとう。それで、ペルソナ・シンセからもう一つ条件があって、テオの相手役だけど、」
もう、どうでもいい。私には関係ない。次回公演には参加しなかったらいい。生活もちょっと厳しかったし、その期間をバイトに当てて、その次の公演に備えよう。
そんな自分なりのプランを考えている私に、坂本さんの視線が、突き刺さった。その瞳には、どこか憐れむような、それでいて有無を言わさない強い光が宿っていた。
「恵、お前だ。」
頭の中で、ガラスが割れる甲高い音が響き渡る。私?どうして?
なんで、こんな完璧で、人間離れしたロボットと舞台に立たないといけないの?
私の本当の顔は、修正できないんだよ?
絶対に嫌。
そんな私の想いに気づかないまま、テオが私の傍にやってきて、手を差し出し、握手を求めてくる。
「恵、よろしくね。」
すらりと伸びた美しい手、皺も無ければ、ムダ毛もない。吸い込まれそうになる美しい肌。
どうしてなの?なんでなの?意味がわかんない。どういうつもりなの?
ねえ、教えてよ。お母さん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます