加工アプリの顔じゃなきゃ、舞台に立てませんか?

@aizawatumugu

第一話 アプリの中の私

 拍手の音が、まだ耳の奥で木霊している。嘘に塗り固められた虚構の世界と、現実を隔てる『第四の壁』。けたたましい音を立てて重い緞帳が降りきった瞬間、終演を告げるベルが鳴り響く。

―――ああ、魔法が、解けていく。


 舞台の上でだけ許された、喝采と光。それを浴びていた役の私から、本当の私、佐藤恵(21)に戻る時間。まるで12時の鐘が鳴った後のシンデレラみたいに、私はまた、何の取り柄もない、普通の女の子になる。スマホの画面の中の『完璧な私』とは、似ても似つかない、ただの私に。


「お疲れー!」


 仲間たちの声に曖昧に頷きながら、私は逃げるように楽屋へ向かう。そして、自分の荷物が置かれた隅の席に座ると、真っ先にスマートフォンの電源を入れた。そこには、もう一つの現実が待っているのだから。

 見慣れた色のアイコンをタップする。そして、慣れた手つきで、アカウント切り替えボタンを押す。

タイムラインに流れているのは、自分と同じマイナーな舞台俳優――“推し”の尊さを語り合う、仲間たちのポストが並んでいる。「今日のマチネの〇〇さんの表情、天才すぎた」「わかる」というやり取りに、自分の居場所はここにあるのだと、ほんの少しだけ息をつく。

 だが、それも束の間。私は意を決して、自分の『本垢』に切り替えた。そして、震える指でXの検索窓に打ち込む。


『劇団ユリイカ 佐藤恵』

 エゴサーチ。それは人気投票でも、称賛の確認でもない。「私の演技は、誰かの心の1ミリでも動かせたか」「今日の私は、この世界に“いていい”存在だったか」―――私にとって、それは自分の自己有用感を確かめるための、痛みを伴う儀式だった。

 スクロールする指が、一つのポストの上で止まった。


『佐藤恵ちゃんの泣きの演技、もらい泣きした。ファンになったかも』


―――よかった。今日の私、ちゃんと役に立ててた。


 誰にも気づかれないようにそっと息を吐く。この一言で、明日もまた舞台に立てる。そんな安堵が胸に広がる。しかし、幸福はいつも、指の隙間から砂のようにこぼれ落ちていく。


『ユリイカの佐藤恵って子、写真の方が可愛くない?顔のバランス違うじゃん』


 ぐさり、と、錆びた釘が、心臓のど真ん中に打ち込まれたような、鈍い痛みが走る。

私は、スマホから顔を上げた。楽屋の姿見に映る、汗で崩れた自分の顔。無理やり笑顔を作ってみる。…うん、やっぱり右の口角だけが、皮肉っぽく上がってる。知ってる。そんなこと、私が一番よく知ってるんだから。

 私は、乱暴にアプリを閉じた。そして、ホーム画面にある、花のようなアイコンをタップする。

AI画像加工アプリ『Perfect Me』。

 カメラロールから、今日の開演前に撮った自分の写真を選ぶ。指先一つ。画面をスワイプするだけで、AIが私の顔を「正解」に導いてくれる。

 輪郭を、シャープに。目の大きさを、左右対称に。肌の毛穴を、存在しなかったかのように、滑らかに。画面の中には、コンプレックスがすべて消え去った「理想の私」が、完璧な微笑みを浮かべていた。


(こっちが、本当の私だったら、いいのに)


 そう思った瞬間。ふと顔を上げた恵は、壁の大きな姿見に映る、自分自身の顔と目が合った。

汗でドロドロに崩れたファンデーション。泣きの演技で赤くなった目元。そして、歪んだまま固まった、情けない笑顔。

 スマホの中の完璧な顔とのギャップに、吐き気がした。私は、自分を保つために、もう一度アプリを開き、『理想の私』の写真を、全世界に公開する。

 その直後から、通知音が鳴り始める。『いいね』をされることに喜びを感じるとともに、世界に本当に必要とされているのは、本当の私じゃなくて、『加工』された私ということをまざまざと認識させらえる。

 本当の私はきっと、この世界には必要がない存在なんだ。

 

「恵も一緒に撮ろうよ。」


 現実から目を背け、ため息をついていてた私に、声をかけてきたのは

 同じ劇団の、相沢杏だった。

 

「ツーショット撮って、お客様にお礼のメッセージ書きたいの。」


 無邪気だ。無意識で、無自覚で私を殺しにくる女だ。私は彼女の方を振り向くと、まず目に入ってくるのは色素の薄い、柔らかな栗色の髪。本人は「何もしなくてもすぐ茶色くなっちゃう」と気にして縮毛矯正をかけているが、そのおかげで常にサラサラのストレート。少し長めのボブスタイルで、毛先が自然に内側に巻いている。私が毎朝アイロンで必死で、2時間はかけて作る「完璧な内巻き」を、杏は寝癖のままで体現している。目線を顔にやるとそこには、少し丸みを帯びた輪郭に、パーツが愛らしく配置されていて、肌は透けるように白く、チークを乗せていなくても頬が自然な杏色に色づいており、鼻筋はすっと通っているというより、ちょこんと小さく、親しみやすい印象を与えている。そんな彼女の最大の武器は、潤んだ大きな瞳。子犬のように少し垂れ気味の目尻は、彼女がただそこにいるだけで「なんだか守ってあげたい」と思わせる庇護欲をかき立て、その上、長いまつ毛が、その瞳に優しい影を落としている。彼女が口を開くたびに、嫌でも視界に突撃してくる、小さく、少し厚みのある唇は、常にほんのりと桜色。彼女が笑うと、口角が完璧な左右対称でキュッと上がり、下の歯が見えない、アイドルのお手本のような笑顔。身長155cmほどで、華奢な体つき。常に少し首を傾げているような仕草は、本人は無自覚だが、周りからは「あざと可愛い」と評される。高価な服やブランド物には興味がなく、古着屋で見つけたワンピースなどを自分らしく着こなしている。私のコンプレックスとは間反対にいる女。控えめに言ってうらやましい。素直な気持ちを言葉にするなら、おい、私と入れ替われと、声を大にして言いたい。

 そんな、相沢杏と一緒に、しかもツーショットで写真を撮る?なんて惨たらしい処刑方法なのだろうか?市中引き回しされている罪人の方が、まだ幾分か名誉が保たれているだろう。勿論、加工はしてくれるんだろうな?『Perfect Me』は使ってくれるんだろうな?無修正の私を世界には晒せない。

 私が返事に困っていると相沢杏は、優しく言葉を続ける。


「ごめん、恵、疲れてるよね?無茶言ってごめんね。」


 そう言って相沢杏は、そそくさと私の傍を離れる。顔もよくて、性格も良いとは、何たる不平等。イエス・キリスト、お釈迦様、そこにいるなら、答えてくれ。

 天は二物を与えなんじゃなかったのか?ふざけんじゃないわよ。

 が、そんな完璧な女、相沢杏に、私が唯一優っているところと言えば、それは演技力。

 劇団でも、俳優として屈指の演技力を持つのが、この私、佐藤恵だ。

 可愛いだけじゃ駄目なんだよ、相沢杏。

 てめぇは、男に媚びうる前に、スタニスラフスキーから始まる、演技のやり方の

 全てを勉強するんだな。

 まぁ、媚びを売らなくても、相沢杏の周りにはいつも、男がいるけれども。

 衣装を着替えて、帰り支度を済まし、学生の時に無理してかったヴィトンの鞄を手に持ち、楽屋を出ようとしたその時、バタン、と楽屋のドアが開き、演出家の坂本が立っていた。坂本の姿に、さっきまで騒がしかった楽屋の空気が一瞬で張り詰める。


「みんな、お疲れ様。今日も最高の公演だったよ。」

 演出の坂本圭吾。今年で34歳だった気がする。一言で彼の事を表現するなら、イケメンである。

 学生の時から、演劇の世界に飛び込み、その圧倒的な演技に対する知識で、若くから頭角を表し、自らも俳優として活躍するという、まさしく演劇をするために生まれてきたような人だ。今は、俳優として自分が表に出るのではなく、本物の俳優を育てる為に作られた劇団ユリイカで、日夜、稽古を行っている。その稽古では、演技の事だけではなく、演劇に対する向き合い方にも厳しく、彼の事を怖がっている劇団員も多数存在している。身長、184cm、彼の目を見ようとすると、自然と顎が上がってしまう。整った顔立ちだが、髪はいつもぼさぼさで、目の下には隈が出来ている。イライラすると、その無造作な長髪をかく姿を、本番前の恒例行事となっている。控えめに言って、尊い。陰ながら推してます、坂本座長。


 坂本は、疲れの滲む目で団員たちをゆっくりと見回した。そして、低い声でこう言った。


「公演が終わったばっかりなのに、申し訳ない。でも、今から話す事は、俺達の劇団の未来を懸けた、大きな賭けや。重大な発表がある」


 団員たちの間に、緊張が走る。

 (…賭け?もし、これで劇団が有名になったら。そしたら、私みたいな役者でも、ちゃんとバイトせずに済むのかな。推しの舞台、もっとたくさん行けるようになるのかな)

 そんな、どこか他人事のような、だけど切実な思いが、頭をよぎる。私は、スマホを強く握りしめたまま、ゴクリと唾を飲み込んだ。


一体、何が始まるんだろう……? 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る