EP 29

観測者の置き土産と新たなる戦争

魔導国ヴァラクの特務研究員リリスが仕掛けた周到な罠は、タロウの機転によって、最悪の結末だけは回避された。だが、フィーリアの里に刻み込まれた傷跡は、深かった。

帰還したタロウたちを迎えたのは、勝利の歓声ではなかった。サリーが魔族に捕らえられ、タロウが絶体絶命の選択を迫られたという事実は、瞬く間に里中に広まり、人々の心を恐怖と不安で凍りつかせたのだ。

自分たちの楽園が、決して安全ではないこと。帝国の軍勢とは全く異なる、音もなく忍び寄る「影」が、自分たちを狙っているという事実。その脅威は、物理的な城壁や兵士の数では防ぎきれない、新たな次元の戦いを予感させた。

その夜、タロウはサリーの部屋を訪れた。

サリーは、世界樹の杖を抱きしめ、窓の外の闇を、怯えた目で見つめていた。

「……怖かった。私の魔法が、何も通じなかった。ただ、タロウ様に迷惑をかけることしか……」

「サリーのせいじゃない」

タロウは、震える彼女の肩を、力強く、しかし優しく抱きしめた。

「俺が、俺たちが、もっと強くならなきゃいけないんだ。もう二度と、あんな思いはさせない。絶対に」

その言葉は、サリーを安心させると同時に、タロウ自身への誓いでもあった。

翌日、フィーリアの中枢メンバーによる、これまでで最も重い空気に包まれた会議が開かれた。

タロウたちが持ち帰った情報を元に、ユリリンが厳しい表情で分析結果を告げる。

「ヴァラク魔導国。彼らの目的は、領土でも富でもない。『研究』よ。タロウのスキル、サリーの杖、ライザの魔剣、ゴッドンさんの技術……この里にある全てが、彼らにとっては解剖すべき未知の生物に見えている。そして、奴らは目的のためなら、手段を選ばない」

それは、あまりにも厄介な敵だった。倒すべき王も、破壊すべき軍隊もいない。どこに潜んでいるかも分からない、知性と悪意の集合体。

「では、どうする? 闇雲に警戒を強めても、キリがないぞ」

ゴッドンが、苛立たしげに髭を捻る。

その時、タロウが口を開いた。

「守るだけじゃ、ダメだ。相手を知り、対策を立て、そして、こっちからも攻撃できるようにする」

タロウの目は、もう迷ってはいなかった。

「ユリリンさん、ザオ連合王国と共同で、対魔族専門の諜報部隊を組織してください。敵の情報を、一つでも多く集めるんです」

「いいわ。獣王も、不気味な隣人が動き出したと知れば、喜んで協力するでしょう」

「ゴッドンさん。敵は、サリーの魔法を封じました。魔法そのものを無効化するような、特殊な術だったようです。これに対抗できるような、何か……『魔力に干渉する道具』は作れませんか?」

その言葉に、ゴッドンの職人の目が、ギラリと光った。

「魔法を封じる術だと? 面白い! 魔法も、しょせんはこの世界の法則(ルール)の一つに過ぎん! 法則なら、それを捻じ曲げたり、遮断したりする『からくり』も作れるはずじゃ! タロウ!『電気』だか『磁力』だかいう、お前の世界の知識を、儂に全部教えろい!」

「サリー、ライザ、ヒブネさん。君たちは、対魔法、対召喚獣の戦闘訓練を。ジェットさん、バード族の空からの偵察範囲を、これまで以上に広げてください。どんな些細な異常も見逃さないように」

タロウは、次々と具体的な指示を出す。恐怖に沈んでいたフィーリアの指導者たちの目に、再び闘志の光が宿っていく。

敵が仕掛けてきたなら、その上を行くまで。

会議の終わり、タロウは、一通の親書を書き上げた。宛先は、ザオ連合王国の盟主、”獣王”ゴッドン。

そこには、今回の事件の詳細な報告と、対魔族における共同戦線の提案が記されていた。

ジェットの部隊で最も速く飛ぶ、一羽のハヤブサのバード族が、その親書を足に括り付け、王都タスクへと飛び立っていく。

タロウは、その姿を、決意を秘めた目で見送った。

ヴァラク魔導国は、フィーリアという楽園に、恐怖という毒を注入しようとした。

だが、彼らの最大の誤算は、その毒が、タロウたちの絆を、そして進化への渇望を、より一層強くしてしまったことだった。

帝国との「表の戦争」。そして、魔族との「裏の戦争」。

二つの大戦を同時に遂行するという、無謀な挑戦。

フィーリア国は、その小さな箱庭の中で、生き残るために、世界そのものを変えるほどの、急激な進化を始めようとしていた。

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