EP 14
帝国の使者と開戦前夜
タロウの決断は、フィーリアの里の覚悟となった。それは、単なる善意ではない。大陸最強の帝国を敵に回すという、重い選択だ。会議室の空気は、緊張と、不思議な高揚感に満ちていた。
「……面白いじゃない」
最初に沈黙を破ったのは、腕を組んで目を閉じていたユリリンだった。彼女は薄目を開け、タロウを見て妖艶に微笑んだ。
「帝国の貴族に媚びを売るだけの商売は、もう飽きていたところよ。いいわ、オーナー。このユリリン、あなたのその無謀な賭けに乗ってあげる。私の情報網と商才、今度は『戦争』のために使ってあげるわ」
彼女は即座に頭を切り替え、フィーリアという小国の「軍師」として動き出すことを決めた。
ライザも、愛剣の柄を握りしめ、覚悟を決めた顔で頷く。
「タロウ様の選んだ道が、私たちの進む道です。帝国兵団、恐るるに足らず。このフィーリア、私が必ず守り抜いてみせます」
こうして、方針は定まった。フィーリアは、獣人族の難民を正式に受け入れ、来るべき帝国の干渉に、武力をもって対抗する。
里の日常は、表面的には穏やかだった。サリーとヒブネが中心となり、傷ついた獣人たちを手厚く看護する。タロウがスキルで出した栄養満点の食事と、清潔な寝床、そして何よりエルフたちの温かい歓迎に、彼らの心と体は少しずつ癒されていった。獣人の子供たちが、おそるおそるエルフの子供たちの遊びの輪に加わる光景は、タロウたちが守ると決めたものの象徴だった。
だが、水面下では、来るべき日のために、全員が動き出していた。
ユリリンは、彼女が持つ秘密の交易ルートを使い、帝国の内部情勢や、国境付近に駐留する軍団の情報を収集し始める。
ライザとゴッドンは、防衛設備の最終チェックと、エルフ警備隊との連携訓練を、これまで以上に厳しく行っていた。
そして、運命の日は、唐突にやってきた。
ゴォン、ゴォン、ゴォン……。
今度は、黄色ではない。来訪者が、正式な使者であることを示す、青銅の鐘の音だった。
監視所の水晶板には、ソルテラ帝国の紋章を掲げた、豪奢な一団が映し出されていた。先頭に立つのは、金細工の施された純白の軍服をまとった、一人の貴族風の男。その後ろには、鏡面のように磨き上げられた鎧をまとう、皇帝直属の近衛兵たちが控えている。
「帝国の使者です! 我らの防衛網を一切無視し、滝の入り口まで直接……!」
タロウは、バウサ、ライザ、ユリリンを伴い、ゴッドンが作り上げた巨大な防護ゲートの前で、その使者と対峙した。
「私が、皇帝陛下の勅命を帯びて参った、ヴァレリウス伯爵だ」
男は、タロウたちを見下すような、傲慢な態度で名乗った。
「貴殿らが、この未登録集落の指導者か。話は早い。先日、我が国の正当な軍事行動から逃亡した獣人族の『犯罪者』を、貴殿らが匿っているという報告を受けた」
ヴァレリウス伯爵は、扇子で口元を隠し、嘲るように続けた。
「皇帝陛下は、慈悲深い。この度の無礼、一度だけは見逃してくださるそうだ。即刻、犯罪者どもを引き渡せ。さすれば、この森が火の海になることはあるまい」
それは、交渉ではない。最後通牒だった。
タロウは、静かに一歩前に出た。
「ヴァレリウス伯爵。我々が保護しているのは、犯罪者ではありません。家を焼かれ、助けを求めてきた、か弱き人々です」
「か弱き人々、だと? 獣は獣だ。それに、帝国の決定に口を挟むこと自体が、反逆であると知らぬか?」
「我々は、帝国の民ではありません。我々の里の法に従い、難民を保護します。それが、我々の答えです」
タロウの、揺るぎない返答。
ヴァレリウス伯爵の顔から、笑みが消えた。扇子が、ピシャリと閉じられる。
「……そうか。愚かな蛮族には、言葉は通じぬようだな。良かろう。その答え、確かに皇帝陛下にお伝えしよう。次に我が帝国の旗がここに来る時が、貴様らの最期だと思え」
吐き捨てるように言うと、伯爵は踵を返し、一団は去っていった。
交渉は、決裂した。
使者が去った後、フィーリアの里には、決戦前の静けさが訪れた。
もはや、議論の必要はない。やるべきことは、一つだけ。
「ユリリン、敵の兵力、兵站、指揮官の性格、分かることは全て洗い出してくれ」
「ええ、任せて。骨までしゃぶり尽くすわよ」
「ゴッドン、防衛設備の最終調整を頼む。想定される敵の兵器に合わせて、改良を」
「ふん、腕が鳴るわい!」
「サリー、ヒブネ。回復魔法の準備と、魔法障壁の展開準備を」
「はい!」「お任せください!」
「ライザ。全軍の指揮を」
「御意に」
タロウは、次々と指示を出す。そして彼自身は、スキルを発動させた。
彼の前には、山のような量の矢、鉄製のバリケード、攻城兵器の設計図、兵士たちの栄養を考えたレーション、最新の医療品が、次から次へと出現していく。
その夜、タロウは完成したばかりの、里で最も高い監視塔の頂上に、ライザと共に立っていた。
南の空が、帝国の都市の灯りで、不気味に赤く染まって見える。
「……来るわね、タロウ様」
ライザが、静かに呟いた。
「ああ、来るだろうな」
タロウは、その赤い空を真っ直ぐに見据えた。
「でも、大丈夫だ。今の僕たちなら、きっと勝てる」
その声には、不思議なほどの確信が満ちていた。
王でも英雄でもなかった、ただの日本の大学生。彼が、その仲間たちと共に作り上げた、優しくて、温かくて、そしてとてつもなく強い要塞『フィーリア』。
その真価が、今まさに、問われようとしていた。
サバラー大陸の歴史を揺るがす、攻防戦の幕が、静かに上がった。
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