EP 7
里に香る故郷の味
フィーリアの里で迎える、初めての朝。
大樹の住居の窓から差し込む木漏れ日が、タロウの顔を優しく照らした。鳥のさえずりと、葉擦れの音しか聞こえない、完璧なまでの静寂。王として過ごした喧騒の日々が、まるで遠い昔の夢のようだ。
「ふぁ……よく寝たな」
大きく伸びをしたタロウは、キッチンに立ち、にっこりと笑った。
「よし、こんなに清々しい朝は、やっぱりアレだな。朝食は和食にするか」
彼はすっかり手慣れた様子で、自身のユニークスキル【100円ショップ】を発動させる。
目の前の調理台に、つやつやと輝く日本の米、信州産の味噌、塩を振られた立派なアジの干物、そして瑞々しいレタスやトマトが次々と現れる。
サリーとライザがまだ寝息を立てている間に、タロウは手際よく調理を始めた。米を研ぎ、土鍋で炊き上げる。味噌汁のために、昆布と鰹節で出汁をとる。その間に、魚を網に乗せて香ばしく焼き上げる。
やがて、調理場から何とも言えない芳しい香りが漂い始めた。出汁と味噌が織りなす、日本人の魂に刻まれた、あの香りだ。
「ん……タロウ様? なんだか、とってもいい匂いがします……」
寝ぼけ眼のサリーが、くんくんと鼻を鳴らしながら起きてきた。
その香りに誘われたのは、パーティーの仲間だけではなかった。
「――失礼します。これは……今まで嗅いだことのない、とても良い香りですね」
ひょっこりと入り口から顔を覗かせたのは、朝の挨拶に来たヒブネだった。彼女の鋭いエルフの鼻は、この未知なる美味の香りを敏感に察知したらしい。
「やぁ、ヒブネ。おはよう。ちょうど朝食ができたところなんだ。君も食べるかい?」
「よろしいのですか?」
「もちろん! 人数分あるからさ」
テーブルには、炊き立ての白いご飯、こんがりと焼かれたアジの干物、豆腐とワカメの入った湯気の立つ味噌汁、そして新鮮なサラダが並ぶ。完璧な日本の朝食だ。
四人で食卓を囲み、「いただきます」と手を合わせる。
ヒブネは、見様見真似で箸を手に取り、恐る恐る味噌汁を一口すすった。
「――!?」
彼女の翡翠の瞳が、驚きに見開かれる。
「美味しい……! なんという、深く、滋味豊かな味わいなのでしょう……! この『ミソ』というのは、一体何から作られているのですか? そして、この『コメ』という穀物も、ふっくらとしていて甘みがあり、素晴らしいです!」
初めて体験する「うま味」の文化に、ヒブネは完全に魅了されていた。
ライザも満足げに頷く。
「ええ。タロウ様の故郷の料理は、いつ食べても心に染みますね」
そうこうしている内に、事件は起きた。
風に乗って運ばれた味噌汁の香りが、鋭敏な感覚を持つエルフたちの鼻を次々と刺激したのだ。
一人、また一人と、タロウたちの住居の周りにエルフたちが集まってくる。彼らは木陰から、興味津々な様子でこちらを窺っていた。
「なんだろう、あの匂いは……」
「ヒブネ様が、とても幸せそうな顔で何かを食べているぞ」
一人の子供が、たまらずに駆け寄ってきた。
「ねぇ、それ、なあに? すっごくいい匂いがする!」
タロウは笑って、その子に味噌汁をお椀によそってあげた。
「これは味噌汁っていうんだ。良かったら、食べてみるかい?」
子供がこくこくと飲むと、その顔がぱあっと輝いた。
「おいしい!」
その一言が、呼び水となった。
「長老、私も……」
「ぜひ、一口……」
集まっていたエルフたちが、我も我もと集まってくる。
タロウは苦笑しながらも、スキルで大きな鍋と大量の材料を取り出し、次々と味噌汁を振る舞った。
普段は小食で、静かな食生活を送るエルフたちが、その日ばかりは夢中になってお椀を空にし、次々とおかわりを求めた。長老のバウサまでもが、「うむ……魂が震える味だ」と深く頷きながら、三杯もお代わりをする始末だった。
その日を境に、フィーリアの里の食文化は、劇的な変化を遂げることになる。
タロウの元には、味噌と米の作り方を教えてほしいというエルフが殺到した。
こうして、タロウが何気なく作った一杯の味噌汁によって、神秘の森の奥深く、エルフの隠れ里に、空前の「和食ブーム」が到来したのだった。
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