『『ドワーフの初恋』』

志乃原七海

第1話「そうなんだよ、バルド。……俺、恋をしちまった」



小説『ドワーフの初恋』

第一話:朴念仁、伝説の鉱石と恋に落ちる


「だから言ってるだろ、バルド。俺は“虹の涙”を探しに行く」


地底都市の酒場『黒鉄のジョッキ』亭。ガルドはエールを一息に呷り、空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。相棒のバルドは、呆れ顔で猪肉のソーセージを頬張る。


「“虹の涙”だぁ?そんなもん、寝物語に出てくるおとぎ話だろ。第一、その伝説の鉱石があるってのが、よりにもよって“嘆きの洞窟”じゃねえか。入った者は二度と戻らねえって、石像にされちまうって噂の」

「だから良いんだろうが。誰も行かねえからこそ、手つかずの鉱脈が眠ってるに違いねえ」


ガルドの瞳は、どんな美女を見るよりも熱く、まだ見ぬ鉱石を夢見て輝いていた。彼はドワーフの中でも筋金入りの「石好き」で、女や酒よりも、地層の断面図や鉱石の標本を眺めている方が幸せという変わり者だった。他のドワーフが嫁さんの話で盛り上がる中、一人「あの黒曜石の艶は…」などと呟いては、朴念仁(ぼくねんじん)と囁かれる男だ。


「お前も少しはドリスんとこの娘みたいないい女に目を向けろよ。お前のそのツルハシを振るう腕っぷしがあれば、一発だぜ」

「ドリスんとこの娘の顎ヒゲより、磨き上げた玄武岩の肌触りの方がよっぽどそそられるね」

「……もう知らねえ。せいぜい石像コレクションの一つになってこい」


バルドの忠告を背に、ガルドは愛用のツルハシを担ぎ、一人「嘆きの洞窟」へと向かった。


洞窟の入り口には、恐怖に歪んだ顔のまま固まった冒険者たちの石像が、無言の警告を発していた。だが、ガルドの目は違うものを見ていた。


「ほう…この戦士の鎧、大理石化してやがる。この滑らかな質感、見事な石材だ。こっちの魔法使いは花崗岩か…なるほど、魔力保有量で石の種類が変わるのか?」


完全にフィールドワークの気分である。彼は石像たちに敬意を込めて一礼すると、躊躇なく洞窟の奥へと進んだ。


洞窟の最深部は、広大な空洞になっていた。天井からは、月長石の結晶が淡い光を放ち、幻想的な光景を作り出している。そして、その中央。苔むした祭壇の上に、それはあった。


「……なんだ、ありゃ」


ガルドが見たのは、鉱石ではなかった。

祭壇の上に、ぽつんと置かれた一つの「首」。

肌は抜けるように白く、固く閉ざされた唇は血の色を失っている。そして、その頭から生えているのは、髪ではなく、虹色の鱗を持つ無数の小さな蛇たちだった。蛇たちは眠っているのか、ぴくりとも動かない。祭壇の根元には、柄が朽ち果て、刀身だけが鈍く光る聖剣らしきものが転がっていた。


「……生きてる、のか?」


ガルドが恐る恐る近づいた、その時だった。


カッ!


閉ざされていた瞼が開き、磨き上げた黒曜石のような瞳が、ガルドを射抜いた。

眠っていた蛇たちが一斉に鎌首をもたげ、シューッという威嚇の音を立てる。


『…何者だ、我が安息を妨げる愚か者は』


声が、脳内に直接響いた。同時に、瞳から放たれた不可視の力が、ガルドの全身を包み込む。


(これが…噂の石化の呪いか!)


ガルドは身構えた。だが、予想していた衝撃は来ない。代わりに、全身がじんわりと温かくなり、ツルハシを振るい続けた体中の凝りが、ポキポキと音を立ててほぐれていくような、奇妙な心地よさが広がっていく。


(な…なんだこりゃ…?まるで、親方が秘蔵してる薬湯の温泉に浸かってるみてえだ……)


全身の血行が良くなり、肌がツヤツヤしてくる感覚。ガルドは、あまりの気持ちよさに、うっとりとため息をついた。


「はぁ〜……極楽だ……」


『な……なぜだ…?なぜ、石にならぬ…?』


脳内に響く声が、明らかに混乱している。ガルドはその声で我に返った。そして、改めて祭壇の上の「首」を見た。


驚きと困惑に見開かれた、黒曜石の瞳。恐怖に震える、虹色の鱗を持つ蛇の髪。長い孤独を物語る、儚げな美しさ。


ガルドは、今まで感じたことのない衝撃に、胸を鷲掴みにされた。

それは、最高級のオリハルコンの原石を見つけた時の興奮とも、地底深くに眠る巨大なダイヤモンド鉱脈を発見した時の感動とも違う。もっと、どうしようもなく、心を揺さぶる何か。


彼は、ツルハシをそっと地面に置くと、朴念仁と呼ばれた男が生まれて初めて見せるような、はにかんだ笑顔で言った。


「いやー、まいった。すんげーかわいいんだよ」

『……は?』

「一目惚れなんだな、これが!あんた、メデューサの姉さんだろ!?」


ガルドの言葉に、メデューサは、そして彼女の髪の蛇たちは、完全に思考を停止した。


ドワーフの朴念仁が、伝説の鉱石の代わりに、生まれて初めての恋を見つけた瞬間だった。その恋が、大陸中の常識をひっくり返すことになるなど、今はまだ誰も知らない。

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