寿限無、宇宙にて

大根初華

寿限無、宇宙にて

 凄まじい異音がして、背筋に冷や汗が走る。

 この型落ちの船、とうとう寿命か。宇宙に放り出される未来がよぎった。


「シグナ、至急異常箇所を見つけてくれ」

 

宇宙船に搭載している女性型人工知能――シグナが、吐息混じりに応える。


「……センサーには異常が見つかりません。宇宙船には問題ありません。煙草が足りません」


 

 またか、とオレは額を押さえた。

 格安で買った古い人工知能――それがシグナだ。

 どういうわけか煙草を吸いたがる。もちろん吸えるはずがないのに、だ。

『煙草は人類が生み出した叡智だよ』なんて、どこで仕入れたのか分からないセリフまで吐く。

 今じゃ煙草は違法で、手に入れるには危険も伴う。お世話にはなっているがそんなこと、してやる義理はない。


 その直後、ザザザザとノイズが宇宙船内に響く。

 ノイズの中に人の声とおぼしき音が混ざる。

 徐々にノイズが消えていく。

ふっ、というシグナの声が聞こえた。

おそらく彼女の機転でノイズキャンセリングをして抑えたのだろう。


不要な雑音だけを取り除いたため、声が鮮明になっていく。


『じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいじゃりすいぎょのすいぎょ』


 声質的には低い男の声。

 大人のような声質。だが、子供のようにも感じた。

 それは終わることがなくしばらく続く。

 一人の男が子供の声、老人の声など色々な声に変化して続いていく。


「……奇妙ですね。終わる気配が感じられません」

「これは催眠暗示か、あるいは通信ジャミングではないでしょうか」


 人工知能と言えどもこれに関しては聞いたことがなかったらしい。淡々とシグナは言うものの少し怪訝そうにしていた。


「これは……落語、じゃないのか……?」


 今は誰も住めぬ青い星――地球。

 その日本という島国で、語り継がれていたという話芸。

 かつて祖母がオレに教えてくれたことがあった。

 祖母は地球オタクと言ってもよく、色々なことを教えてくれた。

 その中で特に印象に残っているのが落語だった。

 色んな話があること、そして、それぞれに意味があること。

 今回聞いた事ある落語の意味はなんだったか……。


「シグナ、この声の発信元を調べてくれ」


 気になった。

 祖母の影響というのも少しはあったかもしれない。


「……これは『地球』から発信されています」


「地球、か……」


 学校で習った地球は、戦争と環境崩壊で立ち入り禁止。無人のはずだ。

 それなのに、声が届いている。

 何かしらの意味があるのかもしれない。


「シグナ、地球への航路をとってくれ」


「……星間移行規定違反です」


「わかってる。それでも行かなきゃいけないんだ」


「理由を」


「……理由はない。ただ、祖母が笑いながら語った落語のことを知りたい。そこに居なければ、絶対に後悔する。そう思ったんだ」


「……あなたは言ったら聞かない人間だと私は知っています」

「……戻れる保証も無いことを憶えておいてください」


「保証なんて、最初からこの宇宙にないだろ」


 そう言いながら、オレはコクピットの計器に目を落とした。

 緑色の航路データが警告色に染まっていく。


 胸の奥で何かが跳ねた。恐怖か興奮か、自分でも分からない。

 シグナは小さくため息をつくと、わざとらしく言った。


「では、航路設定を開始します……あなたが灰になるまでの時間を計算しながら」


「そういうブラックジョークは好きじゃない」


「では煙草の話でもしますか?」


 オレは思わず吹き出した。

 笑ったら、少しだけ恐怖が遠のいた。


※※※


 祖母からは青い惑星、とても綺麗な星、と聞いていた。だから、少し期待はしていた。

 環境の崩壊しているのだから、半ば諦めながらも、祖母の言葉を――きれいな星だという言葉を信じていた。

 ただ、実際に降り立った瞬間、胸の奥で期待が粉々に砕ける音がした。


 剥き出しの鉄骨は赤茶に腐り、触れれば皮膚を裂きそうだ。

 雨は鉄を溶かし、靴底から冷たさが這い上がる。

 風は焦げた油と血の匂いを運び、街全体を沈黙させていた。

 風が止むと、世界が一層灰色に沈んだ。その静けさが、爆音よりも恐ろしかった。


 一言で言うなれば灰色が支配している。

 灰色というものが、こんなにも酷い色だったとは。


「……発信元はもっと向こうです」


 呆気にとられていると、耳につけたイヤホンからシグナが語りかけてくれる。彼女なりに気を使っているのかもしれない。


「了解」


 顔を覆うマスクの位置を整え、発信元を探すべくガラクタの上に足を踏み出した。


 半壊したビルの壁には銃痕が残り、崩れた看板の文字は「安…」と「希…」だけをかろうじて読ませる。「安心」や「希望」と読ませるものかも知れない。


 遠くで壊れたスピーカーが、避難指示らしき言葉をノイズ混じりに繰り返していた。


 発信元は辛うじて屋根が残されていた廃屋だった。


 屋根と言っても穴だらけの板が張っているだけの簡易なもの。

 そこには稼働音が微かにしか聞こえない送信機と思しきもの、紫の座布団らしきものは中身が出てすでにボロボロで、朽ちかけた扇子、泥だらけのカメラが残されていた。


 カメラと送信機が繋がり、本来ならばカメラが映像と音を映し出し、それを送信機が電波に乗って送信する、という役割だろう。

 だが、映像を映す機能は死んでいて、音だけが繰り返し流れていた。


※※※


あーあー。

……えー、どこから話しゃいいんですかね。

あ、これ? 映ってんの?


どうもどうも、わたくしね、“落語家”と申しましても……まぁ看板なんざ無い、客もいない、師匠もいない。

師匠代わりはねぇ、ひび割れたスマホに残ってた動画、これ一本。情けないもんでしてね。


……外? 外はねぇ、草だけは青々と元気にしてますよ。人間は誰もいないのに、草だけは堂々と立ってましてねぇ。

空はずーっと鈍色で、太陽なんてのは噂でしか聞いたことがない。あったとしても雲の向こうで、こっちにゃ顔を見せちゃくれない。

いやぁ、私ぁ詩人じゃないんですがね、そういう気分になっちまう。


……え? なんでやってるかって? そりゃあねぇ……昔は笑ってくれる奴がいたんですよ。


妹でしてねぇ。

名前? ……いや、それはちょっと。

言うと声が震えちまう。あいつが『寿限無』を聞いたときゃ、腹抱えて笑ってました。

息も絶え絶えで、「もうやめて」なんて言いながら、まだ笑う。

その笑い声が、まだ耳ん中で響いてるんです。


だから、誰かに聞いてほしい。

たった一人でもいい。

笑ってくれりゃ、それで十分。


昔ね、「声だけは腐らない」って誰かが言ってたんですよ。泣き声も、笑い声も、録っておけば、いつかどこかの誰かに届く。

だから、私は『寿限無』を残す。名前を呼ぶだけで笑える。色を失った星でも笑えるんでね。


さてさて、皆々様お立会い。

これから申し上げますのは『寿限無』という噺。

子どもに長生きしてほしい親が、欲張って名前を長〜く長〜くしちゃった、という……まぁ馬鹿馬鹿しいんですが、おめでたい話でございます。


それでは一席、お付き合いのほどを――。


『寿限無』――


※※※


 宇宙船に戻って音声を全て聞いた。

 一言では言えないいろんな思いがそこには、詰め込まれていた。


「終わらせたくなったかもな……。彼は」


 独り言のようなその言葉に、シグナは控えめに言う。


「……『寿限無』。おめでたいことが無限に続きますように……そんな意味があるそうですよ」


 シグナの声が途切れた瞬間、祖母の声が重なった気がした。

 ――『笑う時間が、いちばん長生きするんだよ』

 気づけば、オレは頷いていた。


 そして、回収したビデオと送信機を直すことにした。

 それを宇宙へ。

 直すことは不器用なオレにとってかなり時間がかかることになるだろう。

 それでも、彼の声を聞いたからには、その義務があると思ったのだ。


「……私も、あの声を忘れたくありません。あなたがそうするように、私も限界まで声を残します。百年でも二百年でも、それこそ無限に宇宙に響き渡るようにしますよ」


 シグナのその声はいつもと違って暖かみがある気がした。


 必死の覚悟で直した送信機とカメラを宇宙に向けて発信した。


 宇宙船で漂うだけのオレにも『寿限無』が流行しているという情報が入り、嬉しくなった。


 これでシグナのような人工知能にもインプットされ、語り継がれることが出来る。

 それこそ、無限に――。


「無限も案外悪くないな」


「そうですね。煙のように形を変えて漂う、それが無限ということなのかもしれないですね」


 宇宙船の通信機が、誰かからの短い返信を受信した。


『じゅげむ』


 それだけの言葉が、銀河の彼方から届いた。


 思わず笑みがこぼれた。

 今日も確かに寿限無が宇宙に響く。

 そして、また誰かの元へ届くのだ。

 

終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

寿限無、宇宙にて 大根初華 @hatuka_one

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ