余命少女と止まったスコアボード
放課後、すっかり集合場所として定着した例の移動教室に行くと、既に到着していた彼女は、読みかけの本を教卓に置き意外そうに時計を見ていた。
「あら先輩、今日は速いですね」
「もしかして昨日のことを根に持っているのかな。
昨日は身代金の取引をする気持ちでここに来たんだ。覚悟を決めるのに時間が掛かるのは仕方ないことだろ」
彼女はクスっと静かに笑った。
冗談が通用するタイプのようだ。
彼女の常人離れした感性にコミュニケーションが取れるか不安だったが、どうやら心配なさそうだ。
このまま誰も来ない教室で余命僅かな少女と他愛のない話をするのも中々良いネタになりそうだと思いつつも、彼女の病気について話を聞いておきたい気持ちもあった。
「これからどうしようか。僕は君の話を聞きたいわけだけど」
濁した言い方をする。
人通りが少ないとはいえ、全くないわけではない。
噂話ならともかく、人生に関わる重大な話をするのにはこの教室は向かないだろう。
特に彼女は病気のことを隠している節がある。
僕としてもこんな冒涜的な行為を大々的に公表して邪魔されるのは避けたかった。
「わかりました。詳しい話は行きつけの喫茶店でしましょうか。
内緒話をするにはうってつけのお店です」
「行きつけの喫茶店か。いいね、響きがいい」
響きだけで無性にワクワクしてしまうのはマンガや小説の影響だろう。
名探偵が事件を推理したり、悪の組織が作戦を考えたり。
あとは小説家が編集者と打ち合わせをしたり。
僕にとって喫茶店はそういう場所だった。
彼女の提案に、僕は賛同した。
同時に疑問もあった。
「どうせ喫茶店に行くなら、この教室に集まる必要もなかったよね」
どうせ校外に出るなら、校門に待ち合わせでよかったはずだ。
嫌味ではなく、純粋な疑問として。
決してここまで歩かされたことを恨んでいるとか、校門集合なら二度手間にならなかったと不満に思っているわけではない。―――そう決して。
「そうですね。ここで先輩に言っておかないといけないことがあったので」
彼女の言葉の意味が理解できなかった。
病気のことなら喫茶店で済むし、学校でわざわざ言わないといけないことは思い至らない。
僕の疑問をよそに、彼女は中々切り出さない。
こちらの反応を待っている風でもない。
緊張している様子だった―――どうしたものかと考え、いつ切り出そうか考えて。
その様子に何となく違和感を持った。
だって彼女は自分の病気を明かす時ですら―――僕が違和感を口にする前に、意を決した彼女は口を開いた。
「先輩、好きです。付き合ってください」
瞬間、廊下から聞こえていた喧騒が僕の意識から消え去った。
この世界に僕と彼女しか存在していないのではないかと錯覚するほどに。
彼女は今にも泣きそうな顔で返事を待っている、漠然とそう考えた。
だが僕は彼女の期待に答える言葉を―――なんてそれっぽい青春の描写をしたものの、僕の心情とはまるで違っていた。
「…はぁ」
呆れを含んだ溜め息を吐いた。突然何を言い出すのかと思いつつ。
異性に告白されること、そのこと自体はとても嬉しいし。
本来なら泣いて喜ぶか、罰ゲームを疑い周囲を気にするところだろう。
だが“彼女”だけはありえない。
「意味がわからない」
続けざまにそう付け加えた。
何度も言うが彼女だけはありえない。
僕は彼女の死ぬ小説を書く人間であり、彼女の死を望む人間だ。
僕らの関係に恋愛感情が挟まる余地などない。あってはならない。
僕は彼女を愛さない。
この小説を書き続けている限り、そして小説家を目指している限りは絶対にだ。
その考えは彼女も同じものだと思っていた。
だからこそ今朝僕らは信じてもいない神様に誓いの言葉を述べたのだから。
そんな僕の気持ちを知らずにか、彼女はムスッとした表情を見せた。
「なんですか反応は。私だって流石に傷つきますよ」
「いや初めて告白されたからね、驚いただけだよ。
病気がもう脳まで進行したのかと思ったぐらいで」
「その反応が傷つくんですよ」
っと、ため息を吐かれるものの互いにこの状況を楽しんでいた。
どうやら彼女の告白は本気というわけではないらしい。
「それでまさか、本気で僕のことを好きになったとか言わないよね」
「まさか。絶対にありえないです」
「マジなコメントは辞めようね、傷つくから」
「先輩も同じこと言ったんですけどね」
「……すみませんでした」
告白されたのに逆に傷つくというよくわからない結果になってしまった。
今後もし告白された時、この時のことがトラウマにならなければいいが……。
コホンっと、意識を逸らす為にもわざとらしく咳払いをする。
「それで僕のことが好きではない君は、どうして告白なんてしたのでしょうか?」
「うわぁ、嫌味ったらしいですね。
駄目ですよ?根に持つ男性はモテないです」
「容赦なく僕の心を抉るよね!?」
「ほら私たちって、一緒に行動することが多くなるじゃないですか?」
「あー、なるほどね」
だいたい言いたいことは理解できた。
病気であることを隠している彼女。そんな彼女の小説を書いている僕。
一緒に行動している表向きの理由が必要と考えたのだろう。
「つまり付き合っているフリをしないか、ということだよね」
「おー、理解が早くて助かります。さすが小説家さんですね」
「いやいや、これぐらいは」
「……ちょろいっすね」
褒められて悪い気はしない。むしろだいぶ鼻が高くなっていた。
褒められ慣れていないというのもあるが、小説家としての才能を褒められたみたいで、なおのこと。
「ただそれだけが理由ってわけじゃないんだろ?」
付き合うフリをするだけなら、何も告白をする必要はないはずだ。
口頭でそのことを伝えてくれれば終わり、納得した。
それに彼女は告白することに慣れている風でもなかった。
理由がなければ、わざわざしないだろう。
僕の質問に彼女はツカツカと教室内を歩きながら答えた。
それは名探偵が事件の真相を解決する風に絶妙に恰好をつけて。
「一つ目の理由は実際にやった方が手っ取り早いと思ったからです。
わざわざ口裏を合わせるのは大変ですし」
人間は嘘を吐くときリアリティを出そうとするものらしい。
例えば寝坊した言い訳を考える時。
普段なら気にするはずのない、すれ違った大学生の会話や横切った車の車種を考え、逆にうさん臭くなってしまう。
だが実際にやっておくと記憶を思い出すだけで済むので辻褄が合いやすい。
今回の場合、彼女からこの教室で告白されたことを思い出すだけでいい。
演技だった、という部分を忘れれば完璧な告白なのだから。
「それで一つ目ってことは他にもあるの?」
この時点で僕はかなり満たされていた。自分には考えつかなかった理由に。
僕だけで小説を書いていたならこうはならなかった。
生まれて初めて登場人物が生きた人物を描写出来ている、そんな感触に。
端的に言うと僕はワクワクしていた。
だから彼女の次の言葉が、ある意味で僕の期待を越えたことに―――
「二つ目は、単純にやってみたかったからです。
どうせもう生きているうちには出来ないでしょうから」
彼女の言葉を聞いた時、僕はどう反応したのだろうか。
狼狽えたのか、無反応だったのか。それとも反射的に何か言ったのか。
思考が一瞬止まっていたことだけを覚えている。
僕は彼女がそう長くないうちに死ぬということを忘れていた。
いや表面的は知っていた。どんな風に死ぬのかも調べて何となく理解していた。
必ず死ぬと知っているからこうして小説を書くための話し合いもしている。
だから忘れていたという言葉は適切でないのかもしれない。
ただ初めて“死”とはどういうことか考えた。
それは続きがないということだ。
彼女にとって人生は既に消化試合なのだ。
『悔しさを糧に次こそ優勝を目指す』ものではなく、『思い出に土を持って帰る』ものなのだろう。
外から響く野球部の掛け声を聞きながら、僕はそんな光景を思い描いた。
彼女の試合は、もうスコアボードが動かないまま終盤を迎えているのだろう。
そしてその試合に僕は観客としてではなく、記録係として立ち会っている。
……それっぽいことを書いたものの、大した意味などない。
ただ僕はこう思った、という感想に過ぎない。
だが敢えて意味を持たせるとすれば、僕はこの時初めて命に対して自分なりの価値観を持ち始めたということだろう。
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