チューズ・デイ
筆名
プロローグ
エバーラスティング
自習を終えた僕が図書室の戸締りをする頃には、もうクラブ活動をしていた連中もグラウンドの整備を終えていて、学内は疲れた開放感に包まれていた。今日は駅前のミスドに行くらしい野球部と卓球部の更衣室を通り過ぎ、オーラスに差し掛かった鉄道研究会の立直棒を置く音をBGMに職員室に向かう。
ここ、大阪府立霞ヶ丘高等学校では、休み時間と放課後の図書室が自習室として解放されている。成績トップのタイトル防衛を目指す僕にとっては、閑静で手狭な冷暖房完備の自習室は願ってもない一等地で、入学から二ヶ月の今には常連客になっていた。
「おお、割鞘。部活か?」
静まり返った職員室の鍵掛けに鍵を吊るしていると、職員室の一角にある机から担任の松谷先生が声をかけてきた。ついさっきまで苦手な事務仕事をしていたのか、保健体育が担当教科とは思えない生気のない顔をしている。机の上にはカントリーマアムの赤い小袋の残骸が無造作にあったが、見たところバニラはすべて未開封のままだった。
「いえ。図書室で自習をしていたら、司書さんに戸締りをお願いされまして」
とはいえ触れると面倒なので、当たり障りのない言葉を返しておくにとどめる。
「司書さん? ……ああ、図書室の館林先生か。しっかし中間試験も終わったばっかりだろうに、自習ねえ? そしたら部活とかどうすんだ? 入んないのか?」
「ええっと、まあ。高一の間は勉強だけでいいかなと」
先生自身のフレンドリーさも相まってか、彼の話す関西弁はどことなく暴力団を思わせる。怖がる生徒がいるのも、この口調なら仕方あるまい。
そんな思考を巡らす僕をよそに、先生は「まあココもそこそこの進学校やからなぁ。部活入らんって子も少なくないけどなぁ」とぼやいていた。
「まあよし。悪かったな、引き止めて。ほれ、これやるから。買い食いせんと帰るんやぞ」
そう言って松谷先生は机の上の白い個包装を3つほど渡してきた。僕は言われるがまま、半ば反射的にそれらを受け取る。
「ありがとうございます」
「ほいじゃ、また明日」
「失礼しました。さようなら」
職員室を出て下駄箱に向かう道すがら、先生から投げ渡されたお菓子を一つ取り出す。賞味期限は印字されていないから分からないけれど、大丈夫だと信じることにした。
ただ、ここでいくつかの誤算。
一つ目は、ギザギザになっている袋の端を開けようとして失敗したこと。
二つ目は、袋を開ける力が強すぎたこと。
「割鞘翔悟くん!」
そして三つ目は、いきなり背後から大声で自分の名前を呼びかけられたこと。
結果として強い力がかけられた袋は破れてしまい、中に入っていたカントリーマアムが軽く宙を舞う。そしてそのまま「自分の名前を呼ばれる」という刺激の条件反射によって僕の身体が硬直している間に、緩やかな放物線を描いたそれは重力に導かれるままリノリウムの床に落下した。
「何ですか?」
声の主を睨みつけたい衝動に駆られたけれど、ひとまずは平静を装って好意的な声音を作る。もしかしたら善意からの行動かもしれない。行動が狙った結果だけを産むことがまずありえないのは、僕が痛いほど知っている。敬語なのは声を発したのが見知らぬ先輩かもしれないからだ。
しかし、結論から言えば僕の予想は大いに外れた。ピッチャーがバッターボックスではなく二塁目掛けてボールを投げるような外れっぷり。なにせ僕に声をかけたのは、僕のクラスメイトだったからだ。名前と顔くらいしか知らないが。
「次の期末試験こそ、私はあなたに絶っ対、負けないから!」
何とも言えない残念さに囚われる僕の心境を知ってか知らずか、威勢のいい芯のある口調 で彼女が言い放ったそれは僕に対する宣戦布告だった。
「はい?」
2025年5月23日の金曜日、午後5時8分58秒。これが、僕と福住唯の最初の会話だ。
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