第3話

 時刻は14時と少し。

 昼休みにお腹に詰め込んだご飯たちが眠気の猛威を振るっている。


「失礼しま〜す!」


 ドアを開けて入ってきたのは俺の元同僚、鳴宮だ。

 企画課の人間が経理課に来るのは珍しくない。経費申請や請求書、領収書の手続き、予算の相談など、一日に2〜3回来ることもある。


「藍野くん、これお願いね」


 机にぱさっと書類が置かれる。

 いやいや部屋入ったところに受付ボックス置いてるんだからそこに入れろよ。


「入口に」


「あるのはわかってるけど、急ぎでお願いしたいの」


 先ほどの書類に小さなチョコが添えられる。

 賄賂か。しかもしょぼい……せめてカントリーなマウムくらいは欲しいところ。


 とまぁ経理課に顔見知りがいる人間は、こうやって手続きの順番をすっ飛ばすこともできる。多用は厳禁だが。


 何はともあれ急ぎの案件かどうかを確認してからだ。

 置かれた紙を見ると請求書…………おい今日出すやつじゃねぇか。


「鳴宮」


「なぁに?」


 微笑みと甘い声。この雰囲気に何人の男が騙されてきたんだろうか。

 だがしかし、こればかりは気持ちを強く持たねばならない。


「出すのギリギリすぎ、経理の社内掲示板にも書いてるけど一週間前にはだな……」


 隣から先輩の横槍が入る。


「お、じゃあ俺が鳴宮さんの分処理しようか?藍野今立て込んでるだろうし」


 正直ありがたい。

 先輩の処理待ちのボックスに請求書を突っ込もうとしたところで、腕をむぎゅっと掴まれる。


 鼻を通り抜ける爽やかな香り。


「あ い の く ん ?ねぇ、それともだんなさ……」


 鳴宮は不穏な言葉を口にする。おい、卑怯だろ。

 企画課で言いふらすのは勘弁して欲しいが、かといって経理で言っていいわけじゃないからな。


「喜んでやらせていただきます!」


 しぶしぶ手元に紙を引き戻して処理を始める。


「終わったらスキャンしてデータ送ればいいか?」


「んーん、先方が手渡し希望らしいから取りに来るわ、また後でね〜!」


 それだけ言い残して彼女は颯爽と経理課を後にする。

 ずるいだろ、キラーワード過ぎる……。俺はとんでもない武器を渡してしまったのかもしれない。


「藍野って鳴宮さんと仲良いのか?」


 PCから目を離さずに先輩が口を開く。バレてないよな……?

 仲は元々悪くはなかったが、まさか「妻です」なんて言える訳もなく。


「……まぁ前まで同じ部署にいたので。同期ですし」


 嘘は言っていない。真実をすべて語ってはいないだけで。


「あ、そうか。時々忘れるけどお前って企画出身か!すっかり経理顔だから」


 聞いたことのない単語が出てきたな。


「なんですか経理顔って……整形でもしてやろうかな」


 それでこんな不夜城から抜け出してやるんだ。


「いいやお前はもう立派な奴隷仲間だ。整形くらいじゃ染み付いた顔つきは変わらんよ」


 やっぱり新卒から10年以上ここにいる人の言うことは違うなぁ、なんて内容のない会話を繰り広げながら、俺は鳴宮の請求書データをシステムに打ち込んだ。


◆ ◇ ◆ ◇


 数十分後、上司の承認をもらった請求書に社印を押して、鳴宮にチャットを飛ばす。


『できたぞ』

 

『さっすが早い〜!』


 すぐに返事が来る。本当に急いでたやつっぽいな。


『もう次からはやらんからな』


『そうなったら私たちの関係が全課に知れ渡るだけね、旦那様』


『脅しには屈さん』


 はぁ、とため息が口から漏れる。いつかはバレるにしても、もう何年も前に実は〜って感じで躱せるくらい後がいいな。

 

 そんな詮無きことを考えていると、外が何やら騒がしくなってきた。


「なんか外うるせぇな。営業か?」


 細めた目を入口に向ける先輩。

 確かに。あの軽薄な声は……っと偏見が出てしまった。

 いやでも話し方でわかってしまうんだよなぁ。仕事の邪魔だし様子だけ見に行くか。


 廊下へ出ると、そこには二人の男女が向かい合っていた。女性の方は能面のように無表情だが。


「なぁ今日こそ晩ご飯だけでもどうかな」


 営業課の何某君が、請求書を受け取りに来たであろう鳴宮をデートに誘っている。


「今日は残業で忙しいから」


「じゃあ仕事手伝うよ。データ入力とかでしょ?」


 あーあ、言ってしまったか……。

 企画課の仕事をデータ入力だけだとでも思っているんだろうか。

 しかも、こともあろうに鳴宮がそんな仕事で残るわけないだろ。魑魅魍魎蠢く企画課のメインウェポンだぞ?


 コンコンとヒールが地面を叩く音。


「営業課のあなたが?うちの仕事を?」


 あいつ、かなりイラついているな。

 頼む、ここで引いてくれ何某君!後でストレスをぶつけられるのは俺なんだ!


 でもここで「その人、俺の妻なんでナンパとかやめてもらえる?」なんて言えるほど俺の心臓は大きくない。


 巻き込まれると面倒だし事態が収まるまでそっとしておこう。


「ねぇ!」


 踵を返して経理課へ戻ろうとした時、鳴宮が少し大きな声を出した。

 自分に呼びかけられているはずがないのに、思わず足が止まる。


「この際だから言っておくけどさ」


 イラついているはずなのに、声に喜色が滲んでいる。

 この先が予想できる、できるが止められるはずもなく。


「私結婚してるの」


 シーンと廊下が静まりかえった。

 偶然通りかかった人も、誰一人違わず鳴宮に視線を向けている。


 そりゃそうだ、天下の鳴宮様が既婚者だなんて誰も知らないから。


「で、でもそんな話今まで……」


 狼狽える何某君。

 ほぉ〜やっぱり既婚って抑止力になるんだなぁ、なんてどこか他人事のような感想が頭を流れていく。


「結婚したの最近だし」


 正確には数日前だがな!


「大好きな夫に嫉妬されちゃうから、男の人とはご飯行けないかな。じゃ、私取引先とアポあるから」


 芯の通った声で言い放って、彼女は俺の方をしっかりと向くと、パチッと片目を閉じた。







◎◎◎

こんにちは、七転です。

あとがきでお会いするのはお久しぶりでしょうか。


初めましての方は初めまして、そうでない方はまたまた社会人ラブコメ屋さんへようこそ。

性懲りも無く来てしまいましたね、愛してるぜ。


何も手につかないと新作を書き始めてしまう呪いにかかりました。

他のを先に更新しろって?

ジャンピングスライディング土下座するので許してください。


いけるとこまで毎日投稿するので、引き続きよろしくお願いします。

いいなって、社会人ラブコメに飢えてたよって人はよかったら♡と☆、押していただけるとモチベになります。

(感想は爆裂嬉しいです)


ではまた、どこかのあとがきでお会いしましょう。

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