石破!屠殺の方程式
森崇寿乃
第1話
石破という男は、数字の中に人の顔を見つける男だった。元々は将来を嘱望された数学者だったが、証明できなかったある定理をきっかけに、彼は数字と現実の間に隔絶を感じ、数学の世界を去った。それ以来、彼は数字を「冷たい論理」ではなく、「人間の痕跡」として見つめるようになった。その奇妙な才能が、今、刑事としての彼を一流たらしめていた。
最初の事件の被害者は、強欲な土地開発で私腹を肥やした政治家だった。遺体のそばには、円周率の無限の連なりが精巧な書体で刻まれた紙片が残されていた。次の被害者は、ウォール街を震撼させた天才経済学者。現場には、株価の乱高下を描くフィボナッチ数列を思わせる、完璧な螺旋が描かれていた。世間は愉快犯だと騒いだが、石破の相棒である若手刑事の赤嶺は、その尋常ならざる異様さに戦慄していた。
「石破さん、この犯人は一体何を企んでいるんですか?」
赤嶺の問いに、石破は返事をしなかった。ただ黒板に向かい、粉まみれの手で数式を書きなぐった。被害者の社会的影響力、過去の罪、そして未来に生み出すであろう「負の可能性」。これらを変数として代入し、一つの式にまとめると、次の標的が導き出される。それは、社会の「癌」を切り取るための、冷徹で完璧な「屠殺の方程式」だった。石破は、その方程式が示す冷酷なまでの論理を理解し、そして恐れた。そして、その方程式が示した次の標的は、石破自身だった。
「そんなはずはない……」
彼は震える手でチョークを落とした。方程式は、石破がこの謎を解くことを予測していた。彼を「方程式」の最終項として組み込むことで、この恐ろしい論理を完成させようとしているのだ。これは挑発であり、犯人からの挑戦状だった。
石破は一瞬、全身を支配する恐怖に凍り付いたが、すぐにその震えを怒りに変えた。この方程式は、人をモノとして扱い、命を数字として定義する。こんな狂気の論理を許すわけにはいかなかった。
石破は自らを囮に、犯人を誘い出した。待ち合わせ場所は、彼が数学を学んだ母校の廃墟。犯人は、石破と同じくらいの年齢に見える、痩せた男だった。男は無感情な声で言った。「石破。あなたは方程式を完成させた。だが、解は一つではない。社会の害悪を排除する、というこの崇高な使命。あなたもその一部だ」
犯人は石破に銃口を向けた。しかし石破は動じない。彼は知っていたのだ。この方程式には、犯人自身の変数が含まれていることを。犯人の行動、思想、そしてその存在自体が、この方程式を成立させるためのピースだったのだ。
石破は静かに言った。「方程式は完成した。だが、お前が忘れている変数が一つある。それは、この方程式を成立させるお前自身の存在だ。お前の行動もまた、社会の不条理な一面を体現している。つまり、お前自身を消去することこそが、この方程式の究極の解だ」
彼の言葉とともに、廃墟の影から潜んでいた赤嶺が飛び出し、犯人を取り押さえた。犯人は驚愕の表情を浮かべた。自らの完璧な論理に、数学者が捨てた「人間」という最大の変数が、盲点として存在したことを悟ったのだ。
事件は解決した。しかし、石破の心に安寧は訪れなかった。彼はあの「方程式」を忘れることができなかった。それは、ただの殺人者の妄想ではなかった。その方程式は、社会のひび割れを映し出す、冷たく、そしてあまりにも正確な鏡だった。彼は今も夜な夜な、黒板に向かい、粉まみれの手で数式をなぞる。屠殺の方程式。それは、誰の心にも潜んでいる、もう一つの可能性を秘めた方程式だったのかもしれない。
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