第11話 佐伯の再起 (サイキ)

高校最後の冬。

周りのクラスメイトたちが合格通知を手にして笑い合う中、僕は掲示板の数字の中に自分の番号を探しては、ただ立ち尽くしていた。

 

……見つからなかった。


その瞬間、全身の血が引く感覚があったのを、

今でも覚えている。


浪人一年目──それが今の僕だ。



高校時代からずっと、僕のそばには水瀬がいた。

学年で目立つタイプではないけれど、彼女の笑顔はやけに印象に残る。

テスト前にはノートを見せてくれ、部活帰りには自販機の缶コーヒーを半分くれたり。


それは“恋人”とか“特別な関係”という言葉よりもずっと手前にある、でも温かい距離感だった。


 

だからこそ、

落ちた時も、何も言わず「また頑張ればいいよ」と笑った彼女の声が、僕には救いだった。

 ……救いだった、はずなのに。





 予備校に通い始めて三ヶ月、僕はすでに疲弊していた。

 高校の頃は当たり前にあった昼休みの雑談や放課後の部活もなく、ひたすら机に向かい続ける日々。

浪人仲間とは必要以上に話さない。

僕の中で「一人でやらなきゃ」

という意地があった。


そんな生活を支えるのはバイトだ。

週に四日、

夕方から深夜まで働き、帰宅は午前一時。


睡眠時間を削って勉強に当てても、頭に入る量は現役時代の半分。

それでも、予備校代と生活費で金はすぐ消える。


 そして

──ある日、親父から突きつけられた。

「いつまで頼るつもりだ」

それは、経済的な支援の終了を意味していた。

浪人一年目の途中で、俺は完全に自力で立たなきゃならなくなった。




そんなある日、駅前のカフェで水瀬が小さく切り出した。


「高額バイトの話、聞いたことある?」


聞けば、

数時間で普通のバイトの何倍も稼げるという。


危険な匂いはすぐにわかった。

でも、彼女は僕の予備校代や生活のことを気にして、その話を持ちかけてくれたのだと感じた。

 だから

──「やめろ」と言えなかった。

むしろ「僕のためを思うなら、受けてくれよ」と、最低な言葉まで口にしてしまった。


 彼女は少し驚いたように目を瞬かせ、それから静かにうなずいた。

 その表情を見た瞬間、胸の奥で鈍い痛みが広がった。



 数日後、勉強会で顔を合わせた水瀬は、何事もなかったように笑っていた。

 少し痩せたようにも見えるのに、

「疲れてない?」と聞けば「大丈夫」と返す。

「高額バイトはどうだった?」──その一言が喉までこみ上げる。

けれど、声にはならなかった。

もし彼女が危険な目にあっていたら、

それは全部僕のせいになる。

そんな答えを聞く勇気は、俺にはなかった。



 

夜の駅前、友人に誘われて“効率よく稼げる方法”の話を聞きに行った。

待ち合わせたのは路地裏の喫煙所脇。

革ジャン姿の二人組が笑いながら近づき、

軽口を叩く。

中身のない話ばかりだが、

時折混じる「簡単に儲かる」

「買った商品代は、すぐ返せる」という言葉が妙に耳に残る。

 

……正直、不安はあった。

 

だが、もう自分一人で何とかしなきゃならないという焦りが、判断を鈍らせていた。




 

「……何やってんだよ」

 

背後から声をかけられ、振り返ると

篠宮──蓮が立っていた。

 

その目は、僕の虚勢も苛立ちも全部見透かしているようだった。


「お前!僕のことに口出しするなよ!」

 思わず声を荒げる。

 でも、蓮は一歩も引かない。


「水瀬をこれ以上泣かせるな」


 その言葉に、頭が真っ白になった。

 

──泣かせる?

 

そこで初めて、水瀬があの高額バイトで危険な目に遭ったことを知った。

 

何も言わず、普段通り笑っていたくせに。

いや、違う。俺が聞かなかっただけだ。



 蓮は続けた。


「なにカッコつけて追い詰められてんだ。……俺も同じだったからわかる」


 自分を削り、支えてくれる相手まで削ってしまう──その愚かさを、彼は知っていると言った。


胸の奥で、何かが大きくきしむ音がした。

僕は、守られる側のままでいるのか。

水瀬を、こんな形で危険に晒す僕のままでいいのか。


「……悪かった」

それしか言えなかったが、

その一言に全てを詰めた。

あの時、初めて本気で「変わらなきゃ」と思った。

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