第四章 第三話
すぐにピース・ビルド本部に戻り、緋崎に報告をしようと思った。だが、緋崎は別件で出張中とのこと。電話やSNSを通じて連絡を試みたが、繋がらないし既読にならない。重要な会議などに出ているとこういう事はままある。
「どうしよう。かなり重要な情報だと思うんだけど」
「お父さんを追いかけてる班の人に聞いてみる?」
琴音は悩んでいたが、
「あの、ちょっとお時間いいですか?」
「あ?」
それでも、この程度の対応だ。
非能力者の捜査官は基本的には普通に警察官として採用され、警察学校に入って巡査としての勤務を経て、警察内で認められてこそ公安に入る、という事が多い。そこからさらに特殊な能力者対策課ともなれば、本来はエリートクラスだ。
だから、ほとんどの捜査官は三〇代半ば以上。そんな中に能力者枠とはいえ、一六歳の小娘が二人もいることを面白く思うものはほとんどいない。
何なら、二〇代で管理官という緋崎も異例であり、琴音たちほどではないにしてもある程度嫉視の対象ではあった。隙あらば引きずりおろそう、とするような輩もいないわけではなかった。
「なんだ、忙しいんだ。用があるなら早く言え」
中堅どころの捜査官は、
「は、はい、あの、
「はあ? 人の班の詮索する暇あったらてめえらの仕事をしてろ。次のブリーフィングがありゃあわかるだろうよ」
「教えていただけないんですか?」
「だめだね、やっぱり」
「あいつの髪の毛、全部焼いてやろうかしら」
公安という組織の秘密主義は、同系列の警察に対してだけでなく、同じ部署の捜査班同士の間にすらあった。自らの領分を犯されるのを嫌い、得た情報は自分たちだけのものにする。そういう性質が、この世界にはあった。
「ばっかじゃないのかな。せっかくネットワーク端末があるのに、捜査情報を共有した方が効率的なのに」
「古い世代はいつもそうだ、って歴史の本にも書いてたよ。あたしたちがそうならないように気を付けよう、って事かな」
琴音は柔軟さを欠く先輩捜査官に鼻を鳴らし、
試しに捜査共有フォルダを覗いてみるものの、
一年ほど前に離婚したこと、現在は行方不明であること。能力者か非能力者かの情報もない。まるで手掛かりなしだ。
情報もなく上司もいない。琴音たちには今、指示を仰ぐべき人物がいない。行動への一定の裁量を緋崎から託されている二人は、目と目で会話して頷いた。その足は、ニシナリへと向いていた。
「ファルコン、いるかな!」
勢いよくバー・ブラックファルコンの扉を開けると、来客ベルがわりの木の板が激しくなる。
「静かに入って来い。扉が壊れる」
「あれ? 唯ちゃんは?」
いつもならバーカウンターの奥には愛嬌を振りまく唯美がいるのだが、今日は仏頂面の史郎がいた。皿を洗っている姿がやけに似合わない。
「今日は休みだ。それよりなんだ。騒がしい」
「ちょっと聞いてほしいことがあってさ!」
琴音はなかなかの勢いでバーカウンターの向こうへと身を乗り出すように史郎に訴えかける。
「
「薬? 薬か……なるほど。しかしその父親があのブレインバーストの製作者、というには突飛すぎるな。こちらでも成分分析はしてみた。だが、どうもはっきりしない。精製方法もわからないし、完成物の化学式もまだわからん状態だ」
「そんなに複雑なんだ。てか、ブラックファルコンってそんな分析もできるんだ」
「バカじゃ務まらん世界なんだよ。それなりの人材は常に欲しいし、優秀なやつがいれば引き入れている。こういうことも治安が乱れるとできなくなる。裏には裏の必要不可欠なやつらがいるんだが……」
そこで史郎は言葉を切った。
「いなくなるやつも多くてな。あいつがいれば唯もぶっ倒れてなくて済んだろうに」
「唯ちゃんぶっ倒れてるんだ? それに、あいつって?」
「どっちを答えてほしいんだ」
「両方」
琴音は唯美の様子も気になるし、史郎が言う「あいつ」も気になった。これは単なる好奇心でしかなかったが。
「それより琴音、その話じゃないでしょ」
「あ、そうだ。ねえ、ブラックファルコンの方でこいつわかんないかな」
「こいつ、というのはその
「そう」
「無茶をいうな。手掛かりは何もないんだろう? 公安の連中だって無能じゃない。そこで見つからんのならあきらめろ」
「無能じゃないかもしれないけどね。有能とも言えないんだなこれが」
琴音はさっきの先輩捜査官の態度を思い起こしつつぼやく。
「まあ言いたいことはわかるが……せめて写真くらいはないのか」
「ないんだな、これが」
史郎からすれば、面が割れれば探しようもある、というところなのだが、それがあるなら公安でももう少し捜査は進むだろう。琴音の返事にもさして驚きはしない。
「あーあ、絶対これ手掛かりなんだよ。被害者がブレインバースト持ってて、それを岩城に流してて、それを餌に櫻田や倉本からも金をむしってて、
「そう思うならそこに捜査能力を全振りすればいいだろう。将星は何をしているんだ」
「緋崎管理官は出張中で連絡が取れないんです」
「なるほどな。また嫌がらせに遭ってるという事か」
「嫌がらせ?」
琴音は問う。
「将星はあの若さで一支部のトップだ。やたら会議に呼び出されるのは、なんとかしてミスを誘発させようという上層部の一部の思惑だ。あいつは能力者に優しいからな」
「そんなのあるの?! 大人ってバカなの?!」
「お前が思っているよりは、多分愚か者の集団だぞ。公安に限らん。大人ってやつはそういうもんだ」
「ファルコンもそういう大人なの?」
「はっ、善人に見えるか? 俺は自己の利益に正直なだけであって、お前らの味方じゃあない。ま、今のところ敵でもないがな」
「それは、いつでも敵になるってこと?」
「状況がそう動けばな。俺には守るものがある。そのためにやることはやるさ」
「あ、そう」
琴音はそこで矛を収める。予想はしていたことだし、驚くにも値しない。
本来公安のような社会正義を実現させる組織と、裏社会を統べるブラックファルコンとは水と油のはずだ。だが、不思議と今、琴音も
むしろ、特に法を犯していないであろう一部の能力者排斥主義者や、狭量な先輩捜査官の方がはるかに嫌悪感を覚えるまである。
「それで、その
「あ、うん、一応頭痛薬だって。ただ、薬本体があるわけじゃなくて、
「頭痛薬か。市販でも山ほどあるし、それをもらっていただけじゃないのか?」
「でも、被害者の涼子さんが
「ふむ」
史郎は皿洗いの手を止めて、思案する。
「一応俺も捜査情報は見た。
「保護当時の検査では、特に異常はなかったようですけど」
史郎の問いに
「頭痛、今は出てないんだ。基本的によく食べるし良く寝るし、健康そうに見えるけど」
「ふむ。そうか」
琴音からの話も聞いて、史郎はまた考える。
そして、二人に指示を出した。
「何とかして、その元夫の写真を手に入れろ。そうすれば、こちらでも何かわかるかもしれん。そこまで徹底して写真がない、というのはむしろ怪しい」
『確かに……』
また琴音と
写真嫌いはいる。だが、それでも何らかの記念写真やスナップの一枚くらいはどこかにあるものだ。それが徹底していない、という事は、家宅捜索で押収されたであろう、その手のアルバムや家族の記録にもないという事だ。そこまで徹底して顔を残さない、というのは、むしろ意識的にやっているといってもいいように思えた。
「写真か……別班も当たってるだろうし、それで出てこないんだもんなあ」
琴音は思案するが、妙案が思い浮かばない。押収物の中にもないとなれば、当然涼子の過去の行動を洗えるだけ洗い、関係先も洗い、離婚前の出没先も把握できる限り追いかけるだろうが、それでも、元夫である里見昭臣の姿が見えてこないのだ。これは明らかに不自然だ。
「写真……写真かあ」
もう可能性があるのは
「わかったよ、ファルコン。とにかくこっちで当たってみる。望みは薄そうだけど」
「それでもやるのが捜査ってやつだ。将星は言わんか?」
「言うよね。ファルコン、緋崎管理官の事詳しいんだ?」
「詳しくは、ないさ」
先日緋崎から聞いた、『関係は裏切り』という言葉が引っかかっていた。琴音が冗談めかして突っ込んだが、史郎はただそれだけ言って、それ以上のことは何も言わなかった。
この日は唯美もいないという事もあり、二人は情報交換だけをして戻った。
緋崎は相変わらず連絡が取れないままだった。
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