第三章 第一話 ブレインバースト 

「うーん、頭痛い」


「なかなかに厳しかったよね」


 唯美の魔術によって一回目の潜入調査を終えた二人は、いったんピース・ビルドに戻っていた。


 魔術の副作用でたっぷり三時間ほど倒れていたが、その後も頭痛が残る。能力者の能力は脳機能に複雑な作用を及ぼすため、強い能力を使った際の頭痛は日常茶飯事だったが、強い施術による頭痛は外からの刺激だけに、その不快感も強烈だった。


「唯ちゃん、最初に言わないんだもんなー」


「ま、言ったら、やってたかと言うと微妙だもんね」


 琴音と優理音まりねは頭を押さえながら、新しい捜査資料に目を通していた。


 それらは、他のチームが調べてきた被害者の里見涼子の身辺に関するものだった。


「先に捕まった倉本や櫻田、そして、捜査中の岩城、その他にも複数の男関係、か」


 優理音まりねが捜査資料に目を通して読み上げている。


本来なら女子高生である二人にとって、そこに記載される男女の有様は、あまりにも赤裸々でリアルだ。


「男って、そんなにいいもんなのかなあ」


 自分が異性の誰かを好きになって、恋をする。そんなこともまだ想像できない年齢でこの世界に身を投じた琴音にとっては、実際にあることだと言われてもまだ理解の範疇の外にあった。


「まあ、そこはあまり理解しなくても良いんじゃないかな。僕たち大人にとっても、この種の生態は理解の外だよ」


「あ、そうなんだ」


 同席している緋崎の言葉に、琴音は少しほっとする。大人ってみんなこうなのかな、と思わざるを得ないようなスキャンダルは、報道を見ているだけでも枚挙にいとまがないのだ。そして、金、異性関係、親子関係、などは犯罪動機のトップに常にランクインする。


「お金の流れもなかなかのものですよね。倉本容疑者、櫻田容疑者の二人からそれぞれ数百万円の現金が渡っているって」


 優理音まりねが引き続き資料を読み上げる。


「そこなんだ。資金の流れはあの二人が吐いたのと、そういった金が算段されたことも裏が取れている。問題はその資金を涼子が何に使ったのか、と言うところと、倉本、櫻田の二人にどんなメリットがあったのか、だ」


「その点について、二人は何も言ってないんです?」


 緋崎の話に琴音は疑問をぶつける。緋崎は肩をすくめる。


「『惚れた女に金をやって何が悪い』の一点張りだ。確かに、涼子の生活は楽なものではなかっただろう。夜の街を転々としながら日銭を稼ぐのが日常だったようだ。ただ、それだけの大金が彼女に流れたにしては、生活は質素すぎる。一体その金はどこに行ったのか、がまだわからない」


「つまり、男が女に金を貢いだ、っていうこと、です?」


「構図としてはそうなるかな。ただ、なんとなく解せないんだ。これは捜査官の勘みたいなもので根拠はないんだが」


「勘、かあ。よくわからないや」


 琴音には、男が女に貢ぐ、あるいはその逆、というケースがあまりよくわからない。


お金を稼ぐのは大変だ。それは善悪という手法の問題はあるにしても、どっちにしろ大変な苦労やリスクを伴う。


 その金を、『惚れた』という理由で惜しげもなく数百万も渡せるものだろうか。


 琴音自身はそう思うのだが、実際事件になるケースではごくありふれた理由のひとつでもあった。ホストに入れ込んで身を破滅する女子の話、風俗嬢に入れ込んで全財産を溶かす男の話、犯罪に関わる仕事をしていれば、聞かない日はない。


 それでも、琴音や優理音まりねにはわからない感情だった。


「具体的にどれくらいのお金が流れてんの?」


 琴音は資料を見ている優理音まりねに問う。自分で見ればいい話なのだが、なんとなく二人の間での役割分担として、資料の読み込みは優理音まりねであり、それに基づいて行動するのが琴音、という構図は昔から成り立っていた。危うくはあるが、スタイルを変えて非効率になるのもよくない、と思って結局このままだった。


「二人から以外も複数流れてるみたいだね。一千万は流れてるね」


「そんなに?」


 琴音は驚きつつ、緋崎の方に視線を向けると、緋崎もうなずいている。


「無論、女が男を篭絡して貢がせる、という事件に於いて、一千万は珍しい金額ではないが、さりとて少ないから無視してもいい、と言う金額でもない。何の理由もなく好意だけでこれだけの金額が複数の男から入るとすれば、涼子の魅力というものがすごかったのだ、と言うだけの話になるが……」


「実際、そういうのもあるんですよね?」


「ある。だが、今回はどうも腑に落ちない気がするんだ」


 優理音まりねの問いに答えつつ、やはり根拠はないんだけどね、と緋崎は付け加える。


「もてない男のひがみだったりして」


「琴音! 失礼でしょ!」


「いやいや、こういった男女の情事における金の流れに理解が及ばないのは、その指摘通りかもしれない。それは翻って、琴音クンだってそうなんじゃないのか?」


「う、否定はできないな……」


 この年になるまで浮いた話ひとつなかった自身を振り返り、琴音はやりこめられる。


 だが、優理音まりねは知っていた。琴音に思いを寄せる男子もいたことを。ただ、あまりに開放的で社交的で、良くも悪くも男子を異性として認識しない琴音に対して、攻めあぐねていただけなんだ、と。


優理音まりねはモテてたんだけどねー」


 そんな優理音まりねの気持ちを知ってか知らずか、琴音は頭をかいて誤魔化していた。






光莉ひかりちゃん、今日はあたしとお風呂だぞ! あ、逃げるな!」


 自宅へ帰って食事を済ませ、あとは風呂に入って寝るだけ、と言う時間だ。だが、光莉ひかりはなぜか風呂が嫌いだった。捕まえて風呂に入れるまで、毎日一苦労で、最近は優理音まりねのいう事には素直に従うのだが、琴音が風呂当番の日はちょっとした鬼ごっこが始まる。


「お風呂、いや、なの!」


「なんでお風呂嫌いかな! 気持ちいいじゃん!」


 あとを追いかける琴音だが、下手に部屋が広い間取りで、なおかつ光莉ひかりがちょこちょことすばしっこいこともあって、なかなか捕まらない。優理音まりねが手伝ってくれれば話は早いのだが、捜査資料の検討をしてくれているので、邪魔はできない。


「よおし、追い詰めたぞ光莉ひかりちゃん! もう逃げ場はないね!」


 肩で息をしながらも、部屋の隅に追い込んだ琴音は、光莉ひかりをむんずとつかんで風呂場へと連行していく。ここまでくると、光莉ひかりも無駄な抵抗はしないので、どうも鬼ごっこを楽しんでいるようなきらいはあった。


 そういったことも含めて、一緒に暮らし始めてからまだ一週間ほどとはいえ、少しずつ感情の起伏が見えてきているのは喜ばしいことだ、と姉妹は考えていた。


「さて、身体を洗ってから湯船だよー」


 琴音は光莉ひかりを裸にひん剥き、自身も服を脱ぎ捨てて風呂場へと入る。光莉ひかりを座らせて、身体を洗うところから始まるのだが、これまではこの段階でもなかなかじっとしてくれず、大変だった。だが、この日は違った。


「あれ、光莉ひかりちゃんおとなしいじゃん」


 優理音まりねの時は比較的おとなしいのを知ってはいたが、今日はそれにもまして、おとなしく椅子に座ってじっとしている。


「少しはお姉ちゃんのこと信じてくれるようになったのかなあ」


「琴姉えも優理姉えも優しいなの。光莉ひかりは大好きなの」


「え、そ、それいま言う? やだなあ、ちょっと嬉しいじゃん」


 優理音まりねは妹ではあるが、双子姉妹という特殊な関係上、それは戸籍の上だけのことだ。姉と妹、という関係はお互い認識しているものの、優理音まりねが琴音のことをお姉ちゃん、と呼ぶことはない。だから、光莉ひかりに『琴姉え』などと呼ばれるのは、くすぐったくもあり、嬉しくもある。


 優理音まりねの手料理のおかげで、光莉ひかりは子供なりに心を開いてきてる感触はあった。その進歩はわりと目覚ましく、急速に姉妹の家族的な存在感を増してきていて、琴音としても仕事の枠を超えて感情移入してしまいそうになることは否定できなかった。


光莉ひかり、もう家族いない、なの。でも、それは別にいいなの。琴姉えと優理姉えができたなの」


「そっか、あたしたちでも少しは支えになるのかな。よかった」


 琴音は珍しくよくしゃべる光莉ひかりの背中を流しながら、自らの境遇にも彼女を重ねてしまう。家族、か、と内心で呟いてしまう。


「あれ?」


 そうやって背中を流していて、琴音はふと違和感を覚える。


「これ、痣?」


 琴音はまだ一六歳であり、世間一般で言えばまだまだ若い身空だ。その琴音にして、まだ幼い光莉ひかりの肌はもちもちすべすべで心地よくすら感じる。


 しかし、彼女の身体をくまなく洗っている時に、それは見つかった。


 脇の下に黒い影がちらりと見えた気がしたのだ。確認するために腕をあげてみると、そこにはあからさまに他の場所と違う痣のようなあるいは、傷の瘢痕のようなものがあった。


「あ……!」


 光莉ひかりが琴音の手を振り払って、身体を縮こまらせた。


「あ、ごめん! 光莉ひかりちゃん! でも、ねえ、それ……」


「なんでもない、なの。前からある痣……なの」


「そ、そう。なら、いいけど」


 今までにない光莉ひかりの過敏な反応に驚きつつ、一瞬だけ見えた脇の下の赤黒いものを思い出す。あれは、痣というより、火傷の跡のように見えた。


(これ……いや、これ以上聞いちゃダメかも。今は見なかったことにして、後で優理音まりねにも……)


 優理音まりねの方が光莉ひかりとよくお風呂に入っている。気づかなかったのだろうか、と思ったが、優理音まりねは琴音に比べて目が悪い。普段から眼鏡常用だし、眼鏡がないと歩けない、というような極度の近視ではないものの、本を読むのはきつい、と言うくらいには焦点がぼやけるらしい。そうなると、お湯や湯気といった視界を遮るものがある中で気づくのは難しいかもしれなかった。


 彼女があまり感情を出さず、無口なことに関係があるような気がした。



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