第二章 第四話

「なんであんなのと組むんです?」


 とはいえ、帰りの車の中で、琴音はさっそくかみついた。後部座席から身を乗り出し、運転席の緋崎のすぐ真横まで顔を出している。


 もやもやして引きずるのが嫌いな性格なので、疑問は単刀直入に切り込んでいく。その辺り、まだ大人になり切れていないともいえるが、緋崎はそんな琴音のまっすぐさは好きだった。


「まあ琴音クンが言いたいこともわかる。だが、我々は公安だ。警察じゃない。公衆の安全と正義を守るために手段を厭わない。時には非合法とそしられるような手段を使うこともある。そう習わなかったかな」


「いや、たしかにそれは、そうだけど……」


 研修時代にそういった講義もあった。盗聴、盗撮、その他、警察では証拠がないと動けないようなケースでも、公安は強引に引っ張ることすらあると。そもそも公安という組織の前身は戦時中に悪名が高かった特高警察だ。国家安全の名の下、暴力も辞さない取り締まりや、逮捕者への苛烈な拷問で批判を呼んだりもした。光景である公安もご多分に漏れず、犯罪ありき、という先入観に基づいて証拠を捏造して不当に逮捕した事例もいくつかある。


 そう言った経緯のある組織であることを、講義でもさんざん聞かされ、「そうはならないように」とくぎを刺されていた。


いまだにそんな講義をしつこくやるのだから、今もそういう体質なのだ、ということをなんとなく推測できる。正義を信じてここにいる琴音は性格的にこの種の講義は苦手だった。


「君たちには早く現場に慣れてほしい。そして、早く決断してほしい。だから、ファルコンに頼んだ。まあ、文句が言いたい部分はわかるが、今回は僕に免じて飲み込んでくれ。すべてが終われば、苦情はその時に聞こう」


「ブラックファルコンって何なんです? 犯罪組織だったらあたしは……」


 くい、と袖を引かれる感触があった。優理音まりねの方を見ると、静かに首を横に振っている。これ以上は踏み込むな、という事だ。


「わかったよ」


 琴音はむくれながらも、シートに勢いよく腰を下ろした。


「いい子ね。今日はエビフライにしてあげるから」


「子供じゃないから!」


 優理音まりねにまで子供扱いされながらも、妹が作るエビフライの絶品さを知っている琴音は、帰宅に向けて少しソワソワするのを自覚していた。






『おはようございます!』


 翌朝、二人そろってブラックファルコンの扉をくぐった。今日からここが戦場だ。


 余所者は目立つので何かしらトラブルになる、と昨日は緋崎の車でここまで来たものだが、今日は公共交通機関と徒歩でここに至った。奇異な視線を感じはしたものの、特に何も起こらなかった。


 これがブラックファルコンを通した結果なのかどうか、琴音と優理音まりねには判断がつかなかったが、緋崎の言動や、ここまで歩いてきたときに感じた妙な空気の緊張感と視線は、恐らくそういう事だろう、と言うことになるだろう。


「はやいわねえ。バーは夜からよ」


 そんなことを言いつつ、眠そうにあくびをしながら唯美はカウンターの向こうにいた。


 この人はブラックファルコンにとってどういう立ち位置なんだろう、と二人は気になったが、まだ不躾に会話を展開するほど馴染んではいないので、多少の緊張感をもって接していた。


「昨日は遅かったからまだ眠くて。あ、コーヒーと紅茶どっちがいいかしらね。私は紅茶しか飲めないんだけどね。コーヒー飲むと酔っちゃうから」


「コーヒーで酔うんですか?」


 優理音まりねが思わずそこに食いついた。優理音まりねはどちらかというとコーヒー派で、琴音も認める絶品の淹れ具合を誇っている。


「そうよ。能力者の能力と飲食物の間には妙な副作用が出るやつがあるのよね。まだ研究もきちんとされてないから、思わぬもので能力の発動が押さえられたり、不調になったりすることもあるし、私みたいに酔いと同じような症状が出ることもあるしね」


「へえ、おもしろそうです」


 料理が好きな優理音まりねは、少し興味を持ったようだった。


 人生の中で今までそんなことが起こったことはないが、世にあるすべての食材を口にしたわけではない。もし、知らずに口にして、それが何か危険な任務の途中だったら命にかかわるような話だ。


「白鳥さん、そういう資料ってここにはないんですか? ピース・ビルドの資料庫では見たことないんですけど」


「白鳥さんはコソばいからやめて? 唯でいいわよ。えっと、琴音と優理音まりねだっけ? 私もそう呼ばせてもらうし。で、あなたは優理音まりねの方よね?」 


「あ、はい、そうです。じゃ、唯さん、って呼びますね」


「それもちょっとくすぐったいけど、ま、いいか。それで、公安の資料庫になかったって、全部読んだわけ?」


 唯美が気になったのはそこだ。


 ピース・ビルドの資料庫がどれほどの規模かは知らないが、紙と電子を合わせればそれなりの量があるはずだ。少なくとも能力者対策の専門機関であり、おそらくは市販されている書籍や図書館の蔵書に劣るという事はないだろう。


「あ、はい、ほぼ全部目を通しました」


「うそん」


 ちょっと嫌味も含めて問うた唯美の方が言葉を失う。


「待って。ピース・ビルドの資料庫ってそんなにしょぼいの?」


「書庫の蔵書だけで二千冊くらい。電子も合わせると万は行ってるんだよね、それが」


 優理音まりねではなく、琴音の方がなぜか誇らしげに答える。


「さすがに全部の内容を覚えてるわけじゃないし、表面を滑らせただけですけどね」


 優理音まりねがあせあせと弁解する。


「いや、それでもふつうは無理でしょ。いや、あなたおとなしそうな顔してやるじゃん」


「た、ただの趣味です」


優理音まりねは速読の女王なのよ。それでいて記憶力もすごいんだから!」


「ちょっと琴音」


 また琴音がない胸を張って誇らしげに語る。妹を自慢するお姉ちゃんの顔だ。


「それはもう一種の特殊能力ね……確かに、能力者の発生以前にも瞬間記憶能力者とかいたしねえ。まあそうねえ、体系的な研究はないんじゃないかな。お偉いさんが能力者に期待することは戦力だからね。上手に利用する方法、制御する方法、従えさせる方法とかにはご執心だけど、それ以外のことに興味はないだろうからねえ」


 唯美はやれやれ、と言う感じで答える。


 確かに、社会は能力者に対して厳しい。脅威とさえ捉えている。


 そのくせ、従順な能力者に対しては、その便利な力を最大限利用しようとするのも確かだ。


 例えば、労働問題でその辺りが顕著だった。


 非能力者と能力者の賃金差はほとんどない。仮に、それが能力者の能力をあてにして『念動力能力者求む!』となっていたからと言って、ことさらに能力給が付与されるわけでもなかった。


 能力者を好待遇にして募集すると、そこに能力者が集中し、非能力者の雇用が奪われるから、と言うのが理由らしいが、それに釈然としない能力者たちもいる。


 そうやってことさらに両者間の対立を煽り、マジョリティ側の非能力者の利益に寄り添う社会になっていることは否定できない。


 だから、能力者の利益になるような研究には予算が下りないし、そこに従事する人々も少ない、という事になる。


 能力者の食い合わせによる酩酊に何か法則性があるのなら、これは実は重要なことではないか、と優理音まりねは思った。


「琴音に色々食べさせてるけど、今のところ何も起こってないよね」


「そりゃあ、優理音まりねのご飯は美味しいもん。光莉ひかりちゃんだって、優理音まりねのご飯にはすごい反応するじゃん」


「うーん、でも、もし体質や能力との相性の問題だと、美味しいかどうかは関係ない気もするしなあ」


 岩城明人の捜査に来ているはずだが、全く関係のない話題で盛り上がってしまう。


「唯ちゃんは、コーヒーが美味しくないとか苦手とかあるの?」


「ちゃん呼び来たか! そいつは新鮮だ!」


「あ、つい。同い年くらいかなって思って」


「ひとつ上ね。今年で一七よ。でも、それでいい、許す」


 琴音は持ち前の気安さで唯美をちゃん呼びするが、普段『姐さん』とか『姉御』とか呼ばれている身としては斬新すぎて逆に気に入ったようだった。


「やったぜ! で、どうなの?」


「あー、それね。コーヒー自体は美味しいと思うし、むしろ酔いたいときに飲むこともあるけどね。お酒強くてさ」


「未成年飲酒!」


「あ、しまった。内緒内緒。ここは能力者特区でニシナリでブラックファルコンだからさ」


 公安と警察は取り締まり対象が違うが、根っこの部分は一緒だ。


「まあ、飲んだ本人へのおとがめはないですからね」


 と優理音まりねがフォローを入れる。実際には保護者の監督責任を問われるのだが、唯美の身の上を知らないので、そこは何とも言えなかった。


「そうかあ、コーヒー嫌いではないんですね」


「まあね、酔ったらまずい時には飲まないってだけよ」


 言って、唯美は紅茶を二人に出す。


「美味しい!」


 一口吹くんで、琴音は思わず感嘆する。


「あたしどっちかと言うとコーヒー派なんだけど、これは美味しいや」


「それはよかったわね。さあ、飲んだら仕事の時間よ」


 唯美は紅茶を置いた後、そのまま琴音たちのテーブルの向かいの椅子に座った。


「ファルコンは?」


「史郎は今日、別件で出てるわ。私がサポートするから任せて」 


 手元にある端末を操作して、モニターに情報を映し出す。


「岩城の勢力範囲は東側地区。この辺りに根城を構えてるところまではわかってるけど、詳細は不明。あなたたちの能力はどれくらいの精度で追えるの?」


「相手の能力や潜伏場所、捜索範囲や精霊の源に触れたタイミング、今回の場合は水に触れた、外気に触れた時期、等によって変わりますね」


「なるほど、条件はいろいろなのね。で、どれくらいなの?」


「今回は半径二〇〇メートル界隈、と思います。唯さんの示している場所のあたりでほぼ一致します」


 優理音まりねが唯美の問いに答える。唯美は短く口笛を吹いて称賛する。


「すごいものね。それ、捜索効果範囲どれくらいだったの?」


「日本全国、くらいですね」


「こっわ。それで二〇〇メートルまで絞り込めるなんて化け物じゃん」


 唯美は首をすくめる。


 日本全国を効果範囲とできる能力、と言うのも驚異的だが、その上その精度で絞り込めるとなれば、事実上潜伏して逃れるというのは不可能だ。特に水は生きることに必要不可欠であり、それに触れないことは死を意味する。


(こりゃあ、この力だけでも欲しがる奴らはいっぱいいるわ……)


 口には出さず、唯美は嘆息する。


 史郎がこういった外部の公権力からの依頼を受けるのは、よほどの旨味がないとやらないことだった。そして、逆もしかりで、向こうにも何らかの手詰まりと利益がないとやっては来ない。


(それを考えると、今回の仕事はまだ裏がありそうねえ……そういうの口に出すやつじゃないしなあ)


 唯美は史郎の性格も含めてそう考える。どちらにしろ、利がなければ動く男じゃないのはこれまでの付き合いでも確かだった。唯美はただ、史郎の指示された通りこの二人をサポートするだけだ。


「この地区はニシナリの中でももともと治安はよくないわ。目の届かないところでヤクのやり取りや違法転売、街に出て狼藉を働く奴もいるし、とにかく悪の風上にも置けない奴ら、ってとこね」


「悪の風上って、悪は悪じゃないの?」


 琴音にとって悪は悪だ。それはこの世界に身を置いた第一義的理由だ。根っから正義感が強くてまっすぐな琴音にとっては、「悪いこと」はしてはいけない、と思っている。



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