第5話 異界ーエンデー 風と宿

草原を抜ける風が、わずかに冷たくなっていた。

集落の外れ――崩れた石垣を回り込み、修は小路に身を潜める。


「……まだつけてきてるな」

ー3人。さっきの教会の奥にいた気配と同じ。

「やっぱりな。目は節穴じゃないか」


足音を消すように、二人は細い路地を縫う。

木の扉、干された洗濯物、割れたランタン。

どこを見ても、衰えた暮らしの跡だけがあった。


ーあれ、宿の看板っぽい。

「泊まれるか分からんが、行くか」


軋む扉を押すと、古びた木の匂いがした。

部屋の奥から、柔らかな声がする。


「……あれ、旅人さん? 珍しいですね」


声の主は、まだ二十にも満たぬだろう少女だった。

髪を布でまとめ、袖口をまくり上げている。

頬には少し煤の跡。

それでも、笑顔だけはまっすぐだった。


「旅の途中で。休める場所を探している」

「一応、宿です。あまり綺麗じゃないけど……」


修は軽く頷き、奥のテーブルへ腰を下ろした。

レイラは周囲を一瞥し、そろそろ夜となる宿の暗さと、消えた雰囲気にひと息つく。


「一晩いくらだ?」

「銀貨二枚。でも、ご飯つきなら三枚」

「……高いな」

「ごめんなさい。物が全然入ってこなくて。

 市場もほとんど閉まってるから」


ー物価が上がってる。やっぱり国が壊れかけてる。

「いい。払う」


修は鞄を開け、手元の小袋を漁る。

中には異界の貨幣、見覚えのない金属片、古びた指輪。

少女が目を丸くする。


「それ……見たことないお金」

「そうか。換金できる場所はあるか?」

「えっと……あ、北の広場の向こう。

 昔は“秤屋”って言われてた人がいたけど、

 今はどうだろう……。戦が始まってから、来なくなった人も多いし」


「なるほど」

修はそれ以上は聞かず、軽く息をつく。

彼の脳裏で、レイラが笑みを浮かべた。


ー情報としては充分だね。

「ああ。宿を拠点にして様子を見る」


少女が湯気の立つカップを置く。

「今夜は冷えますよ。お茶だけでもどうぞ」

「助かる」


その瞬間、宿の外を誰かが通り過ぎる足音がした。

微かに、金属の擦れる音。

レイラの瞳が細くなる。


ーまだ見張ってる。

「……なら、こっちからも動くか」


修は立ち上がり、マントの襟を直した。

少女が不思議そうに見上げる。


「今から出るんですか? 暗くなりますよ」

「ああ。腹を空かせたまま眠るのは苦手でな」

「……これから狩りに?」

「少しな。晩飯を取ってくる。獲物が狩れたら調理してくれ」


少女は驚いたように瞬きをした。

「この辺、獣は少ないですよ。みんな、逃げちゃって」

「なに、風に聞いてみるさ」

そう言い残し、修は微かに笑った。


扉を開けると、風がふっと吹き込む。

冷たい夜気に、乾いた土と草の匂いが混じる。


ー……撒ける?

「撒く。あの堀を越えれば、森がある」

ーうん、じゃあ、風に紛れよう。


二人は宿の影を抜け、音もなく堀を越えた。

夜の森が、静かに彼らを包み込む。


風が葉を揺らし、遠くで何かが動く。

それは追手か、あるいは――

新たな出会いの気配だった。

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