第2話 校長とマリアンヌ博士

「やあやあ、お疲れさま。初任務はどうだったかね?」


 一本の髪の毛が、ぴょんぴょん揺れながら俺に問いかけてくる。


 正確には、机の向こうに隠れているおっさんの声だ。

 けれど、座高が低すぎて見えるのは頭頂部だけ。

 しかも、つるっぱげな地肌にしがみつく、たった一本の髪の毛。


 結果、どう見てもその毛が喋っているようにしか思えないのだ。


「生きたまま帰れてよかったです」

「またまた、君はそうやって謙遜する。大成功だったらしいじゃないか。もっと胸を張っていいんだぞ」

「ですが……。目的の兵器は回収できず、人命救助をしただけで終わってしまいました」

「いやいや、何を言っておる? 君が持って帰ってきたのは、紛れもなく未知の異星文明が作り上げた、最凶の破壊兵器じゃ」

「……なんのことですか? あっ、もしかして博士が俺の失態を庇うために嘘を……」


 いい噂をあまり聞かない我が校の校長だが、実はそれなりに生徒のためを思っているんだな。

 感動した。


「そんなわけあるかい。君は根本的なことを勘違いしている」

「ですが、俺が回収できたのは一人の少女だけで──」

「だから、なんだよ」

「え?」


 俺が驚いた顔を見せると、校長はフォッフォッフォと愉快そうに笑った。


「あれはな、地球上で初めて確認されたUBW未確認生物兵器0号じゃ」

「彼女があのUBW……」

「そう。アメリカのミシガン州に出現し、アメリカ軍に捕獲されてから、向こうの研究所にトップ機密事項として保管されていた」

「現実味がない設定ですね……。UBWって、人間にそっくりなものばかりなんですか?」

「今のところ発見されているのは、例外なく人間の女性の姿をしておるな」

「不思議ですね。その姿に戦闘時のメリットとかはなさそうですし……」


 女性という俺の弱点を的確についてくることを除けば、だが。


「でも、校長。授業では、そんなこと学びませんでしたよ?」

「確実にそうだとは言い切れんからな。情報を広める前に、なぜ人間の女性の姿を模しているのかを解明せねばならん。単なる宇宙人の気まぐれかもしれんぞ。間違った情報を定説として吹聴した後に、いきなり男性の姿を模したものが現れたら、いらん混乱を招いてしまうだろう?」


 だったら、これまでの傾向であって確実なものではない――という注釈を入れればいいと思うが……。

 まあ、組織の末端にいる俺には理解できない、指導者なりの理由があるのだろう。

 俺はとりあえず頷いた。


「そのトップ機密事項が、どうして船で太平洋を横断していたんですか?」

「マリーが傍受した通信によると、どうやらなんらかの交渉の過程として、ロシアへ送られることになっていたらしい」

「ロシア!? 奪ったことがバレたら、とんでもないことになりますよ!」


 非常時なので、全国家が休戦協定を結んでいるとはいえ、国力トップ2のアメリカとロシアの両方を敵に回すようなことをしたとなると、冗談では済まされない。


「大丈夫、大丈夫。これはワシが独断で行った作戦じゃ。政府は関わってないんで、情報が漏れる心配もない。まあ、お前かマリーがワシを裏切ったら、一巻の終わりだがな。フォッフォッフォ!」

「政府に話を通さずに、こんな無茶苦茶な作戦を実行したんですか!?」

「無茶苦茶な作戦に政府がハンコを押すわけがなかろう。ワシはどうしても、あの0号を手に入れたかったんじゃ。研究を完成させるには、どうしても本物のUBWが必要なんじゃよ」


 つまり要約すると――


 俺たちは校長の科学的欲求に付き合わされただけ。

 バレたら、多分、外国のエージェントに抹殺されます。


 ――って、ことだよな?

 知らないうちに、取り返しがつかない事態になってるんですが?


「今さら言うのもあれですけど、そんな危険な任務を俺の初任務にしたんですか? もし失敗したら、どうするつもりだったんですか?」

「この学園に、君より優秀なスパイはおらん。他の誰に頼めと言うんだね? それに、もし失敗して捕らえられたりでもしたら、ゴーグルの自爆装置で君を始末すれば、こっちはノーダメージ。いくら優秀とはいえ、見習いスパイ一人じゃ大した損失にはならん」


 嘲笑うように、くねくねしている一本の髪の毛を引っこ抜きたい衝動を、舌を噛んでぐっと抑える。

 寮に帰ったら、このクッソ物騒なゴーグルを改造して、自爆機能が作動しないようにしてやる。


「別に学園の生徒じゃなくても、もっと経験豊富な人に頼めば……」

「だから、これはワシの独断で行った作戦って言ったじゃろ? 政府から人員を派遣してもらえるわけがない。それにだ、この実践経験は君の成長にも一役買っている。成長のために一番必要なことは知っているな?」

「弱点の克服ですよね?」


 最も優れている者は短所が最も少ない者である。

 それが、この校長が掲げているセオリーだ。

 一般論としてよく使われる、「全てが出来なくてもいい。自分に合った長所を伸ばせ」とはまるで真逆のモットー。


 何故、人間の個性をまるで尊重しない教育方針になってしまったのかというと、それはこの学園が未来のスパイを育成するための機関であるからだ。

 校長曰く、スパイはあからさまな弱点を持っていてはいけない。

 どんな状況にも対応して、頼まれたことを完璧に遂行する。

 それ以上でも、それ以下でもあってはならない。


 スパイのミッションの詳細は、現場にたどり着く前から、ほとんどシンクタンクに練られている。

 シンクタンクは作戦を実行できる能力があるものなら誰でもいいと考えており、個人のスパイありきで作戦が練られることはない。

 そもそも機密性の観点から、スパイの個人情報は基本的に組織内ですら公開されていないのだ。

 結果として、この業界はオンリーワンを求めていない。


 学術的な複雑さや、芸術性の高さは、評価には繋がらない。

 求められる人材は突出した才能を持った者ではなく、なんでもそつなくこなせるオールラウンダー。

 どんな苦境に追い込まれても、柔軟な発想で的確な行動をとって、その場を乗り越えられる臨機応変な人物。


 だから校長は苦手が少ない人材ほど優秀だと考えており、各生徒に弱点を克服するための個別訓練をよく課している。

 理に適っていると言えるが、苦手なものと無理やり向き合わされている身としては悪趣味だなとしか思わない。


「つまりだな、わしは0号と君を──」

「校長、0号のメンテナンスが終わりました。異常はなさそうです」


 扉が開き、部屋に人が入ってくる。

 通話越しの時と比較して、非常に魅惑的に聞こえる肉声に反応し、体がビクッと脊髄反射を起こす。


「おお。ご苦労、ご苦労。お疲れさん」


 振り返ると、そこには海のように青く澄んだ長い髪を前後に揺らす、白衣姿で知的そうな眼鏡のお姉さんがいた。

 彼女はミッション中に俺と通話をしていたマリアンヌ博士だ。博士の正確な年齢は知らないが、おそらく二十代後半。すらっとしたモデルのような体つきなのに、胸が俗に言うスイカップで目のやりどころに困ってしまう。

 彼女の隣には例の0号が惚けた顔で突っ立っていた。

 さすがに裸のままは可哀想だと考えたのか、学園の女子制服を着せられている。


「彼女は本当に兵器なんですか? どう見ても普通の女の子ですけど……」

「試してみる?」


 いつの間にかマリアンヌ博士が俺の隣に立っていたので、ざざっと椅子ごと30センチ横に移動する。

 心臓に悪いからやめて欲しい。


「このハサミで彼女の髪の毛を切ってみなさい」

「ふ、は、ほい」


 変な返事をしながら、震える手でハサミを受け取る。


「いい加減、慣れないのかね? マリーとは何度も顔を合わせているだろ?」

「慣れとか、そういう問題じゃなくてですね……。綺麗な女性が近くにいると、パニック発作を起こしてしまう体質なんです。気の持ちようでどうにかなる問題じゃないんですよ」


 しかし、彼女の髪を切ることが何の証明になるのだろうか?

 疑問に思いながらも0号の綺麗な赤いボブヘアーを手で少しすくう。

 触れてみると柔らかくて、暖かくて、フワフワしていて、どうみても普通の髪の毛だ。

 ごめんねと一言断ってから、ハサミを入れるが──


 カッキーン!


 ──と鋭い音が鳴り、ハサミの刃が弾かれて真っ二つに割れた。

 切れたのは髪ではなく、ハサミの方だった。


「これは……人間じゃないですね」

「ダイヤモンドよりも高い硬度よ。おそらく、この場にあるものでは……切れなくはないだろうけれど難しいでしょうね」


 確かに、俺が持っている小型レーザー照射機なら切れそうだ。

 だって、こんなにフワフワしてるんだぞ?

 ハサミの惨状を見た手前、試したくはないが。


「いくら放置しても汚れないし、全く伸びないし、生え変わりもしない。見た目が絶対に衰えないようにできているみたいね」


 なんだそりゃ。まるでマネキンだ。

 俺たちが彼女についてあれこれ話している間、当の本人、0号さんはぼけーっと天井を見上げていた。

 抜け殻みたいで、生気をまったく感じない。


「見た目が人間なだけで、中身はそうでもないんですか?」

「内部構造という意味なら、人間とは似ても似つかない感じになっているけれど、それ以外は本当に人間そっくりよ。今は鎮静薬を使っているから大人しいだけで、元に戻ったら普通の人間みたいな表情を見せたり、会話をしたりもするわ」

「え? じゃあ、どうして鎮静剤なんかを?」

「そいつはな、興奮すると爆発するんだよ。東京都が半分ぐらい消し飛ぶレベルのパワーで」

「……は?」

「軍艦の貨物室の中で、動画が急に流れたのを覚えているか? 奪われるぐらいなら、敵ごと抹消してやろうという魂胆だったんだろうな」


 ということは、俺があそこでこいつを気絶させていなかったら……。

 考えるだけでも恐ろしい。


「そんな危険なものを、なんのために手に入れたんですか?」

「そりゃー、宇宙人の動向を探るために決まっとるだろ。UBWを研究することは、奴らの目的を解明することに繋がる。だというのに国連軍はUBWを滅ぼすべき悪としか見ておらん。信じられん愚行じゃ。0号以降のUBWは全て例外なく破壊しておる。そして、この捕縛した0号も、兵器改良のための資料としてしか使われていない。それでは、もったいなさ過ぎるだろ? で、盗み出す機会が運よく回ってきたんで、ワシのものにしたってわけじゃ」


 相変わらずとんでもないことをしでかす校長だ。

 断言する。こいつはいつか敵を増やしたことが仇になって殺されるぞ。


「というわけで、次の任務じゃ。君は0号と共同生活をしてくれ」


 ……はい? 


 一体どういう理論で「」になるのか一ミリも理解できない。

 さっきまでのSFは何処へ?

 急にベタなラブコメ展開になって戸惑うんですが?


「どうして俺なんですか? 一応、見た目は女子なんだし、女子生徒に頼んだ方が……」

「君を女慣れさせるために決まっとるだろ。それに、ついでにそいつも男慣れさせることができるやもしれん。性的な刺激に対して敏感らしいし、普段から男と一緒に暮らしていれば、免疫がついて爆発しにくくなる。一石二鳥じゃ」

「いやいや、それなら極力男性から遠ざけた方がいいですよね? もし爆発したら、この学園が全壊しますよ?」

「それを阻止するために、君をそいつの見張りにするのだよ。はいはい、これは決定事項じゃ。わしは忙しいんで、そいつを連れて、さっさと出て行ってくれ」


 校長は俺の反論を掃き飛ばすように手を振った。

 どうやら俺に発言権はないらしい。

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